琥珀色の戯言

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【読書感想】竹と樹のマンガ文化論 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
日本のマンガはなぜグローバルになったのか?マンガ家で大学のマンガ教育を築き上げてきた竹宮惠子氏と、思想家でマンガのヘビー・リーダーである内田樹氏は思いがけない理由をあげる。独自の進化をとげたマンガの7つの力とは?読者をわしづかみにする「作品力」、複雑で深い描写のための「表現力」、新しい手法を共有し高めていく「集合知の力」、何でも「マンガ○○入門」で学べてしまう「教育力」と人材の厚み…。優れた描き手と読み手が日本マンガのスゴいところを解き明かす、ユニークなマンガ文化論。


 日本のマンガって、たしかにすごいんだな。
 そんなことを再確認できる対談でした。
「文化論」といっても、評論家による専門用語が頻出するようなものではなく、マンガ家・竹宮恵子先生と、大のマンガファンである内田樹先生が、お互いの体験に基づいて、ざっくばらんに語り尽くした、そんな読みやすい「マンガ論」なのです。
 「アカデミックな、データに基づく論文」みたいな内容ではありませんが、読んでいて楽しいのは間違いありません。
 竹宮恵子先生が、「マンガ家を育成するための教育」にこんなに力を入れてきた、ということも、これを読んではじめて知りました。
 大学でマンガを教える教授になった、という話は聞いていたのですが、自分の経験談をときどき「講義」するだけの「名目上の教授」なのだろうと思い込んでいたんですよね。
 「マンガを描くための基礎体力」みたいなものを若いマンガ家志望者につけさせるために、自らカリキュラムも工夫し、試行錯誤しながら教壇に立ち続けておられるのだなあ。


「なぜ、日本ではマンガが独自の進化を遂げたのか?」という疑問に対して、おふたりは、こんな話をされています。

竹宮恵子今では考えられないですが、昔は、「ファンレターはこちらまで」と誌面に自分の住所を出していましたから。そしてまた、それに応えるように翌週の話を描いていく。日本は物流や郵便の仕組みが保障されているから、たとえば沖縄の離島のファンからの手紙も、ほぼ三日後には届くでしょう。毎週、同じ時期に同じマンガを読んで、それぞれいろんな感想を伝えてくる。マンガ家と読者の一体感というかコミュニティみたいなものが、日本独自のマンガ文化を育てたのではないかと思うのです。


内田樹読者とのそういう相互的コミュニケーションって、他のジャンルではなかなか見ることのない珍しいケースですよね。日本の連載システムの場合、人気が落ちてくると、いきなりどこかの号で打ち切られる。だから描くほうも、いつ、どういうかたちで物語が終わるのか見通せないままに描いている。この「いつ物語が終わるかわからないで描いている」というのが不思議だと思うんですよ。アメコミでも、バンド・デシネ(ベルギー・フランスを中心とした地域の漫画)でも、まずそんな構成不在で描くということはありえないでしょう。それが日本マンガの最大の特徴じゃないかと思うんです。


竹宮:そうかもしれませんね。だから原稿は「なまもの」なんです。


内田:10回で打ち切りかもしれないし、10年続くかもしれない。だから、描き始める前に綿密な構想なんか立てても意味ないわけですよね。最初の10回分くらいのストーリーだけ決めて、あとは流れで、というようなやり方をしているはずなのに、何年も連載が続くということが実際には起きている。作家が物語の全体を把握していないにもかかわらず、出来上がってみると、まさにこれくらいのスケールの物語になることが始めからわかっていたかのように、見事に伏線が張り巡らされている。これ、おかしいんですよ。だって、10回で打ち切りになるかもしれないと思って描き出したマンガなんですから!(笑) どうして、そんな無計画な状態で始めたものが単行本数十巻の大河マンガになるのかというと、マンガ家さんたちが寝ないで描いているからなんです。

 
 竹宮先生は、「マンガ家と読者の距離がすごく近いので、マンガ家には、読者に渡すものに責任を持つのは編集者じゃなくて自分たちだ、という自覚が強い」という話もされています。
 いまは、インターネットで「作品の送り手と受け手がリアルタイムでやりとりする」ということが可能になっていますが、ネット以前は、「完成した作品を売る」しかなかったのです。
 しかしながら、マンガの世界では、連載作品の場合、「読者からのお便り」や「読者アンケート」で、素早いレスポンスが返ってきて、マンガ家たちは、それを参考にすることができたんですよね。
 これは、たしかに「創作」にとって、特殊な環境だったと思います。
 おふたりが、こういう関係が成り立った理由のひとつとして、「日本という国では、郵便物やマンガ雑誌の配本なども含め、早い時期から物流が安定していたこと」を挙げておられたのも印象的でした。
 マンガの世界は、他の創作のジャンルに比べて、ネット以前から「ネット的」だったとも言えるのでしょう。


