琥珀色の戯言

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【読書感想】変わるしかなかった。 ☆☆☆☆


変わるしかなかった。

変わるしかなかった。

内容(「BOOK」データベースより)
勝つためにカープも変わり、僕も変わった。勝てないチームから勝てるチームへ―。意気込みが空回りして負け続けた1年目。勝つために引くことを選んだ2年目。土壇場でAクラスを掴み損ねた3年目。16年ぶりのAクラス、初のCSに導いた4年目。それでも勝ちきれなかった監督最終年。今振り返る、葛藤の日々―。監督・野村謙二郎の5年間。


 「ノムケン」こと、野村謙二郎監督は、「良い監督」だったのか?


 カープファンとして、ずっとBクラスの暗黒時代を見てきた僕としては、16年ぶりのAクラス、そしてCS進出は、すごく嬉しかったのです。
 その一方で、カープが相対的に強くなったのには、ドラフトの逆指名がなくなったり、FA権を取った選手が、国内の巨人や阪神ではなく、メジャーリーグに移籍するようになったり、というような要素が大きいような気がするんですよね。
 昨年など、肝心な試合でことごとく負けて3位、でしたし。
 この本のなかで、野村謙二郎前監督自身も、「この5年間で克服できた弱点もあるし、できなかったものもある」と仰っています。
 とはいえ、この5年間のカープの成績が、ノムケンじゃなくても可能だったのか?と問われたら、やっぱり難しかったかもしれません。
 野村謙二郎監督になって、球団が補強にお金を使ってくれるようになったことも大きい。
 オーナ―との人間関係も大事だよなあ、と。

「準備はできてるだろうな?」
 それはいきなりだった。あまりにも突然だった。
 電話の主は広島東洋カープ松田元オーナ―である。オーナ―は僕の携帯電話に直接電話をかけて、単刀直入に切り出してこられた。
 僕は面食らった。何の前触れもなく電話がかかってきて、「準備はできてるだろうな?」と訊かれることなんてめったに起こることではない。
 しかし僕は頭の片隅で「これがカープというチームの特徴かもしれないな……」と考えていた。組織の人間関係がフランクで垣根というものがあまりなく、トップが直接電話をかけてくるようなアットホームなチームなのだ。

 あちこちで訊かれてきた質問だが、監督就任の前提として「将来的にカープの監督をやってほしい」という言葉だったり口約束のようなものは、僕と球団のあいだでは一切なかった。テレビや新聞などで「ゆくゆくは野村で――」と書かれていることも知っていたが、そういう話は本当になかったし、現役時代は家族を守りつつ家のローンを払い終えることに懸命で、先のことなんて考えられる余裕はなかった。


 この本を読んで驚いたのは、「既定路線」のはずだったノムケンの監督就任が、実際にオファーが来るまで、球団から正式に言われたことは一度もなかった、ということでした。
 「次は野村謙二郎」というのは、当時のカープファンの共通認識ですし、本人もそのつもりではいたようですが、監督候補の扱いって、そういうものなのか、と。
 そして、オーナ―からいきなり「直電」で、「準備できているだろうな?」なんて。
 風通しが良いのか、あまりにも前時代的なのか……


 今年からカープの監督を引き継いだ緒方監督は、ずっと野村監督の傍にいて「帝王学」を学んでおり、そういう意味では「覚悟はできている」と思われます。
 しかし、いまのカープの成績をみていると、政権後期の野村謙二郎監督が恋しくなってくるのもまた事実。
 ノムケン就任最初の年などは、成績も悪く、監督はいつもサングラスをかけて唾を吐き、あたりをにらみつけているだけ、という、悪いイメージしかなかったんですけどね。
 前任のマーティー・ブラウン監督は、ファンサービスを重視したフレンドリーな人だっただけになおさら。
 

 僕は父の想いを継ぐように野球に打ち込んだが、父の野球の教え方はスパルタだった。そもそも父は典型的な昭和の親父で、ちゃぶ台はひっくり返すし、容赦なく手は上げるし、何かあるたびに僕を蹴る。それが日常茶飯事という人だった。
 野球に関する最初の記憶は”壁当て100球”という練習だ。小学校1年生のときにやっていたもので、壁にボールを当てて、それをキャッチするという簡単なものだ。それを100球続けてやればいいというだけのことである。
 ただし、一度でもボールを落としたらカウントはゼロに戻る。

 僕は父と同じ佐伯鶴城高校に進み、そして駒澤大に進学した。駒澤大の太田誠監督は僕の恩師と呼べる存在だが、大学に入学するとき、父は太田監督に宛てて手紙を書いている。その内容は「今日から謙二郎は私の子どもではありません。大学に入学した以上、あなたの子どもですから、死んだら骨だけ返してください。それだけで十分です」と。つまり、極端に言えば親元に帰してくれなくてもいい、ということで、それくらいの覚悟で僕を鍛えてほしいというメッセージだった。

