琥珀色の戯言

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【読書感想】洋子さんの本棚 ☆☆☆☆


洋子さんの本棚

洋子さんの本棚

内容紹介
本と人生を語り尽くした、滋味あふれる対話集。
ともにたいへんな読書家で知られる小説家・小川洋子氏とエッセイスト・平松洋子 氏。
同世代で同郷のお二人が古今東西の名作を入り口に、文学とおんなの人生の来し方 行く末を語り尽くした対話集。
それぞれの本棚から飛び出した30冊と1本に、ケストナー増井和子、タブッキ、白 州正子、倉橋由美子深沢七郎藤沢周平、オースターetc……。
語られるのは、少女時代の思い出から人生の旅立ちまで……。
巻末に抱腹絶倒の「人生問答」を附録。実践的かつ滋味深く、今日からあなたの人 生の良き道標となることまちがいなし。


 小川洋子さんと、平松洋子さん。
 僕はお二人とも大好きなので、どんな話になるのだろう、と期待しながら読み始めました。
 ともに読書家としても知られており、年齢が近く、子どもの頃、岡山に住んでいたことなど、共通点も多いのですよね。
 名前も同じ「洋子さん」ですし。
 終始和やかな雰囲気ではあるのだけれど、読んできた本の話や、ところどころに出てくる「女性としての生き方」には、ハッとさせられました。
 僕自身には「男だから」「女だから」というのは過剰に意識しすぎてはダメだな、という意識があるのですが、やはり、男には理解しがたい部分もあるのかな、と。


 このふたりの「読んだ本の記憶」は、実に鮮やかで、僕も読みながら、子どもの頃のことを思い出してしまいました。
 第一章の「少女時代の本棚」より。


 石井桃子さんの『ノンちゃん雲に乗る』の話。

小川洋子長く読み継がれている本には、やはり理由があると思いました。


平松洋子『ノンちゃん雲に乗る』も、今でこそ分析することも可能ですが、私がなによりはっとしたのは、お母さんに名前があるとノンちゃんが知ったあとの「それまで一つだったおかあさんとノンちゃんのあいだに、すきまができました」という一文でした。小学校二年生の女の子が、雲の上にいるおじいさんと出会い、生い立ちについて尋ねられて、お母さんのことを話す。そこで名前の話になるわけです。


小川洋子ノンちゃんにとってお母さんは、お母さん以外の何ものでもなかった。だからお母さんにも名前があると知って愕然とする。ここではおじいさんがカウンセラー役です。


 僕も自分の子どもに絵本を読むようになって、あらためて絵本の「奥深さ」みたいなものに気づかされることが多くて。
 作品にもよるけれど、「子ども向け」であることは、けっして「子供騙し」じゃない。
 この「お母さんの名前」の話って、なんだかちょっとせつないですよね。
 人間にとっての「成長」とは、「すきま」を感じるようになる、ということでもあるわけで。


 この二人、「馬が合う」ことは間違いなのだけれど、こんな「違い」も出てきます。

小川:私の旅の経験については、ここでお話すべきようなことは何もありません。とにかく私、旅が大嫌いなんです。


平松:えっ。今でも?


小川:はい。家にじーっといるのが好きなんです。旅に出るのは、本当にやむを得ない場合だけです。


平松:じゃあ、最初に飛行機に乗って海外に言ったのは?


小川:新婚旅行です(キッパリ)。ね、やむを得ないでしょう。


平松:ある意味、たしかにやむをえない(笑)。行き先は?


小川:ハワイと西海岸です。


平松:どうでした?


小川:この出不精な自分が、アメリカまでたどりつけたという事実に感動しておりました。平松さんには笑われると思いますが、旅慣れない者にとってはスーツケースを納戸から引っ張り出してくること自体が面倒くさいんです。


平松:あ。すでにそこから(笑)。


小川:そう。飛行場まで行っただけで、もうへとへと(苦笑)。


 僕も出不精なので、小川さんの気持ち、よくわかります。
 でも、僕の場合は、実際に旅がスタートしてしまえば、開き直れるのか、けっこう楽しめてしまうんですけどね。
 出かける前日は、ものすごく憂鬱なんだよなあ。


 巻末には、お二人への「質問コーナー」もあって、ファンにとっては、すごく楽しめると思います。
「あまり好ましくはないことだけれど、やめられないことはありますか?」という質問に対して、

小川:あります。あります。誰かのどうでもいいブログを読むこと。どこの誰とも知れない人が、晩御飯に何食べたとかね。そんなこと読んで何になるんだろうと思いながら、ついつい。


平松:小川さん、たしか『婦人公論』もお好きなんですよね。


小川:はい。『婦人公論』大好きです。読者の体験記。人の裏側のどろどろしたところを見ると、人間って一生懸命生きているな、かわいいなと思います。


 小川さんが、そんな「ネットウォッチ」みたいなことをしているなんて……
 でも、考えてみれば、個人ブログというのは、そういう「ついつい見てしまう人」の存在に支えられているのかもしれませんね。
 ちなみに「30分くらいうろうろしていると、そろそろこれはさすがにマズイな、となる」そうです。
 30分で済むなら、まだまだ大丈夫です!


 小川洋子さん、平松洋子さん好き、あるいは、本好きにとっては、かなり楽しめる対談本だと思います。
 それにしても、世の中には、いろんな本がある。
 深瀬昌久さんの『洋子』という写真集のこんな話を読んで、僕は悶絶してしまいました。

平松:写真の数だけの人がここにいる、そこが深瀬昌久という写真家の凄さだと思います。どれひとつとして同じ人ではない。でもここまでカメラで剥ぎ取るように、その人の人間性を剥いでいく撮り方をされたら、やっぱり嫌だったろうなと。のちにふたりは離婚するのですが、これは一緒にいられない、日常生活うをともにするのは難しいだろうなという気がします。


小川:私小説家の家族が迷惑をこうむるみたいな。


平松:まさに。だって日常生活の中に、ある種の虚構性みたいなものを無理やりねじこまれているわけですから。


小川:台所の流しのところで裸で立っている写真とかね。


平松:撮影するという行為に煽られて、あの状況になったのだと思う。


小川:もっとも日常的な場所である台所とヌードという非日常的なものを合体させるためには、やっぱり何か無理が必要になってくる。その無理な部分が作品として厚みになる。洋子さんのお母さんと洋子さんが並んでヌードになっている写真もあって、圧倒されました。


平松:家族が虚構を演じている。非日常に巻き込まれていて、鬼気迫るものが漂っています。


「表現」って、魔物だよな、そりゃ離婚するよな……と。