 また、マンガの表現が日本独自の進化を遂げていった理由について、竹宮先生は、こんな話もされています。

竹宮:よく聞かれる質問なのですが、その理由について、私には一つの仮説があります。学生たちにもよく話すのですが、要するに、日本のマンガは、始めから「オープンソース」だった、ということです。描き手の発明は、誰が使ってもいい許容のなかで成長し続けてきました。


内田:オープンソース」ですか! その説は今初めて聞きました。


竹宮:どんな新しい表現も最初に誰かが発明して、作品に定着させる。


内田:それを見た他のマンガ家たちが、「おお、この手があったか」と(笑)。


竹宮:そう。これはいいな、と思ったら、みんなで真似をするのです。


内田:真似していいんですね。「真似するな」とか誰も言わない。


竹宮:言わないです。自分たちもずっと誰かの表現を真似してきたから。ときどき、この表現は自分のオリジナルだと言う人もいますけど、それは言わないほうがいいよねって、みんなで言っています(笑)。


内田:いい話だなあ。マンガ家は技術についてはコピーライトを主張しないんだ。


 ストーリーやキャラクターはともかく、コマ割りのしかたとか演出的なものに関しては、「誰かのもの」ではなく、みんなで共有してきた、というのがマンガの世界の強みなんですね。
 手塚治虫先生がマンガの表現技法について権利を主張していれば、後世のマンガ家は、みんな困ったはずです。
 でも、そうはしなかった。
 むしろ、「真似される、後輩に影響を与える」ことを内心誇りにしつつ、その後輩たちと同じフィールドで競争していたのです。
 たしかに、こういう環境で、技術を共有していけば、進化のスピードは速くなりますよね。

内田:ファラオの墓』は、『風と木の詩』で男の子の裸体を描くための練習でもあったと(笑)。そうでしたか……。でも、作品をヒットさせるためには、読者に圧倒的に支持されるための仕掛けが必要ですよね。それは何でしょう?


竹宮:ヒット作のスタンダードを探るため、まず百年経っても古ぼけない演目はどういうものだろうと研究して、歌舞伎の「勧進帳」のシーンをそのまま取り入れたり……徳川家康が人質になっていた時代の話やシェークスピアも下敷きにしました。『ファラオの墓』は、まさに温故知新が生んだ貴種流離譚なのです。
 

内田:必勝パターンを組み合わせて作ったら、それが大成功した。


竹宮:いや。いや。いや。いきなり大成功はしないですよ。


内田:でも、だんだん順位は上がっていったのでしょう?


竹宮:いや、そんなに甘くなかったです。


内田:毎回順位は上下したのですか?


竹宮:それほど激しい変動はなかったですね。たぶん、萩尾望都さんが『スター・レッド』を描いていた時だろうと思いますが、クローズアップの絵が多いと人気が上がる、という法則に気がついた。マンガ家同士でそういう情報交換もしながら、手探りで作品のクオリティを上げていくのです。


 竹宮先生は、歴史的名作『風と木の詩』が世に出るまでの経緯についても、自身で詳しく話されています。
 竹宮先生は、当時の倫理観からすると、「出版社にとってはリスクが高い」同性愛を扱う作品を掲載してもらうために、「実績づくり」として、同じ雑誌に『ファラオの墓』という人気連載マンガを描いたそうです。
 そこまでして、描きたい、世に出したい作品だったのか……と。
 この『風と木の詩』は、後世に大きな影響を与え、竹宮先生の代表作として語られることも多いので、結果的には、それだけの価値があった、ということなんでしょうけどね。
 それにしても、「こうすると人気が上がる」という情報を、ライバル同士でも「共有」していたというのは、おおらかな時代だったのか、当時はそれだけ仲間意識が強かった、ということなのか。


 マンガ好きには、とても興味深い対談だと思います。
 というか、この対談を読んでいると、ふたりの話に出てくるマンガのほうを、すぐにでも読み返したくなってしまうんですよね。