 あと指導者ではないが、厳しかったという意味で忘れられないのが前オーナーである故・松田耕平さんの存在だ。前オーナ―は誰よりも野球に熱心な方で、僕は試合終了後に追いかけられたこともある。あれは優勝した翌々年の1993年だっただろうか。ふがいない負け試合に前オーナ―が激怒して、試合後、
「おまえがつまらんからチームが弱いんじゃ!」
 と叫びながらロッカールームまで僕のことを追いかけてこられたのだ。
 そのときはトレーナーに、
「ここに隠れとけ」
 と言われて、ロッカーの隅に置いてあった段ボール箱の中に入り、上からタオルをかけてやり過ごした。「気付かれたらどうしよう……」と震えながら、段ボールのすぐ上で、
「野村はどこに行ったんだ!」
「いや、さっきまでここにいたんですけど……」
「あいつにゃあ、シャンとせえって言っとけ!」
 という会話が飛び交うのを聞いていると寿命の縮む思いがした。前オーナ―には本当にかわいがっていただいたが、球団オーナーに直接追い回されたことのある選手というのは球界広しといえ僕くらいのものかもしれない。


 野村謙二郎という人は、名門大学で活躍してドラフト1位でプロに入ってきた「野球エリート」のようにみえるけれど、お父さんや高校・大学の監督など、つねに厳しい指導者(『巨人の星』の星一徹のような、と野村さんは仰っています)のもとで、スパルタ式の練習を続けてきたのです。
 そして、入団したのが「お金や設備のなさを、練習量でカバーする、広島東洋カープ」。
 なんというか、「体育会系の思考法を徹底的に植え付けられた人」だったんですね、野村さんって。
 この松田耕平オーナ―の話も、すごいですよね。カープファンだから、いやこれもチームへの愛情なのだ、とポジティブに解釈したいところですが、FAしたくなる選手の気持ちも、わかるような……


 その野村さんは、「監督」になって、大きな壁にぶちあたります。
 選手は「野村謙二郎」じゃない。
 当然のことではありますが、自分自身はその厳しいトレーニングに耐えてきたので、それができない選手がもどかしくて仕方がない。
 まるで、ワーカホリックな生き方をして、ブラック企業の社長になってしまった人のようです。
 チームも、1年目は酷い成績でした。
 

 でも、その1年目の経験で、野村謙二郎という人は、「変わった」のです。
 この本のタイトルは「変わるしかなかった。」なのですが、実は「変わらずに自分のやり方を貫いて、チームをボロボロにした末に辞める」という選択肢だってあったのです。
 野村謙二郎という監督の優れた点は、そこで「変わる必要があることに気づいた」ことと、「勇気を持って、変わろうとした」ことだと思います。

 指導方法の変化は自分の中ではとても大きいものだった。それは単に教え方を変えたということではなく、僕にとっては物事の捉え方、自分の考え方を一大転換させることでもあったからだ。
 以前も話したように、僕は野球人として指導者に厳しく育てられてきた。何度も𠮟られ、何度も怒鳴られ、なにくそと這い上がってきた野球人生だった。それが基本にあるので、最初は自分が受けた指導と同じように選手には厳しく接するのがいいと思い、実際そのように行動してきた。
 しかし1年経ったとき、はたしてそれでいいのだろうかと思ったのだ。若い選手にかつての自分の姿を重ねるのは正しいのか。もちろん優しくするとか甘やかすとか、それは自分の本意ではないし、これまで自分が受けてきた指導とは180度違う。
 だが、僕はこのように考えることにした。「世の中、自分が基本じゃないんだ。僕は特殊なケースだったのだ」と。そんなふうに考えてみると、黙って見守るという新しいやり方もそれはそれで正しいことのように思えてきた。
 普通、人は自分がしてもらって良かったと思うことを、他の人にもしてあげようとする。しかしそれはその経験が普遍的なものであればこそ役立つもので、僕の場合はまったく他の人の参考にならない例だったのだ。


 自らの成功体験を捨てる、あれは「特殊なケースだったのだ」と考える。
 それって、その成功が大きければ大きいほど、難しいことだと思います。
 でも、野村謙二郎監督は、「チームを強くするため」に、それを受け入れ、自分自身を変えていったのです。
  

 監督自身が変わることによって、チームも変わった。
 それまでは、選手との間の線をきっちり引いていたのを、なるべくコミュニュケーションをとるようにしていきました。
 なんでも自分主導でやろうとしていたのを、個々の練習はコーチに任せて、なるべく全体を広く見渡すようにもしたのです。
 この年の野村謙二郎監督には、「他人に任せる」というテーマがあったそうです。
 読んでいると、選手との軋轢とか、いざというときに登板拒否する外国人投手とか(カープファンなら、「あのときのあの投手か! ○コ○イ○……」とすぐに思い出せるはず)、シーズン後半での失速とか、「笛吹けど踊らず」という現実ばかりで、監督というのはキツい仕事だよなあ、と思い知らされます。
 そして、5年で退任した野村謙二郎の「監督観」も理解できました。

