琥珀色の戯言

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【読書感想】水族館日記: いつでも明日に夢があった ☆☆☆


水族館日記: いつでも明日に夢があった

水族館日記: いつでも明日に夢があった

内容紹介
私立大学としては初の大学運営博物館(水族館)の開設にたずさわった著者が、半世紀以上にわたる水族館設立・運営から教育・普及・研究活動に関する自らの取り組みを紹介する。また現状の問題点を指摘し、水族館の未来像を提言する。


著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
鈴木/克美
1934年生まれ。東京水産大学卒、江ノ島水族館、金沢水族館(副館長)を経て東海大学海洋科学博物館元館長、農学博士、東海大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


 東京水産大学から、1956年に江ノ島水族館に就職し、金沢水族館を経て、東海大学海洋科学博物館へ。
 僕は水族館大好きではあるのですが、九州に長年在住しており、基本的な守備範囲は「大阪から西」なのです。
 東海大学に、そんな立派な「水族館」があるなんて、この本を読むまで知りませんでした。
 

 著者は、1934年生まれで、大学卒業後、ずっと水族館で働いてきたという「戦後日本水族館の歴史をそのまま辿ってきた人」なんですね。
 この本を読んでいると、今や「お洒落で人気の就職先」になっている水族館が、戦後長らく、「大学を出て、そんなところで働くなんてありえない」という、不人気職場だったことがわかります。
 そんななか、「海の生き物を扱いたい」という強い希望があって、著者は水族館に就職したのです。
 

 私が大学を卒業した1956年(昭和31年)は、世界が激しくゆれた年だった。第二次世界大戦終結から10年たち、日ソ漁業条約締結、朝鮮動乱終結、日本国連加入。エジプトのスエズ運河国有化で中東戦争が始まり、ハンガリーで反ソ運動が起こった。しかし、平和になった日本では、戦後最初の高度成長期が始まろうとしていた。
 当時の私は知らなかったのだが、この頃わが国では、にわかに水族館建設がさかんになっていた。1956年だけでも全国に8館が開館している。戦後最初の水族館は、1949年4月に新潟県直江津町にできた直江津水族館(会社、のちに市立になった)で、その後1958年までの10年間に37都道府県に72館が店開きして、なおブームが続いた。そして、この時期には地方自治体の建設する公立水族館が、私立(個人と法人)の水族館を数のうえで上回っていた。なぜそんなにたくさんの公立水族館がこの時期に全国各地につくられたのか、理由ははっきりしないが、たぶん、戦後の復興期に水族館の集客力と入場料収入を当て込んだ地方自治体の手っ取り早い「右にならえ式」の地域振興策ないしは景気浮揚策だったのではないか。


 著者は、長年現場で「水族館を進歩させてきた人」であり、この本を読むと、僕などが、水族館で見向きもしない「ありふれた魚」を飼育するためにも、さまざまな試行錯誤があったことがわかります。

 弱い魚のイワシは手網で掬えない。網生け簀から大型のポリバケツで水ごと掬ってトラックの輸送水槽へ移し、水族館へ到着したトラックから用意の展示水槽へ大急ぎで移す。と、いっても、最初はいろんなハプニングがあった。第一、見ている目の前で、イワシがどんどん落ちてゆくのである。泳いでいるイワシが急に立ち止まり、尾を下にして沈んでゆく。ないしは、壁にぶつかって落ちる。たしかにイワシはひ弱な魚だった。ウロコはパラパラとすぐはがれ落ちるし、物にぶつかったら最後、立ち直れない。突然、泳ぎをためてフラフラ海底に沈む…。初めのうちは全部が一ヵ月もたなかった。死ぬイワシの数を毎日丹念に数えてみると、何回運んでも第一日目に死ぬ数が圧倒的に多い。輸送中にイワシどうしがもみ合って傷つく、慌てふためいて壁に衝突する、それで一日目の死亡数がもっとも多いのだった。ここを最小限に食い止め、要するになるべく驚かせないように水族館に運び込む。ここを乗り越えさえすれば、あとはほとんど坦々とゆけることもわかった。
 こうして首尾よく銀鱗をきわめかせて整然と泳ぐイワシの大群が水族館に実現した。そして、次にはそれも年中飼って見せられるようになった。初めは水槽でイワシを確実に飼えるのはほぼ1年止まりだったのが、足掛け3年は飼えるようになった。イワシの大きさにもよるが、多いときで6000びきから8000びき、このくらい入れると、それはみごとな光景が演出できた。とくに餌を与えるときにはすごいダイナミックなシーンが見られる。つまり、ふだんはゆっくり整然と泳いでいるのが、餌を感知すると、群れ全体がにわかにスピードアップして突進する。このときばかりは、マイワシは五月節句の鯉のぼりのように口を筒型に開き、エラも全開にして前に突き出し、カタクチイワシは眼の後ろまで裂けた大きな下あごをいっぱい下げエラブタもひろげてマムシのような大口開けて進む。いつまで見ていても、見飽きない壮観である。マイワシとウルメイワシは別の魚だというのも、水族館で餌を求めて口を開いて泳ぐ姿を見れば一目瞭然、簡単に見分けられ、同じ「イワシ」とついていても、別科の魚だという説明がすんなりと納得できるだろう。

