琥珀色の戯言

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【読書感想】鹿の王 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
強大な帝国・東乎瑠にのまれていく故郷を守るため、絶望的な戦いを繰り広げた戦士団“独角”。その頭であったヴァンは奴隷に落とされ、岩塩鉱に囚われていた。ある夜、一群れの不思議な犬たちが岩塩鉱を襲い、謎の病が発生する。その隙に逃げ出したヴァンは幼子を拾い、ユナと名付け、育てるが―!?厳しい世界の中で未曾有の危機に立ち向かう、父と子の物語が、いまはじまる―。


「2015年ひとり本屋大賞」6作品め。


 『精霊の守り人』や『獣の奏者』などの作品の評価も高い上橋菜穂子さん。
 僕もずっと気になっていた作家なのですが、実はこの『鹿の王』が上橋作品初体験で。
 正直なところ、「東乎瑠」とか「独角」というような「このファンタジー世界に馴染むための用語」に最初はなかなか慣れることができず、ちょっとキツいな、と思いながら読んでいました。
 でも、上巻の半分くらいにはこの世界に慣れてきて、以後はもう、一気読み。
 
 
 この作品の凄さというのは、「ファンタジー世界を題材にし、その世界をきちんと構築していながらも、読んでいると、いま、僕が生きている世界の現実についても考ずにはいられなくなる」ところなんですよね。

「テロは悪いこと」だと僕は思う。自分が犠牲になりたくもない。
 でも、圧倒的な力の前には、そういう形でしか抵抗できない人々がいて、彼らにとっては、「当然の復讐」なのかもしれません。


 仕事柄、主人公のひとりであるホッサルという天才医術師がずっと気になっていたのですが、なんというか、科学者としての純粋さと、人間としての青臭さというか、ちょっとひねくれたところが描かれていて、すごく魅力的なんですよね。
 この『鹿の王』に出てくるキャラクターには、「完璧な人間」はおらず、それぞれ弱点とかこだわりとか、恨みや悲しみみたいなものを持っているのだけれど、その一方で、「100%の悪人」もいない。
 読者としては、主人公側のヴァンとかホッサルに肩入れしてしまうのだけれど、支配される側にとって、「独立」と「大国に従属しての平和や安定」のどちらを選ぶかというのは、すごく難しいところではあるのです。
 そういう「生きる」という行為の曖昧さ、心細さは、ウイルス・最近の世界から、民族レベルでの支配・被支配の関係まで、同じようなところがあって。


 「100人で人体実験をすれば、1万人の将来の患者を救うことができる」という状況下で、医療は、医者は、どうするのが正しいのか?


 結局のところ、「答え」なんて無いんですよね。
 それを選ばなければならない立場の人が、どちらを選ぶか、というだけのこと。
 

 それにしても、上橋さんという人の「ディテールを描くことの誠実さ」には驚かされました。
 この作品には、医学的な知識(とくに感染症に対して)が詰め込まれているし、民俗学的な知識や、遊牧民族の慣習などについても、かなり綿密に調べられているのではないかと思います。
 「ある部族が、特定の病気に罹患しない理由」についての説明も、ここまで理論を構築して、合理的な説明ができるようにしているのか、と。
 「ファンタジー」だったら、それこそ「呪い」とか「特殊能力」でも、「そういう世界だから」で済むはずです。
 ところが、この作品では、2015年に生きている、それなりの基礎知識も持っている人でも「なるほど」と納得させてしまうくらいの手間をかけて、「理由」が形作られているのです。
 「ファンタジーなのに、ここまでやるのか!」というのと、「これを先入観を持たせない、普遍的な話にするために、ファンタジーとして描くことにこだわったのか?」というのと。


「東乎瑠」という名前を見るだけで、「夜露死苦」みたいなものか……?と拒絶反応を示してしまう人もいると思うんですよ。
 実在の国や民族よりも、その世界に馴染むのに手間も労力も必要なのは確かです。
 でも、この作品には、そのハードルを乗り越えてみるだけの価値がある。


 読み終えて、登場人物たちと、これで別れてしまうのが、とても残念でした。
 そう簡単に続きを書けるようなものじゃないのは理解できるのですけどね。

 
 何年後かに、これを読んで医者を目指した、なんて人に、会えるような気がする作品です。
 僕は「鹿の王」にはなれないけれど、これはたぶん、そうなれない人を勇気づける小説なんじゃないかな。
 

「だけど、逃げられない人がいたら? と、おれは父に問うた。逃げ遅れた子どもがいたら、たすけるのが戦士の務めじゃないか、と」
 サエが、たずねた。
「……お父さまは、なんと?」

 この「答え」、よかったら、実際にこの本を読んで、確かめてみてください。

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