琥珀色の戯言

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【読書感想】会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから ☆☆☆☆


会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから


Kindle版もあります。

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

会社が消えた日 三洋電機10万人のそれから

内容紹介
新潟中越地震での工場被災をきっかけに経営危機が表面化、2006年に米ゴールドマン・サックスグループ、大和証券SMBCグループ、三井住友銀行の金融3社から3000億円の出資を受けた三洋電機。その後、携帯電話、デジカメ、白物家電信販といった事業は切り売りされ、本体はパナソニックに買収された。散り散りになった旧経営陣は今何を思い、10万人の社員たちは今どこで何をしているのか。経営危機の渦中、同族企業の混乱を克明に取材し、その後も電機業界の動向を見続けてきた新聞記者が、多くのビジネスパーソンにとって決して他人事ではない「会社が消える日」を描く。
たとえ今の職場がなくなっても、人生が終わるわけではない。では、どこに向かって次の一歩を踏み出すか。かつて三洋電機に在籍した人々のその後の歩みは、貴重な示唆に富んでいる。重苦しいテーマを扱いながら、本書が「希望の物語」となっているのは、そこに会社を失ったビジネスパーソンの明るくたくましい生き様が垣間見えるからだ。


なくなってしまった「三洋電機」の社員たちは、今、どこで何をしているのか?
『SANYO』というブランドについては、僕自身は、あまり印象がないんですよね。
APPLE」「SONY」みたいに、そのメーカーの製品を指名買いしたくなるような製品をつくっているわけではないけれど、そんなに予算が潤沢ではないときに、「まあ、三洋電機なら、それなりに信頼できそうかな(値段も安めだし)」というくらいの、消極的な選択材料になる、そんな感じでした。
白物家電」(冷蔵庫や洗濯機といった、生活家電)が、中国のハイアールという会社に買収されたのを聞いたときには、「ああ、中国の会社に売り飛ばされるなんて、よっぽど経営が苦しかったのだろうし、製品の質よりも価格勝負になっていたのかな」などと思っていたのです。


この本を読んでみると、三洋電機というのは、10万人もの社員を抱えながら、「『三丁目の夕日』時代の日本的な企業文化」の家族的な雰囲気を遺した会社だったということが伝わってきます。
電池事業や、白物家電など、新しい技術の中にもスロトングポイントを持っており、けっして「すべてがダメな会社」ではなかったのです。
しかしながら、いわゆる「グローバル化」「経営効率化」のなかで、経営陣の不適切な投資などがたたり、あっという間に「負け組」になってしまいました。


三洋電機で働いていた人たちの「その後」は、どうなっていったのか?
仕事を失い、絶望していった人ばかりだったのか?
中国の会社に売られていった白物家電部門の人たちは、こき使われて、酷い目にあっているのではないか?


僕の先入観は、この本を読んで、打ち砕かれてしまいました。
三洋電機の社員たちの「その後」は、けっして、順風満帆なものばかりではありません。
でも、彼らはしぶとく生き残り、自分のスキルや経験を活かして、働き続けているのです。
そして、僕が驚いたのは、同じ日本国内で、元々関係が深く、受け入れ先となったパナソニックのほうが、外資のハイアールよりも、三洋電機の社員たちに対して、心理的・物理的な障壁をつくり、冷遇しているようにみえる、ということでした。


元々三洋電機が所有していたという「東京製作所」は、工場の所有権がパナソニックに移ったあと、敷地内の半導体事業はアメリカのオン・セミコンダクターに、冷蔵庫と洗濯機事業は中国のハイアールに、燃料電池事業はJX日鉱日石エネルギーに売却され、巨大な工場内に、さまざまな企業が同居することになったそうです。

