琥珀色の戯言

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【読書感想】池上彰の「経済学」講義 歴史編 戦後70年 世界経済の歩み ☆☆☆☆


内容紹介
テレビ東京BSジャパンの放送でも話題。
池上彰愛知学院大学・2014年講義を書籍化。
戦後社会の歴史と仕組みを経済の視点から読み解く池上「経済学」講義。東西冷戦、日本の戦後の歩みなど、歴史を学ぶことで未来が見えてくる。
戦後70年の今こそ必読!


第1弾 歴史編
戦後70年 世界経済の歩み
プロローグ 経済学を学ぶということ
1 経済、そして経済学とはそもそも何か
2 廃墟から立ち上がった日本
3 東西冷戦の中の日本
4 日本はなぜ高度経済成長を実現できたのか
5 成長の歪み――公害問題が噴出した
6 バブルが生まれ、はじけた
7 社会主義の失敗と教訓――ソ連、東欧、北朝鮮
8 中国の失敗と発展
テレビでも話題の愛知学院大学講義を書籍化! !


 池上彰さん、東京工業大学での講義も書籍化されていましたが、今回は2014年に愛知学院大学で行われた「経済学」の講義です。
 大学の講義としてはたいへんわかりやすく、まさに「経済学部ではない人のための、教養としての経済学」という感じです。
 そして、「第二次世界大戦後の経済について語る」というのは、まさに「第二次世界大戦後の現代史を語る」こともであるんですね。
 これまでに上梓されてきた、池上さんの現代史講義と重なってくるところも多々ありますが、「経済」を抜きにしては、いまの世界のありかたを知ることはできない、ということをあらためて考えさせられます。
 「物質的な豊かさよりも、心の豊かさ」なんて言うけれども、「普通の人間というのは、まず物質的にある程度満たされていないと、『心』云々なんて言っていられない」というのもまた、日本人が、僕の親世代が経験してきた「歴史的事実」なのです。

 では、経済学とは何なのだろうか? 経済学部の学生さんは1年のときにそれはちゃんと習ったはずですからもういまさら聞きませんけれども、経済学とはそもそも何か? よくこれはお金を儲けるための学問だと考えている人がいるかもしれません。確かに経済学をうまく使ってお金持ちになる人も中にはいます。ですが、経済学を勉強していればみんな、お金持ちになるのか? 経済学部の先生はみんな、お金持ちか? きっとお金持ちの人もいるでしょうが、みんながみんな、お金持ちとは限らないですね。それはなぜか? 経済学とはお金を儲けるための学問や、お金持ちになるための学問ではありません。いろいろな定義がありますが、私の定義はこちらです。
 経済学とは、「資源の最適配分」を考える学問」


 「経済学の講義」というと、マルクスケインズフリードマン、最近ではピケティさんなどの「経済理論」の解説が続きそうなイメージなのですが、この本のなかで、池上さんの口から、彼らの理論についての詳しい解説がなされるわけではありません。
 マルクス、レーニンにより「共産主義」が生まれてから、資本主義陣営と共産主義陣営との「冷たい戦争」、そして、「東側」の没落と「世界の工場」としての中国の経済的繁栄と政治的な葛藤などが順を追って語られていくのです。
 もちろん、第二次世界大戦後の日本の経済的な繁栄、朝鮮戦争による特需や所得倍増論、バブル経済とその崩壊についても辿っていきます。
 

 読んでいて興味深かったのは、池上さんが現在、2015年の視点から、それぞれの時代を観るだけではなく、「当時の人は、その時代をどう観て、感じていたか」ということを伝えようとしていることでした。

 東京オリンピックが1964年(昭和39)年に開かれました。その前に、これからは外国からのお客さまを迎え入れるのだから、町をきれいにしようという一大運動が起こりました。町じゅうでそこらにぺっぺっと痰を吐かないように、という一大キャンペーンです。国鉄の各駅のホームには、白い陶磁器の痰壷というのが置かれて、「痰はここに吐きましょう」という一大キャンペーンがありました。信じられないでしょう? みんな、ゴミは道路にポイポイ捨てていたのですね。ゴミは道路に捨てるのが当たり前の状態。それが1964年、外国からお客さまが来るときに、町じゅうゴミだらけではみっともない。ゴミは町に捨てないようにちゃんと持ち帰りましょう、あるいはゴミ箱に捨てましょうという一大キャンペーンが張られ、やがて日本全国、町がきれいになっていったのです。
 いまでこそみなさんは当たり前、日本は昔からそうだと思っているかもしれませんが、そうじゃないのですね。高度経済成長、とりわけ東京オリンピックをきっかけに、日本は劇的に変わり、人々の意識も変わっていったのです。


