琥珀色の戯言

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【読書感想】僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと ☆☆☆☆☆


僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと


Kindle版もあります。

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

内容紹介
会社人生はゲームなのだ。 ゲームは勝たなきゃ面白くないのだ。 辞めたからこそわかった、会社生活を充実させるための12カ条。 大反響のブログ、待望の書籍化!


 もしあなたが、今年から会社勤めをはじめ、社会人デビューしたのであれば、この本をいま、読んでおくことをおすすめします。
 

 大学を卒業後、僕はひとつの会社に18年勤めた。
 残念ながら、僕の会社人としての人生は失敗だった。
 40歳ぐらいの時、高い壁にぶち当たった。あろうことか四方をその高い壁に取り囲まれ、にっちもさっちもいかなくなった。
 そして、42歳の時に、僕は会社を辞めた。
 もちろん、周囲には前向きな退社であることを強調したけれど、本当のところは、どうしても会社に自分の居場所が見つからず、負けて、傷ついて、ボロボロになって、逃げるようにして辞めたのだった。
 当時の僕の上司、優しく頭脳明晰でその後とても偉くなった人に最近会った時、そんなことをふと漏らしたら、「君が!」と、とても驚いていた。

 僕は著者が会社人生に限界を感じて辞めたのとちょうど同じくらいの年齢であり、同じように「こんなはずじゃなかったのに、敗れてしまった人間」なので、ものすごくヒリヒリした気持ちを抱えながら読みました。
 「仕事だけが人生じゃない」「出世とか望まない」そう思っているつもりだったし、自分は「そういう人間」のはずだったのに、いざ、こうして人生の転機みたいなものを迎えてみると、「こんなはずじゃなかったのに」という思いが、溢れてきてしまう。
 客観的にみれば、僕がやってきた仕事の実績と現在のポジションを考えると、「こんなもの」あるいは、「このくらいのことしかできずに、よくここまでやってこられたものだ」なんですよ。
 でも、本当にそれを認めなければならないことを突きつけられたとき、僕はとてもつらくなったのです。
「ガツガツしていない人間」だと「自他ともにみとめていた」はずなのに。

 ところで、僕は社長になりたかったのだろうか?
 いや、それは違う。
 僕の会社は百貨店だったから、社長になるためには通常、大きな店の店長を務めることがひとつのステップになる。だが、僕は店長になりたいと思ったことは一度もなかった。
 ただ、僕は負けたくはなかった。僕ならではの素晴らしい仕事をして、みんなを驚かせ、会社のために役立ちたかった。
 社長にはなりたくないが誰にも負けず、店長にはなりたくないが会社のために大きな貢献がしたかった。
 ここに僕を失敗させた考え方が、シンボリックに表われている。要するに、矛盾しているのだ。

 リアルに想像してみればいいのだ。10年後、「あなたはもうひとつです。同期の○○さんより、後輩の△△さんより、能力が劣ります」と言われ、昇格して上司となった○○さんや△△さんのデスクに承認の判をもらいにいくところを。あるいは、そういう人たちがあなたの会社でのキャリアを自由に決定できるところを。彼らはあなたを引き上げてくれるかもしれないが、あなたをアフリカの支社に飛ばしたり、リストラ候補者名簿の最後にあなたの名前を書き込むかもしれないのだ。
 そんな想像があっさりと喉を通って飲み下せるなら、僕があなたに伝えるべきことは何もない。
 たいていの人は(そう、僕のように)、普段は出世なんてと言いながら、いざ出世できないという現実を突きつけられると、風になびく雑草のようにはやり過ごすことができないはずだ。


 ああ、本当にそうだよなあ、と。
 そもそも、「上昇志向があまりない人間」って、ある程度以上の年齢になると、「行き場がなくなってしまう」ことが多いのです。
 なんとなくみんなが扱いに困っているような感じも、伝わってくる。


 これを読みながら、僕は自分の周囲のいろんな人たちのことを考えていました。
 医者として、研究者として素晴らしい実績を持っていながら、人間関係がうまくいかずに能力ほどの成功をおさめられなかった人もいるし、世渡りと調整能力と運だけで偉くなったような人もいる。
 ただ、一般的には、偉くなる人は、みんなたしかにそれなりに「説得力のある人」だったと思う。
 そもそも、自分が上司になってみると「潜在能力はありそうなんだけど、実績を出せないヤツ」よりも、「地味でも、しっかり自分の仕事をこなしているヤツ」のほうを評価せざるをえないのですよね。
 人格の優劣とか好き嫌いは別として。

