琥珀色の戯言

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【読書感想】8割の人は自分の声が嫌い ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
声を出さない、誰の声も聴かないなどという日は、ほとんどないのではないでしょうか。声は自分を取り巻く生活にあたりまえにあるもの。まるで空気のようです。空気はなくならなければ、その重要性に気がつきません。声もとても大切なものなのに、意外と意識されている人は少ないのではないでしょうか。でも、自分の声を知ることは、自分という“存在の意味”を知ること。「病気」「悩み」「嘘」…声を知り、その力を手にしたとき、本当の意味で自分自身を大切にし、自分の人生を生きることができるでしょう。本書は声をあなたの生涯の友、本当の味方にしていくためのガイドです。


 自分の声って、好きですか?
 僕は即座に「嫌いです」と答えます。
 留守番電話が一般化しはじめた頃、「○○はただいま留守にしております。御用の方は、ピーッという発信音のあとに、メッセージを入れてください」というアナウンスを、自分の声で、しかも、ちょっとクスッとしてしまうような捻りを入れて吹き込むのが流行ったことがありました。
 僕もそれを、試してみたことがあったのです。
 しかしながら、電話機から流れてくる自分の声を聞くと、「こんな声じゃなかったはずなのに……」と落ち込み、すぐにあらかじめ設定されていたメッセージをそのまま使うことに決めました。
 自分の声って、案外、自分で聴く機会がない。
 そして、聴くたびに、落ち込んでしまう。


 いや、考えてみれば、ふだん自分で喋っている声は、自分で聴いているはずなんですよ。
 ところが、録音したものを聴いてみると、全然違う(ような気がする)のです。
 それは、自分自身の「欲目」みたいなものなのだろうな、と思っていたのだけれど、著者は、その理由について、明確に説明してくれています。

 録音した自分の声を聴いたことがあるでしょう。まるで別人のようだと思ったのではないでしょうか。
 たいていの人は録音した自分の声を聴くと、「こんなにキンキンしていない」とか「こんなに鼻にかかった声じゃない」と嫌悪と露わにします。
 自分で聴いている自分の声は、骨などを伝わる「骨導音」ですが、録音したものは空気を伝わる「気導音」です。骨導音のほうが低い周波を響かせて伝えるので、録音した声のほうが薄っぺらく聞こえてしまうのです。


 この新書、「声」についてのさまざまな知識が詰まっているのですが、読んでいて思い知らされるのは、「声」はコミュニケーションのための大切な道具であり、トレーニングによって、「自分の魅力を引き出す声」に近づくことができるのに、それを意識している人は、あまりにも少ない、ということなんですよね。
 もちろん、僕自身も含めて。
 ただし、日本と比較すると、西欧の上流階級、あるいは政治や芸能の世界では「声」や「話し方」がかなり重視されているようです。
 「いい声」「魅力的な声」って、かなりの影響力があるのです。
 著者は、オウム真理教の教祖・麻原彰晃の声について、こんな話を紹介しています。

 あるとき、数名の元信者とオウム真理教を取材した人に「麻原氏の声はどんな声でしたか」と訊いてみました。全員の声は示し合わせたように同じでした。
「ものすごく良い声でした。あの声を聴いたら誰でも説得されてしまう」
 やはりと思いながら音源を探して聴いてみると、なるほど見事な声です。ときには明るくユーモアをたたえ、深くも強くも優しくもなる。幹部への命令には迷いのない迫力がある。一言で表現するなら「ただものではない」、そんな声でした。まさしく彼は、一世一代の宗教家か、あらゆる人間をたやすく虜にする詐欺師かのどちらかであったのでしょう。
 麻原死刑囚は洞窟で修行したわけではないでしょうが、その代わり目が不自由でした。目が見えない人の感覚はものすごく鋭敏で、特に音に対しては普通では信じがたいほどの感受性を持っています。麻原死刑囚は、声が人の脳に働きかける影響力を知り尽くしていたに違いありません。
 麻原死刑囚のマントラを聴いたことがあるという人が、こんなふうに言っていました。
「鳥肌が立った。何を言っているのか内容などわからないのに、心身を揺さぶられるようだった」
 これが声の力でなくて、なんと言えばいいのでしょうか。


 すべてが「声」のおかげなのか?と言われると、さすがにそれだけではないだろう、とは思うのですが、「いい声」が他者に与える印象って、ものすごく大きいのは間違いないでしょう。
 僕が「良い声」と聞いてすぐに思い出すのは福山雅治さんなんですけど、あのルックスにあの声は反則だろ、と。
 あの声だけでも自分にあればなあ……なんて夢想してみたりもするんですけどね。