 「イワシなんて、ありふれた魚」ではあるのですが、群れをつくって、整然と泳いでいる姿は、すごく「絵になる」のですよね。
 僕も水族館ではじめてその様子をみたときには、感動してしまいました。
 中には一匹や二匹、逆走したり、周りにぶつかっている個体がいるのではないか、と探してみましたが、そいうヤツを見つけることはできませんでした(いや、そういう個体もいるんじゃないか、とは今も思ってはいるのですけど)。
 多くの水族館で見られる「イワシの群れの展示」も、著者が東海大学ではじめたものなのです。


 いまや珍しくもなく、どこの水族館にでもあるような「色とりどりの熱帯魚が飼育されている水槽」も、最初のひとつができるまでは、日本のどこにもありませんでした。
 水族館で飼育してみようと、何十匹もの魚を運んできたものの、数日で全滅してしまった、というエピソードもあり、「生き物を飼う」ことの難しさを思い知らされます。
 その結果、水族館で飼えるようになった魚も多数あり、その一方で、やはり現時点では、水族館で飼うのは難しい、という魚もたくさんいるのです。
 こんなに科学が進歩した世の中でも、海から穫ってきた魚一匹を、一週間生かすことさえできないこともある。
 自然というのは、人間にとって、まだまだわからないことだらけなのだな、と考えずにはいられません。

 魚の寿命ってなんだろうか。水族館で魚を飼うと、そんな疑問が次々に出てくる。水族館の魚には、それまでの常識的な寿命をはるかに超えて30年以上生きている魚が少なくない。日本の水族館での最長命記録はハタ科のクエの43年であるが、この魚は水族館へ入ったときからすでに巨魚だったので、その前に海で何年生きていたかは不明。したがって寿命はわからない。でも、長命の魚の多くは大きな魚ばかりである。その点、クマノミなんて小魚が、何年生きると思う? 三年? 四年? じつは私もそう思っていた。それがなんと、東海大学海洋科学博物館には、20年を超えて水族館でカップルで生きて、しかも毎年産卵し、子育てしてきたカクレクマノミがいる。よほど相性の良いカップルだったのかもしれないが、少なくとも、このカクレクマノミにとっては、きっと水族館は居心地のいいところだったのではないか。水族館は不自然な環境…などと簡単に言ってほしくない。

 僕なども「こんな狭い水槽の中に閉じ込められて、かわいそうだな……」と、つい考えてしまうのですが、敵がおらず、餌も定期的に与えられる環境というのは、「良いことずくめじゃないけど、こういう生活のほうが向いている魚」もいるのかもしれませんね。
 人間と同じで、「自由」や「競争」には「危険」がつきものなのだから。


 長い間、「娯楽施設」だという考えで運営されてきた水族館が、「研究の場」として活用されていった経緯も、この本を読んでいるとよくわかるのです。
 著者は、雌雄同体の研究を長年されており、そのエピソードも興味深いものでした。
 状況によって、雄になったり、雌になったりする魚って、こんなにいるのか……


 「戦後の水族館設立ラッシュ」から、現在の「オシャレなデートスポットとなった水族館」までの歴史を現場で見てきた著者の、貴重な証言が読める、水族館好きにはたまらない一冊だと思います。
 イラストも愛らしい。


 ただ、定価3200円+税と、ちょっと値が張るので、よほどの水族館好きか、水族館で働いてみたい、という人向け、かもしれません。

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