 分断を象徴するのが2012年末に張り巡らされた金網のフェンスである。高さ2メートルほどのフェンスはパナソニックの敷地に「それ以外の会社」の社員が入れないように敷設されている。フェンスが設置されたと知らない出入りの業者の車が夜中に激突する事故があり、その後、フェンスの上に赤いランプが灯るようになって物々しさが増した。
 この敷地内で働いている人のほとんどは2009年まで、三洋電機グループの社員だった。パナソニックがフェンスを張り巡らせた目的はセキュリティーの確保や知財流出の防止だと思われるが、かつて同じ釜の飯を食ってきた人々を分断するフェンスは、東・西ドイツを隔てたベルリンの壁や、朝鮮半島の38度線を思い起こさせる。分断された元三洋の社員たちは全長数キロメートルに及ぶフェンスを忌み嫌い、「パナの壁」と呼んでいる。共用の食堂も、食事を受け取る場所は同じだが、テーブルは別々に分かれている。構内の通路で昔なじみの仲間とすれ違うと互いに「よお」と声は掛け合うが、立ち話でも仕事の話はご法度だ。そのたびに社員は解体された企業の悲しさを痛感する。


パナソニック側の「事情」や、知財流出を恐れる気持ちもわかるのですが……
こういうのって、もうちょっと、うまくやれないものなのでしょうか。
 

逆に、「技術的にレベルが低そうな中国の会社」だと思い込んでいたハイアールのほうが、三洋の技術者たちの実力に敬意を表し、厚遇してくれているのです。


1984年に、現CEOの張端敏さんがハイアールの前身となる会社に工場長として赴任した際に、現場はこんな状況だったそうです。

 朝8時に始業して、10時にはほとんどの従業員が帰ってしまう。工場内にトイレが1つしかなかったので、従業員たちは構内で所構わず大小便をした。工場長になった張が最初にやった仕事は「工場のものを盗むな」「工場内で大小便をするな」などの13のルールを書いた紙を壁に張り出すことだった。13のルールを書いた張り紙は、初心を忘れないため、いまも青島本社の展示ルームに引き延ばして飾られている。
 品質も100台作れば1台は欠陥品という状態だった。張は欠陥品を作った本人にハンマーを持たせ自らの手で叩き壊させた。「欠陥品は当たり前」という意識を変えるためだ。独学で日本の経営を学んだ張は京セラ創業者、稲盛和夫を尊敬しており、稲盛経営の代名詞であるアメーバ経営を取り入れた。

 「大小便禁止」からスタートしたハイアールは、いまや、アジア各地で本当に必要とされている機能を理解した安価な製品で、白物家電では、大きなシェアを持つ会社となりました。

 張は日本の社員にこう言った。
「私はHAI(ハイアール・アジア・インターナショナル)を東南アジアを代表する会社にしたいと思っている。そのためのバックアップは惜しまない。我々の傘下に入って待遇が今の水準を下回ることはありません」
 リップサービスではなかった。ハイアールは日本のHAIを、、中国、東南アジア、米国に散らばるハイアールの生産拠点を指導する立場に据えた。世界を指導する会社のオフィスは、交通の便の良い場所でなくてはならない。だから、HAIの新本社は新幹線の熊谷駅から徒歩圏の場所に置いた。1時間に1本の東武小泉線を待つか、熊谷駅までタクシーで30分かけて出るしか交通手段がない旧東京製作所よりずっと便利な場所である。
 機動性を重視するハイアールは一時、HAIの本社を東京都内に置こうとした。しかし、旧東京製作所の近くに居を構えている社員たちの通勤事情を考えて熊谷にした。新オフィスに入居するのは合流するエアコンの開発部隊を含め200人強だが、ハイアールは80億円をかけて400人が働けるスペースを確保した。「必要な人材はどんどん採用しろ」というサインである。事務棟と実験棟を作り、技術者が開発に集中できる環境を整える構えだ。


もちろん、「その技術に利用価値があるから」ではあるのでしょうけど、少なくとも、「オレたちはずっとパナソニックで、お前らは三洋電機だったから」という理由で冷遇するよりは、「できる人間は重んじる」ほうが、はるかに公正ではありますよね。


