琥珀色の戯言

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【読書感想】シェフを「つづける」ということ ☆☆☆☆


シェフを「つづける」ということ

シェフを「つづける」ということ

内容紹介
10年で奇跡 30年で伝説


イタリアで修業した15人、その後の「10年」を追う。


2000 年代、シェフになることを夢見てイタリアに渡った若者たちが、不景気とそれぞれの人生の現実に直面し苦闘する10 年を追う、渾身のノンフィクション。


低迷する経済、激変する環境のなかで…。
「継続する」ことの困難と喜び。


働き「つづける」すべての人に贈る一冊!


「はじめた」ひとたちは、
「つづけた」その先をどう生きている?
――西村佳哲(働き方研究家)推薦


■本書に登場するシェフたち
福本伸也『C〓 Sento Shinya Fukumoto』(兵庫県・神戸市)
泊 義人『Kitchen Igosso』(中華人民共和国・北京)
堀江純一郎『i-lunga』(奈良県奈良市)
高田昌弘『Ristorante Takada』(シンガポール)
佐藤雄也『Colz』(北海道・函館市)
伊藤 健 車いすシェフ(愛知県・丹羽郡)
下江潤一『el Bau Decoration』(大阪府豊中市)
宮根正人『Ostu』(東京都・渋谷区)
中川英樹『Villa Tiboldi』(イタリア・ピエモンテ州カナーレ)
白井正幸『GITA』(愛知県・豊川市)
永田匡人『Ristorante dei Cacciatori』(京都府京都市)
武本成悦『il cuore』(大阪府・八尾市)
小曽根幸夫『リストランテ鎌倉felice』(神奈川県・鎌倉市)
青木善行『Ristorante Ravieu』(沖縄県那覇市)
磯尾直寿『ISOO』(東京都・渋谷区)


 書店で見かけて購入。
 僕は就職してからもう20年くらいになるのですけど、最近、あらためて「仕事を続けていく」ことについて考えているのです。
 医療という仕事は、一部の最先端の研究者以外の臨床家にとっては、「学術的な根拠がある治療を、いかに適切に進めていくか」であり、創造性はありません。
 人との会話のコツだとか、同じ検査をいかに苦痛が少ないようにやるかとかいうような、ある種の「改善」というか「マイナーチェンジ」みたいなものはあるにせよ、根拠もない「クリエイティブな治療」をいちいち試そうとする医者になんて、誰もかかりたくないでしょうし。

 
 仕事をやってきて、自分のキャリアの天井みたいなものが見えるような状況というのは、なんだか、気楽なような、しみじみとせつないような、そんな気分でもあるのです。
 とはいえ、自分自身と家族が生活を維持していくためには、あと20年くらいは働き続けなければなりません。
 まだ7ヵ月の次男の将来のことを考えると、ため息ついてる場合じゃないな、とも思う。
 自分が子どもの頃は、「お前たちのために働いている」という親に「めんどくさいな、こっちが頼んで生んでもらったわけじゃないのに」と反発していたけれど、大人になってみると、「そういうふうにでも自分を駆り立てないと、やってられないときもあるよな」と。


 僕自身、ずっと働いてきて、自分にとっての難敵は「めんどくささに負けそうになること」だなあ、と思っています。
 わかっていても、なかなかフットワークが軽くはならないんですけどね。
 

 この本では、著者が10年前にイタリアで修業していたところを取材したシェフたちの「その後」が紹介されています。
 自分の店を持って、うまくいった人もあり、いかなかった人もあり。海外に新天地を求めた人もあれば、日本の地方都市で、自分の料理を再構築しようとしている人もいます。
 身体の機能の一部を失った人もいます。


 これを読むと、「ああ、みんなけっこう、シェフという仕事を続けているんだなあ」と感心してしまうのですが、この本に関しては、母集団が「もともとイタリアで修行するくらいのモチベーションと技術があった人たち」であることも大きいのでしょう。
 

 この本の冒頭で、「料理を仕事にすること」についての、こんな現実が紹介されています。

 告白すると、取材当時、失礼ながら帰国後にシェフになる人は少ないかもしれないと覚悟していた。けっして「なれない」と思ったのでなく、現実問題、数だけ見れば飲食業で身を立てるのは困難だからだ。
 仕事に就いている調理師の数は、平成22年で約24万人、飲食店にかぎっても9万4000人がいる。その中へ毎年、調理師免許合格者が流れ込むことになる。平成23年の新規取得者数は4万367人だ(厚生労働省「衛生行政報告例」)。このうち何人が料理人をつづけ、何人がシェフになり、何年店をつづけていけるのか。
 けれど予想に反して十年後、シェフとなって料理も店もつづけている人は少なくなかった。
 彼らはどんな道のりを辿ってきたのか。なぜ、つづけることができたのか?
 私は、今の彼らに会わなければならないと思った。


 いまは日本を離れ、中国でイタリア料理の店を経営している泊義人さんは、イタリアからの帰国後、都内のイタリア料理店の副料理長に就きましたが、人間関係に疲れ、5ヵ月で辞めてしまいます。