 この新書、「声の威力」を紹介するだけではなくて、「自分の声が嫌いな人のための、対処法、トレーニング法」も紹介されています。
 そんなに難しい話じゃないんです。

 声を明るくするのに、もっとも簡単で効果的なのは眉を上げることです。「あ―――」と声を長く伸ばして、眉を上げてみてください。かすかに音程が上がり音色も明るくなるのが実感できるでしょう。同じように「あ―――」と出しながら、今度は眉をしかめてみてください。半音近く音程が下がり音色も暗くなるはずです。目を閉じても暗くなります。だから瞬きが多いと音声は不安定になるのです。
 スピーチの名手は声を出している間、瞬きのタイミングを考えています。瞬きによって音程が下がり、自信なさげだったリーダーシップを感じられない声になってしまうからです。名歌手も同じです。声を伸ばしているときはもちろん、歌詞の切れ目まで瞬きはなし。これは歌うときの基本中の基本なのですが、最近はたったこれだけのこともできない歌手が増えました。
 というわけで、明るい声を出すのは眉毛を少し上げて目をはっきりと開くだけでいいのです。明るい声にしようと意識して、声を張って無事に明るくしようとするとかえってわざとらしくなり「イタイ感じ」になります。しかも実際には明るくなるよりも硬質な声になってしまいます。


 著者は、声についての研究をずっと続けており、実際に、声のトレーニングによって、さまざまな悩みを抱えている人を助けた経験も持っています。
 この新書に書かれているのも「精神論」ではなくて、「練習することによって、誰にでもそれなりにできるようになる技術論」がほとんどです。
 
 
 「自分の本来の声」を取り戻すために、著者は、こんな方法を勧めています。

 まず、あなたが普段聴いている自分の声は本当の声ではありません。これは骨導音をともなった声なので、自分にだけ聞こえている声だと前に書きましたね。
 録音した声が今現在、あなたが出している声です。そこにはもともとの体格や体質、声帯の長さや厚さ、仕事や人によって使い分けてきた心持ち、呼吸、今の体調、そして精神のありか、つまり生き方すべてが表れています。これは現在のあなたの真実です。そこから目をそらしてはいけません。今の自分の声を知ることがオーセンティック・ヴォイスを見つける第一歩なのですから。そしてそれを見つけてくれるのも、その声を使えるようにしてくれるのも「聴覚」、つまりあなたの耳なのです。
 ほとんどの人は録音した自分の声を聴くといやだなあと思う。それはクレーン声だったり作り声だったり、変に装っている自分、媚びたりしている自分、コンプレックスや弱いところが出てしまっている自分だったりするから。それを自分の耳が聴き取ってしまうからいやだと思うのです。
 でもそのいやな声の中に、ときおり「いいな」と思う声があるはずです。嫌悪よりもむしろ「いいな」と思える声。それは作り声ではなく、妙にテンションが高くもないでしょう。そして嫌悪を感じる声よりも幾分低い声であることが多いでしょう。
 それがあなたの恒常性にかなった声、つまり本物の声です。
 その声を出したときのシチュエーションや、自分の状態を思い出してください。そしてその声を「耳に記憶させて」ください。何度も何度も聴くのですよ。聴かなくても頭の中でその声が簡単に思い出せるようになるまで、覚え込ませてください。次にその声を頭で再現しながら、つまり思い出しながら改めて録音してみてください。


 「どうしても自分の声のなかに『いい声』が見つからない場合」には、普通に話している声の少し低めを意識しながら、ゆっくりと喋って、いろいろな場面を録音してみる、という方法が紹介されています。
 

 要するに「まずは自分の声をちゃんと聴いて、自分に向き合うこと」そして、「いろいろ試してみて、その結果をみて自分に反映していくこと」で、専門のトレーナーに頼らなくても、「本物の声」を習得できる、ということなんですね。
 いやまあ、率直に言うと、「自分の声の録音を聴く」という時点で、僕にはかなり苦痛なのですが、そこをまず乗り越えないことには、先には進めない。
 まずは鏡をまっすぐ見よう、ということなんだよなあ。


 すべてが「声」で解決するわけではないと思うけれど、長い付き合いである自分の「声」、好きになれるのなら、そのほうが良いですよね。
 「自分の声が嫌いな8割」に属する僕にとって、たいへん興味深い本でした。

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