琥珀色の戯言

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【読書感想】三陸鉄道 情熱復活物語 ☆☆☆


三陸鉄道 情熱復活物語

三陸鉄道 情熱復活物語

内容紹介
三陸鉄道・開業30周年記念】
東日本大震災から3年、住民の希望となる三陸鉄道の復活にかけた社員の物語。
三陸鉄道は、三陸沿線住民が明治以来熱望した鉄道であり、地元自治体も積極的に支えてきた鉄道だ。
その三陸鉄道が、東日本大震災で重大な被災を受けた後、2014年4月6日に全線再運行を果たすまでの道がどう開かれていったのか。
三鉄社員の汗と涙のノンフィクション物語。


3.11直後、三陸鉄道の社長望月は沿線を見て回った。
線路は全部がやられたわけではない。
線路の無事な部分は、被災した住民の「生活道路」として使われている。
望月は、心に決めた。「動かせる箇所は、直ぐにでも動かそう」と。
しかし、これに反対する現場の人間達。説得する、望月。
燃料をどのように調達するのか。
100億円以上もの復旧費をどうのように確保するのか。
甚大な被害を受けた南リアス線で、仕事の無い社員をどう活用するのか。
1つ1つの難題を適切な決断とアイデア、支援の輪でクリヤーして行く中で、三鉄社員は一丸となって、4月6日の全線再開を果たす。


 あまりにも大きすぎる被害を受けた三陸鉄道が、あの震災から3年で、全線再運行を果たすまでの物語です。
 三陸鉄道の30周年記念事業としてまとめられたもので、関係者に丁寧な取材が行われており、当時の状況や、いかにして復旧を成し遂げていったのかが、よくわかる内容になっています。

 三陸鉄道岩手県内だけを走る路線。1984(昭和50)年に、日本初の第3セクター方式による鉄道会社としてスタートした。開業(開通)した月日は4月1日。一番列車が出発する宮古駅をはじめとする各駅、ならびに沿線には、過疎に悩むこの地域でこれほどの住民が集った光景は見たことがないという数の人々が、歓声を上げ、小旗を振った。
 北リアス線宮古〜久慈)、南リアス線(盛〜釜石)。北リアス線最南端の宮古駅と、南リアス線最北の釜石駅の間は、JR山田線がつないている。
 三陸エリアは、かねてから「陸の孤島」との、聞こえのよくない冠語が付いて回っていた。県庁所在地の盛岡から、宮古の中心部に入るにも、同様に釜石、盛(大船渡)に入るにも、陸路ではおおむね2時間は見ておかなければならない。盛岡を拠点に、観光や仕事でそれらの街を訪れたとしても、沿岸を縦に移動する鉄道がなければ、各都市は「点」でしかない。
 点をつないで「線」にする。それは三陸に暮らす人々にとって待望久しい願いであった。

 壊れた鉄道が「復旧」するのは当たり前、だと思いがちだけれど、経営状態が厳しく、再開後も被災地の人口減もあってさらに厳しい経営が予想される三陸鉄道には、「廃線」という選択肢もあったのです。
 しかしながら、関係者は、地元の人の足としての必要性、そして、「鉄道が無くなってしまった地域が、それ以降また繁栄するようになった、という事例は存在しない」と考え、三陸鉄道を維持するために、あらゆることをやってみたのです。
 『あまちゃん』でこの地域が採り上げられたから、そのおかげで一気に採算がとれるようになった、とか、そんな簡単なことでは、ありませんでした。


 三陸鉄道の望月社長は、東日本大震災が起こった2011年3月11日の翌日に、3月16日からの部分的な運転再開を決断します。
 社長の決断に運行の安全責任者たちは、「安全性を考えると、そんなに早い再開には同意できません」と反対したのです。

「やってくれ」
「できません。可能か不可能かの問題ではありません。安全が100パーセント担保されなければ鉄道マンとして首を縦には振れません」
 望月も重々それは承知の上だった。
 上気した金野の顔を見つめ、眼鏡の奥の強いまなざしに対して、ひるまずに言った。
「素人かプロフェッショナルかの問題ではないんだ。鉄道は動かなければただの鉄の固まりだ。速やかに、部分的にでも復旧させなければ、三鉄不要論も湧いてくるだろう。『どうせ赤字路線なのだから要らない』となったら、三鉄マンが職を失うだけでは済まない。一番困るのは、置き去りにされる沿線の利用者だ。オレたちを待っている人がいる。三鉄が動くことを待ち望んでいる人たちがいる。頼む。動かしてくれ」
 望月は頭を下げた。

 極限のスピードで安全確認を行った三陸鉄道は、3月16日に、久慈〜陸中野田のあいだで、運行を再開します。
 僕も「早過ぎるのでは……」と思ったんですよ。
 でも、この望月社長の言葉を読むと、「赤字路線だからなおさら、早く動かさざるをえなかった」という苦渋の決断だったことがわかります。
 そして、それは「一か八かの賭け」ではなく、可能なかぎりの安全確認をしたうえでのことでした。


 また、少しでも「稼ぐ」ために、レールの販売や、被災地をめぐる研修旅行の立案なども行っています。
 これを読むと、まさに「なりふりかまわず、なんとかこの鉄道を地域住民の足として残そうとした」ことがわかるのです。
 

 全線再開通が来たから事が完了したのではない。再開通式の次の日からが本当の経営が始まったともいえる。
 震災でいまだ復旧していない集落を走る三鉄に、住民の利用が増えることはあまり期待できない。被災した住民の1割以上は、故郷をあきらめ県内外に移住している。人口減少に拍車がかかる中、沿線住民の大切な足とはいえ、経営的には苦しい荒波に向かわなくてはならない。さらに「復興路線」として地域高規格道路の建設が急ピッチで進んでいる。当然鉄道より車へと変化させる。JR山田線は復旧の見込みが立っていない。三鉄とつながらない効果はマイナスに働く。悪い材料が目白押しなのだ。それでも、それらを言い訳にはできない。
 「これだけ人気が出れば、観光客がどっと押し寄せ、三鉄は安泰だ」と言う人も多い。ところが実際には外から見るイメージと内部の台所事情は異なる。


あまちゃん』があれだけ人気になっても、実際に三陸鉄道に乗りに来てくれるお客さんは、限られています。
 観光客だから、運賃が高くなるというわけでもない。
 もちろん、観光資源として、地元にお金が落ちるということであれば、運賃収入以外の点で評価はされるでしょうけど。
 地元の人口がかなり減ってしまっていることを考えると、もともと赤字路線でもあり、今後も厳しい経営となることはまちがいありません。
 それでも、このローカル鉄道を愛する鉄道マンたちや地元の人たちの奮闘を読むと、なんとかこの路線が続いてほしいし、僕も近いうちに乗りにいこうと思っています。
 全線再開というのは、明るいニュースではあるのだけれど、それがゴールじゃない。
 線路がつながりさえすれば「復興した」ってわけじゃないんだよなあ。

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