 選手が変われるタイミングとは監督が代わったタイミングであり、突然飛躍する選手が現れるのもそのタイミングだということが僕には経験的にわかっていた。
 チームには数十人の選手がいるが、彼らは現場のトップである監督とさまざまな関係を築いている。監督のことをよく思わない選手もいれば、監督のお気に入りの選手もいるし、全然目立たない選手もいる。だが監督が代わった途端、彼らにはもう一度自分の技術を売り込むチャンスが与えられる。そこにいる選手自体は変わらないのに、序列もモチベーションもリセットされ、チームはゼロからの構築が始まる。
 そんなときは「もう俺はダメかな……」と思っていた選手も最後のチャンスと思って頑張れたりするものだ。キャンプで意地を見せていいプレーを披露して、そのまま一軍入りして活躍――それが起こりうるのが監督交代というタイミングなのである。
 だから僕は監督というのは長く続けるものではないと思っている。特に現有戦力を刺激して、選手の能力を底上げしていかなければならないカープのような球団において、マンネリは絶対避けなければいけないことだ。

 長期政権というのは、選手にとっては良い面と悪い面がある。
 カープのように、新しい選手を育てながらペナントレースを戦わなければならないチームにとっては、5年は、むしろ長過ぎたのかもしれません。


 黒田投手が帰ってきたにもかかわらず、カープは前半戦、苦戦しています。
 負けると監督の采配というのは槍玉にあがりやすいもので、「ノムケンのほうが良かったなあ」などと言いたくもなるのです。


 野村謙二郎は、「名将」だったのか?


 たぶん、違うと思う。少なくとも、「生まれつきの将としての器というか、冷徹さがあった」とは言いがたい。
 優しい人で、選手の気持ちもわかるだけに、つらかったのだろうと思う。

 監督をやっていてもっとも苦しかったのは、選手を二軍に落とさなければいけないことだ。それに比べたらメディアに叩かれたり、ファンからヤジを浴びることくらいなんでもない。それは自分が背負えばどうにでもなるからだ。
 だが監督はどんなに頑張っている選手でも二軍に落とさなければならないときがある。彼らに家族も子どももいることも知っている。自分も選手時代を思い出すと、使ってくれない監督は嫌われるということはわかっていたので、彼らの苦しさや怒り、やり切れない気持ちは肌に刺さるように感じられた。
 眠れない日が何日もあった。シーズン中、2日間寝ずに試合に臨んだこともある。「このまま自分はどうなってしまうんだろう?」とどうしようもない不安に襲われ、気が付けば朝になっていた日もあった。

 
 そんな中、野村謙二郎監督は、一歩ずつ、「良い監督」の階段を上がっていったのです。
 「チームのため、選手のため、ファンのために、少しでも物事を良い方向に変えていこう、という意志」と「自分自身がまず変わらなければ」と、向上心を持ち続けていたのです。
 幸運なことに、フロントも、野村謙二郎監督の成熟を、信頼して待つことができた。


 カープファンとしては、「去年(2014年)とか、もうちょっとどうにかならなかったのか……」とか言いたくもなるのですが、他球団ファンには、「ずっとBクラスのチームに、16年ぶりのAクラスと初のクライマックスシリーズ(CS)進出をもたらした野村謙二郎監督って、たいしたものだよね」というような高い評価を聞くことが多いのです。
 
 こういうのは、「身内」よりも、「外からみた評価」のほうが、おそらく、「正解」に近いのでしょう。


 ノムケンは、監督退任後も、アメリカで野球の勉強を続けているのだとか。
 心底野球が好きな人なんだなあ。
 まだ若いし、もしかしたら、またいつかカープに戻ってきてくれる日が来るかもしれませんね、野村謙二郎監督。
 そのときは僕も、若いカープファンに、「昔のノムケンはやたらと威張って唾ばっかり吐いていたダメ監督だったんだぞ、今は名監督だってみんな言ってるけどな」と、日本シリーズの観客席で昔話をしたいと思います。



 ……いや、そんな先の夢のような話じゃなくて、今のカープを誰かなんとかしてくれ……
 マエケンと黒田がそろい踏みしているのって、今年だけなのに……
 今年の監督がノムケンだったら、違う結果が出ているんじゃないか……


 ほんと、世の中って、うまくいかないものだと思いますよ。
 2015年のシーズンは、まだ始まったばかり、なんだけどさ。

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