 さて、特に望んで入った会社ではなかったが、僕は少なくともある一定の時期を会社に提供し、良い仕事をして少しでも多くの給与を得ようとした。
 けれども、入社してから周囲の同僚に対して覚えた違和感はあまりに強烈だった。
 なぜこの人たちは、仕事が終わった後、毎日のように酒を飲みに行くのだろう。
 なぜこの人たちは、毎日同じ相手と同じ話題を延々と繰り返せるのだろう。
 なぜこの人たちは、早く家に帰って奥さんや子どもとの生活を大事にしないのだろう。
 なぜこの人たちは、つまらない自慢話を何度も何度も繰り返しているのだろう。
 なぜこの人たちは、上司の愚痴や会社の暗い先行きのことばかり言っているのだろう。
 なぜこの人たちは、それほど嫌なのにその状況からさっさと逃げ出さないのだろう。
 こうした疑問は、僕のように内向的でプライドだけは高い若者の多くが、会社に入って感じるものではないだろうか。


 ほんと、「あなたは僕ですか……」と。
 今から思うと、僕が「特別な人間」だから、こんなことを考えていたわけではなくて、みんな同じような意識を多かれ少なかれ抱えていたのです。
 違っていたのは、そういう自分をうまく飼いならして、会社や組織に「適応」するための努力をすることができたかどうか。
 僕は僕なりに頑張っていたつもりなのだけれど(やっぱり、手抜きをしまくってもやっていけるような業界ではなかったので)、「とりあえず、怒られないくらいの最低限のことだけ調べればいいや」とか「今日は疲れているから、飲み会には付き合わずに家にまっすぐ帰り、風呂に入って寝よう」とか。
 率直に言うと、今でも「もっとやれたのではないか」と、「あそこで無理しなかったから、とりあえずこうして生きていられるのではないか」との間で、揺れ動いてもいるのです。
 あのときは、あれが「限界」だったような気もするし。


 僕も組織に属する人間でありながら、自分は組織になじめない、ここは自分の居場所ではない、と思いつつ、小さな反抗みたいなものを繰り返してきました。
 こういう人生は、いつかリセットしてやろう、なんて夢想しつつ。
 
 
 でも、多くの同世代の友人・知人たちが、いまの場所から、転職したり、起業・開業していくのをみて、自分の傲慢さと間違いに気づかずにはいられませんでした。


「偉い人のゴルフや宴席につきあって、せっかくの休みを潰すなんて、バカバカしい」
「同業者の会なんて、気は遣うし、若手は便利に使われるだけじゃないか」
「何の建設的な意見も出ない会議になんて、出ても時間のムダ。本でも読もう」


 この年齢になって気づいたのは、「そういうこと」を堅実にこなして、人との繋がりや信頼を築いてきた人は、「教授」や「社長」になれなかったとしても、「第二の人生」において、有利なグリッドからスタートできる、ということなんですよね。
 人生ってモナコグランプリみたいなもので、一度スターティンググリッドが決まってしまえば、前の車を追い越すのはなかなか難しい。もちろん、ポールポジションを走っている車がいきなりエンジントラブルでリタイアすることだってあるのだけれど、それは自力でどうこうできることではありません。
 起業するにしても、転職するにしても、よほど特異な才能を持った人でなければ、「もともとの人脈」があるほうが有利なんですよ。
 新しく医院を開業するという先輩が、勤務先の偉い人の紹介で地元医師会の会長に挨拶に行った、なんて話を聞くと、そういう「応援してもらえるような積み重ね」って、大事だったのだなあ、と痛感するのです。
 僕は、上司とそんな関係を、築いてこなかった。
 

 著者は「会社人生を失敗してしまった経験」を、この本のなかで、かなり赤裸々に語っています。
 無能だから失敗したんじゃないし、周囲に対して、過剰に攻撃的で傲慢だったわけじゃない。
 でも、妥協を嫌がり、自分を知ってもらうことに重きを置かなかった。
「付き合いやすい人」になろうとしなかった。

