琥珀色の戯言

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【読書感想】表現の技術―グッとくる映像にはルールがある ☆☆☆☆


表現の技術―グッとくる映像にはルールがある

表現の技術―グッとくる映像にはルールがある

表現の使命はひとつ。
その表現と出会う前と後でその表現と出会った人のなにかを1ミリでも変えること。
未知の場所にあるココロという正体のよくわからないものにふれるために、
僕たちはそのために、人生を削っていくのです。
(文中より)


 サントリーの「オールフリー」、JR東日本の「行くぜ!東北」、明治製菓『キシリッシュ』など、たくさんの広告を作り続けてきた電通のCMプランナーによる「表現の基本的な技術」への入門書です。
 2012年5月刊行。

 
 著者がCMプランナーということで、「広告の技術」について書かれた本かと思いきや、読んでみると「日常生活でも使える、さまざまな『他人に伝えるための技術』が解説されているのです。


 冒頭には、こんな話が書かれています。

 面白く話をする人には共通することがあります。それは「結論から話をはじめる」こと。まず逆に、つまらない話し方をする人の例をひとつあげてみます。
 

 「昨日、夕方から友達と飲んだんだけど、途中ではじめて会った人と意気投合しちゃって3時過ぎまで飲んで、そこから記憶がないんだけど、朝起きたら知らない人の家にいたんだ」


 このしょうもない話を、結論から言う形にするとどうでしょう。「朝起きたら知らない人の家にいてさ」となります。このほうが話の劇性が上がることがわかります。劇性が上がると人は関心をもちます。結論がどうして起きたのか興味をもちます。同時に「結」の負担がまったくなくなっていることに気がつきます。すでに結論から話しはじめているので、新たに面白い結論を準備する必要がなくなるのです。あとは「飲み過ぎた」という事件が起きた原因を言えばいいのです。このように、相手の心に「?」を上手につくり出すことができると話は飛躍的に面白く聞こえはじめます。出来事と物語の違いはそこにあります。


 「まず結論から話をはじめる」
 こうやって実例を挙げてもらうと、「ああ、確かにその通りだなあ」と頷かざるをえません。
 いや、僕も「面白く話そう」と意識しすぎてしまって、まさにこの「起承転結のワナ」にハマっていたものですから。
 まず導入部からはじめて、盛り上げていって、クライマックスへ!


 ……そう思ってはいるのですが、前置きが長くなると、それだけで、相手はもう少しイライラしはじめます。
 そうやって、さんざん下ごしらえをして「結」にもっていっても、実際は、素人の世間話レベルの「オチ」って、まあ、大概はたいしたことがありません。
 話している側と聞いている側の「温度差」は、なかなか埋め難い。
 プロの噺家でもないかぎり、もったいぶって話せば話すほど、相手にとっては「時間のムダ」になってしまうのです。
 この本には、文章や映像などの「表現の技術」だけでなく、こういう「日常で役立つ『表現のテクニック』」も散りばめられています。


 著者は、「笑いはテクノロジー」だと仰っています。

 笑いはすべての表現の基本だと考えています。相手の感情を確実にコントロールすることが条件でつくられるものですから、つまり逆にどんな種類の感情のコントロールにも応用が効くものでもありますし、憎しみや嫉妬や悲しみも自在につくりだせないと笑いは手に入らないもの、なのです。そして、笑いほどつくりだすことが難しいものはありません。精密で繊細で、なにかひとつでもボタンをかけ違えたらどこかへ逃げてしまうものです。70年代を席巻したアメリカの天才CM監督ジョー・セデルマイヤーもインタビューのなかで、「笑いは笑いながらはつくれない」と断言しています。笑いは表現の技術を駆使し尽くして、つくりだすものです。技術によってつくり出すものであるということは、逆に言うと鍛錬すれば身に付くスキルでもあるということです。そのことに気がつくか気がつかないかが実は、表現をつくる才能の有無をほぼ決めると僕は思っています。「なんか変に派手な服を来ていたら面白くない?」という身勝手な感覚で無意識にものをつくるか、「変な格好で真面目なことを言うと面白い」とある程度論理的に考えられるかどうか、それが大きな分岐点なのです。


 著者は、このあと、こう述懐しています。

 僕は子どもの頃から現在に至るまで、「面白い人」であった経験は一度もありません。面白い話をするタイプでもないし、周囲の注目を集めるエンターテイナー的資質もゼロでした。けれど、この仕事と出会って、「面白いものをつくる」ことは可能でした。表現による笑いは、技術や手法を磨くことでつくりだすものだからです。


 「笑い」というのはセンスが大事、というイメージが僕にはありました。
 でも、「笑い」をコンスタントに生み出すには「技術」が不可欠なのです。
 著者によると「涙もの」や「感動もの」は、技術を学んでいなくても、ある程度まではつくれるそうなのですが。


 この本で紹介されている、「実例」は、ものすごく適切で、読んでいて納得せざるをえません。
 そして、「普通の人が『こうすると良いんじゃないか』と思いつくような方法は、大概、表現としてはありきたりで、つまらない」ということを思い知らされます。

「みんなはこういうときこう思うよ」という話より、「僕はこういときこう思った」という話のほうが強く、逆に普遍的なものになるのです。一般論より個人の話のほうがよほど、普遍的な力をもつのです。この「オムニバス菌」は、手を変え、品を買えて企画のなかに忍び込んできます。

 これぞまさに、ブログを書くときの宿敵「ついみんなにアピールしようとして、主語が大きくなる病」だよなあ、と。
 僕には、僕の気持ちしかわからないはずなのに、つい、「みんなもこう思っている」という気分になってしまう。
 僕の感情だと表明しておけば、他の人も「いや、自分もそうだよ」と共感しやすいけれど、「みんなこう思っている」と言われると、「いや、自分は違う」と反感を抱きがちなんですよね、人間って。
 他人に自分を決めつけられるというのは、なんだか不快なのです。


 こんな言葉も、すごく印象的でした。

 余談ですが、以前、「どうしたらプレゼンがうまくできますか」と聞かれたことがあります。そのとき僕はこう答えました。


「うまくプレゼンする必要はまったくない。面白い企画さえ考えてしまえばいい。どんなに小声で説明しても、それさえあれば絶対に面白く聞こえる。つまらないものを面白そうにプレゼンするほど、残念なものはない」


 プレゼンしたくなるアイデアをもつことが、いいプレゼンをするための最大の方法でしかないのです。

 
 ああ、僕は「その場」になって、「自分のプレゼンテーションは声が小さいし、表現力もないし……」なんて萎縮してしまうけれど、本当の勝負は、準備の時点で、もう9割くらいは終わってしまっているのだよなあ。
 すごく面白い企画や内容であれば、どんなにプレゼンテーションが下手でも(まあ、「どんなに」ってことは実際には無いでしょうけど)、聴衆は食いついてくるのです。
 そして、「つまらないものを、プレゼンテーションの技術だけで、アピールする」というのは、やる側もやられる側も、誰も幸せにはなりません。
 スティーブ・ジョブズのプレゼンテーションは「伝説」になりましたが、それは、プレゼンテーションの技術だけではなくて、彼がその場で紹介したものが、人々の生活を変える、魅力的な製品だったからなのです。


 自らを「面白い人ではない」と語る著者は、「だからこそ、自分の伝えたいことを伝えるための技術にこだわり続けてきた」のです。
「表現の技術」についての本なのだけれど、本当に大事なのは「自分が伝えたいことを持つ」のと、「それを伝えるための労を惜しまない」ことなのではないか、と僕は感じました。

 

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