企業間の「引き抜き」について、こんな話も紹介されています。

 2013年10月、1人のパナソニック社員が辞表を出して行方をくらませた。国内の別の会社に移った形跡も、起業した形跡もない。まだ隠居する年でもない。心配した同僚が様子を見に行くと、兵庫県加古川市にある彼の自宅は、もぬけの殻になっていた。
 忽然と姿を消した男の名は能間俊之。旧三洋電機の技術者で、ハイブリッド車電気自動車に搭載する車載電池のスペシャリストだ。独フォルクスワーゲンや米ゼネラル・モーターズが絶大な信頼を寄せていた。車載電池の「秘中の秘を知る男」だ。
 しかし、過去の新聞記事などをいくら調べても「能間」という名前は出てこない。一体どういうことなのか。かつて三洋電機で広報を担当していた人物が教えてくれた。
「今だから言いますけど、能間は車載電池の最重要人物でした。三洋電機時代はライバル企業に引き抜かれると困るので、取材はシャットアウト。社外に彼の名前が知られないよう、我々は細心の注意を払っていました。だから、皆さんが彼の名前を知らないのも無理はない。でもハイブリッド車電気自動車の開発に関わる人で、能間の名前知らない人はいないと思いますよ」
 車載電池の開発拠点である旧三洋電機の加西工場(兵庫県)はシャープの亀山工場や堺工場と同じように、徹底的な「ブラックボックス化」が施されており、部外者の立ち入りは禁じられている。取引先の自動車メーカーでも、その中を見たことがある者は数えるほどだ。三洋電機パナソニックに買収された後も厳戒態勢は続いていた。能間は、その加西工場の「技術総括」つまり開発リーダーだった。
「秘中の秘を知る男」が消えたことに動揺したのはパナソニックだけではなかた。
「まさか海外企業に抜かれたなんてことはないだろうな」
 車載電池を将来の日本の基幹産業の1つと考える経済産業省も、血眼になって能間を追った。だが、行方は杳として知れない。
 能間は一体どこへ消えたのか。確認は取れなかったが、関係者からいくつかの重要な証言を引き出すことができた。能間の上司にあたる人物はこう断言した。
「本人に確認したわけではなありませんが、間違いなく韓国のサムスン電子です。関係筋から情報が入りました。おそらくサムスンは彼がやりやすいように、彼の部下も何人か一緒に引き抜いているでしょう。彼らがサムスンに行ったからといって、すぐに追いつかれるとは思いませんが、重要なノウハウが流れたのは事実です」


 こんなスパイ小説みたいな話が、現実にあるなんて。
 そして、技術者がここまで大事にされている世界もあるのです。
 こういう話を耳にすると「日本を裏切りやがって!」みたいな気持ちになってしまうのですが、この本の記述によると、能間さんは以前にも「アタッシュケースにぎっしり詰まった現金を持って」サムスン電子から誘われたことがあったのですが、その際には「三洋電機を辞めたくない」と固辞したそうです。
 そんな能間さんが、国外企業に移る決心をせざるをえないような「何か」が起こったということで、技術者としては、「旧三洋電機の人間だから」という理由で冷遇されるのであれば、やりたいことができる新天地を求めたというのもわかるんですよね。
 別にそれは犯罪行為ではないのだし。
 その一方で、それがこんなふうに「スパイ小説まがいの話」になってしまうところが、企業間競争の厳しさとか、日本という国の閉鎖性を示しているのかもしれません。


 また、三洋電機を辞めた技術者が、ベビー用品の『西松屋』で、安くて性能の良い子ども用のバギーの開発に携わった、という話も紹介されています。
 三洋電機の解体は、個々の社員・技術者にとっては災厄だったのだろうけれど、彼らが培ってきたものが、社会全体に広がっていくきっかけにもなっているのです。
 そして、「使っている子どもの顔が見える製品」に、やりがいを感じなおした人もいて。


 会社は消えても、人は残るのだなあ、と、あらためて考えさせられました。
 そして、どんな時代でも、最後にものをいうのは、やっぱり、その人自身の力量なのだな、とも。

 もう、日本の会社だから、とか、外資だから、とか色眼鏡でみる時代は、終わっているのでしょうね。

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