 どうしても上司が好きになれなくて、ある時ひとりの先輩に相談したことがある。「あんな人のために働く価値なんてあるんでしょうか」と。
 その先輩はどんな上司であっても、望まれることを淡々と実現できるような人だった。僕が嫌いだったその上司ともうまく付き合って、その人のために熱心に仕事をしていたので、その先輩の意見をぜひ聞いてみたかったのだ。
 その上司と信頼関係を築いているように思えた先輩の返答は、意外なものだった。
 彼はその上司について、「確かにアタマは切れるけれど非常に利己的な人だ」と言ったのだった。ここで書くことは憚られるような具体例を教えてくれ、さらにこう諭してくれた。
「そういう人だと割りきって付き合うといいんだよ」と。
 確かに、その先輩が言うように、僕はそういう上司を好きになる必要はなかったのだ。そういう人だと割り切って、嫌われることのないよう、望まれる仕事をちゃんとこなせばよかったのだ。


 ネットには「会社に滅私奉公するなんてバカだ」「自分の時間を大切にして、ワークライフバランスを重視せよ」という言説が溢れています。
 そうだそうだ、と思っている人にこそ、この本を読んでみてほしい。
 自分の時間は、ものすごく大事です。
 でも、人生というのを長いスパンで考えた場合、「自分を捨てて、チームプレーに打ち込むべき時期」は、あるのかもしれません。
 逆に「家族のための時間を必要とする時期」もある。
 実際のところ、仕事がイヤだからと「家族のための時間」をつくろうとし、家族とうまくいかないから「やっぱり仕事が大事」なんて行ったり来たりしてしまうのは、ワークライフバランスとはかけ離れているのに。
 僕も「今やりたくないことを、やらない理由」として、「バランス感覚」を持ち出していたのです。


「勝った人」の話、成功体験は、ネットでも、本でも、いくらでも読むことができます。
 自分は、ここをこうやったから、うまくいったんだ、と。
 でも、「うまくいかなかった、普通の人」のことは、ほとんど表に出てこない。
 世の中の大部分の人は、「大成功者と同じことなどできない、普通の人」なのに。
 野村克也監督に「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という言葉があります。
「負け」から学べることってたくさんあるのに、多くの人は他人の「成功体験」に酔うだけで、時間を浪費してしまう。
 逆にいえば、勝った人には、「負けた人間が、なぜ負けたか」は、よくわからないはず。
 負けた人間には、「あの人が勝った理由」って、けっこうわかるのだけど。


 以前、このエントリで、finalventさんの本について「普通の人の普通の人生を読むことができるのが、ネットの魅力」だと書きました。
 これは、まさにそういう「普通の人の貴重な失敗体験をきちんと明かしてくれている」本なのです。
(まあ、京大卒で、ブログもこれだけ書き続けられる人が「普通」なのか、という意見が出てくるのもわかるのだけれども)


 人生がゲームであるのなら、楽しんだほうがいい。
 そして、ゲームというのは、負けるよりは、勝っているときのほうが、楽しい。
 そもそも、目的もなくルーレットを回しているだけのゲームなんて、楽しいはずがない。


 仕事中毒になって、家庭をないがしろにしろ、とか言っているわけではありません。
 ただ、「仕事をしなければならないのなら、人と付き合っていかなければならないのなら、そこにポジティブに立ち向かっていくことを恐れるべきではない」ということです。
 たぶん、うまく立ち回っているように見える人たちだって、みんな「怖い」し、「めんどくさい」はず。
 でも、立ち向かっていったからこそ見える景色みたいなものって、たぶん、きっとあるんだと思う。
(残念ながら、僕にはその経験を語ることはできないのだけれど)


 著者が会社人生にピリオドを打った年齢は、いまの僕と同じくらいでした。
 だからこそ、その挫折から、どうやって「第二の人生」を切り開いていったのか(そして、「お父さんと会話が成り立たず、二人っきりになるのはイヤ」とまで言っていた娘さんが、どのようにして一緒に仕事をしてくれるようになったのか)、この続きを読んでみたいと思っています。


 「負けた」と認めることは、ものすごくつらい。
 でも、そこが、新たなスタート地点なのだと思う。
 
 
 僕も、自分と同じ失敗を、これを読んでいる人にはしてほしくないのです。
「こんな世の中、間違っている」僕もそう思うよ。
 でも、世の中と同じくらい、あるいはそれ以上に、自分自身も間違っている。
 だから、ぜひこの本を、読んでみていただきたい。


 

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