 九州で生活していると、東アジア、とりわけ中国からの観光客のトイレでのマナーの悪さ、みたいな話をよく耳にすることがあるのです。
 それに比べて、日本人は清潔好き、きれい好き、だと思い込んでいたのですが、一昔前の日本人も、そんなに立派なものではなかったんですね。
 「痰壷」なんて、それを「処理」する際の光景を想像しただけで気分が悪くなってきます(わざわざ想像するな、という話ではありますが)。
 いま、「あの国の人たちは……」と日本人が批判している人たちは、「まだこれから衛生観念が進んでくる段階の人たち」であり、「日本人と違うわけではなく、ちょっと遅れてやってきているだけ」なのです。
 中国の大気汚染についても、「日本でも公害病が起こっていたが、その被害の深刻さが明らかになるまでは、『工場の煙は日本の発展の証』だとポジティブにとらえられていた」ことと対比されています。
 そして、「だからこそ、先に公害による大きな犠牲を経験した日本にできることがあるのではないか」とも。
 歴史を学ぶというのは、民族や文化、言語の「違い」を知るだけではなくて、「人間というのは、さまざまな違いがあっても、けっこう同じようなことをしてきた」というのを学ぶことでもあります。


 この講義を読んで、池上さんは「経済理論」よりも、「経済学にはさまざまな考え方があるけれど、結局のところ、経済を動かしているのは人間の曖昧な『気分』という面がある」ことを伝えたいのではないか、と僕は思いました。
 「経済」に対して、人類はずっと試行錯誤を続けていて、いまだに「正解」を見つけることができない、ということも。
 資本主義が共産主義に勝ったというのは歴史的事実だけれども、それは、資本主義が理論としてすぐれていたというより、「人間は、みんな平等の分け前しか与えられない世界では、いかにして手を抜くかしか考えなくなってしまう生き物なのだ」ということが証明された、という悲しい現実なのです。


 人間が「似たようなもの」であるからこそ、「システムによる違い」というのは際立ってくるのです。
 東ドイツでつくられていた『トラバント』という自動車が例としてあげられています。

 ドイツは、第2次世界大戦後、東西に分かれましたよね。西ドイツは資本主義の国でした。だから自動車でいえば、フォルクスワーゲン、あるいはベンツやBMW、大手の企業が、激しい競争をすることで、新しい技術がどんどん開発されていくわけです。そして、世界中にベンツやフォルクスワーゲンBMWが溢れるようになりました。その同じドイツの国民が、東ドイツ側では、このトラバントをつくり続けていたというわけです。この車は、中を見ると、一部段ボールが使われています。段ボールですよ。いろいろな加工で鉄などが難しいからといって、段ボールを使っていたとはね……。


 もともと同じドイツの国民だったのに、資本主義の西ドイツと、社会主義東ドイツには、1989年のベルリンの壁崩壊の時点で、ここまでの差がついてしまっていたのです。
 いやしかし、車に段ボールなんて、それはそれで、よくやったというか何というか……
 もともと同じ国民なわけですから、資質にそんなに違いがあるはずがない。
 でも、環境によって、生み出されるものは、こんなに変わってしまうのです。
 そう考えると、「経済政策」というのは、「正解がない」ように見えますが、「違い」は確実に出てくるものなのでしょう。
 人間が「共産主義」を完璧に運用できれば、幸せだったのかもしれないけれど。


 「みんな平等」だとやる気を失う人が大多数だし、「格差」が大きくなりすぎると、社会不安は増大するし、多くの人が諦めてしまう。

 
「経済学」になかなか興味が持てない人のための、「経済入門」として、おすすめしたい本です。

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