紀元前1300年。最強の王国として名をはせるエジプトの王家に養子として迎えられて育ったモーゼ(クリスチャン・ベイル)は、兄弟同然のような固い絆で結ばれていたはずのエジプト王ラムセス(ジョエル・エドガートン)とたもとを分かつ。その裏には、苦境に立たされている40万にも及ぶヘブライの人々を救わねばならないというモーゼの信念があった。そして、彼らのための新天地「約束の地」を探し求めることに。過酷な旅を続ける一方で、彼はエジプトを相手にした戦いを余儀なくされていく。
2015年4作目。
月曜日のレイトショーを観賞。2D字幕版。
観客は僕も含めて6人でした。
ネットでの評判はあまり芳しくなかったのですが、観てみるとけっこう楽しめました。
僕がこういう歴史映画(とはいっても、この作品は「史実に忠実」というわけじゃないんでしょうけど)好きだったのも大きいかもしれません。
これ、「モーゼの十戒」と聞いて、「何それ?」という人にとっては、「とにかく神様がひどいことをして人間を苦しめる話」にしか見えないのではなかろうか。
最低限の「キリスト誕生前のエジプトを中心とした地理のイメージ」+「旧約聖書のおおまかな知識」くらいはないと、厳しいんじゃないかな。
旧約聖書のエピソードって、アメリカ人やヨーロッパ人には「常識」なのだろうけど、僕を含む、大部分の日本人には、「ああ、モーゼって、あの海が割れる人ね」というレベルの認知度じゃないかと思うし。
『ミュータント・タートルズ』とどちらにしようか、と迷ったのだけれど、『タートルズ』のレビューのなかに『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』と同じような路線というのがあって、結局こちらに。
僕は『ガーディアンズ』の面白さ、よくわからなかったんだよなあ。
『エクソダス』の最大の見どころは、神が繰り出す、さまざまな「天罰」(というか、人間いじめ)の数々を、最新鋭の技術で迫力ある映像にして見せてくれるところではないかと思うのです。
ワニ!
無数の魚の死骸!
イナゴ!
アブ!
疫病!
次から次へと、神がエジプト人たちにもたらす、災厄の数々。
そして、4ヶ月の息子を持つ僕には目をそむけたくなるような「究極の嫌がらせ」……
いやほんと、これ「天罰」っていうより、「嫌がらせ」だよね。
モーゼも途中からドン引きしてるし。
旧約聖書に書かれている「神がもたらした災い」って、映像にしてみると、こんなに惨いものなのか。
もちろん、モーゼといえば、海が……というシーンももちろんあるのだけれども、これがなんか微妙。
リアリティ重視、ということなのだろうか。
いやほんと、神様ちょっとそれ、あんまりじゃないですか?と言いたくなるようなシーン満載なんですよ。
神ってすごい!というよりは、「触らぬ神に祟りなし」という気分になります。
エジプト王も、悪いことをしていたというよりは、ちょっと無能ではあっても、歴代の王と同じようなことをしていただけだというのに、王位についたタイミングが悪かったばかりに、次から次へとさまざまな災厄に見舞われ、観ていてかわいそうになってきます。
あの状況は、罪の有無はさておき、王の座を脅かす実力者モーゼを「粛清」するのはそれなりに合理的な戦略であり、ラムセスがモーゼを信じるにしても信じないにしても、中途半端な対応をしてしまったことが、ラムセスの破滅を招いた、と言えるのかもしれません。
ある意味、優しかったんだよね、ラムセス王ってさ。
もしかしてこれ、「神に絶対的に帰依し、何でも『神の意向』にしてしまう世界から、そろそろ、『人間の理性で運営された世界』にしていきませんか?」というリドリー・スコット監督からのメッセージなのだろうか?
でもなあ、『グラディエーター』つくった人だし、そこまでメッセージ性みたいなものを重視するタイプにも見えない。
これを観ながら、僕は懐かしのゲーム『ポピュラス』を思いださずにはいられませんでした。
数々の「奇跡」という名の天罰に、なすすべもなく翻弄される人間たち。
誠に不謹慎ながら、このくらい派手な映像で、次から次へと人々が各種の天罰を食らっていると、なんだか可笑しくなってきてしまうのです。
まさに、ゲームの『ポピュラス』のように、神の視点から、無力な人間どもを見下ろす感覚なのです。
なんて酷い話なんだ!
でも、聖書って、たしかに、こういう話なんですよね。
天罰、てきめーーん!!