琥珀色の戯言

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寄生獣 完結編 ☆☆☆☆



あらすじ
新一(染谷将太)の暮らす東福山市で、市長・広川(北村一輝)が率いるパラサイトたちの強大なネットワークが形成されていく。彼らの動向を注視していた人類側は、パラサイトの全滅を図るべく特殊部隊を編成して広川と配下たちの根城となっている東福山市庁舎の急襲を画策していた。静かに対決の時が迫る中、パラサイトの田宮良子(深津絵里)は人間の子供を生んだのを機に人類と共存する道を探る。新一とミギーがその鍵になると考えるが、彼は母親を殺したパラサイトへの憎しみと怒りに支配されていた。


参考リンク:映画『寄生獣』公式サイト


※『寄生獣(前篇)』の僕の感想はこちらです。


 2015年11作目。
 5月1日、「映画の日」のレイトショーを観賞。
 観客は30人くらい。「前編」を観たら、やっぱりどうなるのか気になるのかな。
 公開された週末の興行収入はいまひとつで、「前編」を観て「続きが気になった」という人と、「このグロテスクな映像は、ちょっと合わないな」と感じた人と、けっこうはっきり分かれてしまったのかもしれない。
 あるいは、前編から半年というブランクで、熱が冷めてしまったのだろうか。
 テレビで前編の内容をダイジェスト的に紹介して、なんとか観客を集めようとしてはいたみたいだけれども。

 去年の年末に「前編」を観たときには「完結編って、ゴールデンウイーク前公開なのか、だいぶ先の話だな……」と思ったのだけれど、時間が経つのは早い。年をとると月日が過ぎるのを早く感じるというけれど、確かにそうみたいだ。
 半年くらい経つので、内容もすっかり忘れていると思いきや、冒頭のおさらい的なものを観たら、だいたい思い出せた気がする。


 今回の『完結編』は、前作に比べると、グロテスクなシーンは控え目。
 今度は人間側が攻勢になっていく。
 パラサイトという「天敵」に対する、人間側の反撃というか、徹底的な駆除をみていると、「人間のほうが怖いのかもな」とは思う。
 1対1で戦えば、人間が彼らに敵うわけがないのだが、人間には武器があり、テクノロジーがあり、何より、数が多い。
 人間が「本気」を出せば、彼らを殲滅することは、不可能ではないのだ。
 いやむしろ、「前編」であれだけ怖くみえた寄生獣たちが、あっさりと虐殺されていくことに、僕は怖さを感じてしまった。
 本当に、これで良いのか?
 しかも、相手のなかにも「共存」を望む勢力があって、「時間は少しかかるかもしれないが、生物としての習性を変えて、そちらに迷惑をかけないようにするから」とまで言っているのに。


 それでも、種として、というか、自分自身や身近な人を守るためには、相手の事情に構ってはいられないのも現実だろう。
 もし子どもが襲われそうになったら、特別天然記念物の稀少動物だって、銃を持っていれば撃ち殺す。
 そういうのは「生物の一員としては正しくないこと」なのかもしれないが、「ひとりの人間としての自然な感情」でもある。
 同時多発テロの後、アメリカ人の先生に「アメリカは圧倒的な戦力差があるにもかかわらず、イラクを攻撃し、結果的に子どもや女性などの市民も亡くなっている。それはあまりにも無慈悲な行為なのではないか?」と訊ねたことがある。
 彼はリベラルな人だったけれど、「そうかもしれない。だが、あのテロで、我々も、自分自身や家族の身の危険を感じているんだ。相手との戦力差があっても、『やらなければやられる』という恐怖は消えるわけじゃない。たとえテロの犠牲者が1人であっても、それが自分の大事な人じゃないとは限らないから」と答えてくれた。
 一度相手に「恐怖」を感じてしまうと、「共存する」ことへのハードルは、ものすごく高くなってしまう。
 生きる、生きようとするのは、綺麗事だけでは済まされないのだ。
 「集団としての理想や理念」と、「個体としての生存欲求」は、ときに、相反することがある。
 そんなときに「集団のために自ら犠牲になる人」もいるのだけれど、大部分の人間は、たぶん、そんなに英雄的ではない。
 警察が「パラサイト狩り」をしているシーンをみながら、「ああ、戦争中の強制収容所とか、『民族浄化』とかは、こんな感じで行われていたのかもしれないな」と考えずにはいられなかった。
 これは、人間が人間に対してやっていることでもあるのだ。
 そして、やっている側にとっても「これが正義だと思わないと、やっていられない」のだ。


 6ヵ月の次男がいる僕にとっては、赤ん坊が出てくるシーンを見ているだけで、なんだかとてもいたたまれなくなってしまった。あれはズルいよ……
 すべてを「母性」で説明しようというのは、あまりにも安易なのではないか、とは思うのだけれども。
 戦争が行われている場所では、相手が赤ん坊であろうと、無慈悲に虐殺する連中だっている。


 これは、「寄生獣対人類の戦い」の物語のようにみえるけれど、実際は、「戦い」というより、「人間が徹底的に異物を排除していく姿を描いたもの」なんだよなあ。
 新一が主人公であり、個々の寄生生物の圧倒的な力から、どう生き延びていくかが見どころではあるのだが、人類対寄生生物という大きな枠組みでの戦いは、ワンサイドゲームでしかない。
 新一はガンダムアムロ・レイみたいなもので、この戦いの英雄であり象徴ではあったけれど、戦局を左右するほどの力が一人の人間にあったわけではないのだ。
 どんなに協力な寄生生物でも、警察や自衛隊が犠牲を厭わずに強力な武器を使えば、排除されてしまうだろう。
 個々の人間は弱いけれど、集団としての人間は、強い。
 そして、とてつもなく無慈悲になることがある。


 「人間が増えすぎている」というのは、いま、2015年に聞くと「でも、日本は少子化で人口が減ってきているのだよなあ」と、ツッコミを入れたくなるし、「原作が描かれた時代背景」を考えてしまう。ちょっと古いな、と感じるのだ。
 地球全体でいえば、人口はまだ増えているのだけれども。

 
 この物語に説得力を持たせた映像の力もすばらしかった。
 ものすごくリアル、というのではなくて、ちょっとコミカルな悪夢のように描かれているというバランスが良かったような気がする。
 
 「前編」に比べると、ちょっと説教臭いというか、山崎監督らしい「そこまでテーマを自分で言っちゃうの?」という感じはあるのだけれど、それでも、なかなか良い作品ではあると思います。
 終わりそうでなかなか終わらないラストは、ちょっとクドいかな、という感じもしたのですけどね。

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