 副料理長を辞めてからの泊は、先輩コックの紹介で、百貨店にあるイタリア高級食材店のイートインでアルバイトをしていた。一時的に働きながら就職先を探すつもりだったのだそうだ。だが実際は泊以外に調理できる人がいないため、休めない状況に陥った。職探しが一向に進まない中、毎日がバイトで埋まっていった。
 そういうコックは、しかし当時の日本には溢れていた。1990年代のイタリアンブームは多くの申し子を生み、こぞって現地へ渡ったものの、2000年代に帰ってみればコックは飽和状態。石を投げれば「イタリア帰り」に当たるといわれ、しかも不景気で少ない椅子は奪い合いになる。
 泊は、その競争に参加さえできないでいた。そして忙しいといっても、現実にしている仕事は真空パックの半調理品を温めること。「こんなことを言うと、紹介してくれた先輩やほかのスタッフに申しわけないですけど」と彼は何度もことわりながら、「でもはっきり言ってつまらない、楽しくないんです。今の俺は死んでいるじゃないかって」と呟いた。
「同時に(料理から離れて)やっと、自分は本当に料理を作ることが好きなんやな、ってわかったんです」


 イタリアでの修業は、けっしてラクではなかったはずです。
 この本のなかには、人種差別的な扱いを受けたという話も、紹介されていますし。
 そうやって修業してきたのに、日本に帰ってきてみれば「石を投げれば当たる」くらいの、ありきたりのキャリアでしかなかった。
 こういうのって、本当にきついだろうな、と。
「自分は特別じゃないんだ」というのを「実感」するのは、ふだんなんとなくイメージしているよりも、かなりつらいことなんですよね。
 世の中に「誰もが認める『特別な人』」なんて、ごくひとにぎりしかいない。


 『i-lunga』という店を奈良市でやっている堀江純一郎さんは、「イタリアで日本人初の一つ星」をとったシェフなのです。ところが、そんな彼でさえも、なかなか日本で自分の店を出すためのビジネスパートナーを見つけることができませんでした。

 しかし見つかるまで、それからじつに二年の月日がかかった。
 長い不況の影響もあるだろう。ビジョンをはっきりもっているだけに、名乗りをあげる企業がいても、堀江のほうで出資条件が呑み込めないこともあった。それは覚悟の上だったが、活動中、一つ想定外だったのは、「イタリアで日本人初の一つ星」が思いのほか役に立たなかったことだという。
「僕自身はミシュランの星そのものには興味がないけど、でもそれによって話の一つくらいはくるだろうと思っていたから」
 今どきイタリア帰りのコックは、何かしら武器になるものを見つけて帰らなければいけないことくらいわかっていた。だから彼は二つも用意したのだ。
 一つ目は、人よりも長く深くイタリアに根ざしてきた約9年という歳月。
 二つ目に、他者へのわかりやすいキャッチとして「ミシュラン」があり「日本人初」があった。
 なぜさほど役に立たなかったのかというと、単純に、ニュースが日本に伝わらなかったのである。だから誰も知らないし、イタリアの新聞に載ったとしても、日本語の媒体に掲載されなければ載せられないのだが、海外の情報となると、それを調べる手だてがグンと少なくなる。

 「リアルタイムでこのニュースを報じた日本のマスコミはほとんどなかった」そうです。
 海外の話だし、「日本人初」であることを確認する手間の割に、ニュースバリューには乏しい、と判断されたのかもしれません。
 「誰か」が紹介して、話題になれば、一斉に大きく採り上げられるようなニュースでも、その「誰か」がいないと、埋もれてしまうこともある。
 『情熱大陸』とかで採り上げられれば、同じ技術を持った、同じ人でも、引く手あまたになったのでしょうけど。


 「車いすシェフ」として活動中の伊藤健さんのこんな述懐は、忘れられないものでした。

「飛び越えても、飛び越えても、ハードルが次々と現れるんですよね」
 医師や看護師に「何で僕にはこんなハードルが出てくるんですかね」と訊くと、だいたい100パーセント「神様は乗り越えられる人にしかハードルを与えない」って答える、という伊藤調べの統計を教えてくれた。
 それを言われるのはどんな気持ちだったのか、訊ねてみた。
「いやあ、あれは決まり文句ですよね。あ、また言ってるってだけです」
 それ以上でも、以下でもない。その言葉で救われることもないが、傷つくこともない。ただ、いつまでつづくのだろう、とふと思うのだそうだ。


 僕はこの本を手にとったとき、「きっとこれは、イタリアにまで行って修業したのに、シェフになることをあきらめて転職したり、やる気を失ってくすぶっている人たちの物語だろう」と思ったのです。
 でも、そうじゃなかった。
 もちろん、そういう人もいて、取材を受けなかった可能性もあるのだけれども。
 

 彼らは、さまざまな形で、料理に関わり続け、それで生きているのです。
 僕は、これを読みながら、自分自身の10年前、あるいは、就業してすぐの頃のことを、思い出していました。
 当時、僕自身が描いていた、「10年後、あるいは将来の自分」と、「いまの自分」を比較してみると、あまりに違いすぎていて、なんだかとてもせつない。
 その一方で、それでも、なんとかここまで生きてきたのだ、という小さなプライドもある。
 

 「つづける」ということは、「変えていく」「変わっていく」ことと切り離せない。
 何かをつづけるというのは、何をやめるか、あきらめるか、という選択の連続でもあります。


 「つづけていること」に、少し疲れて、めんどくさくなってきた人に、読んでみていただきたい本です。
 みんな違っているけれど、みんな同じなんだよね、たぶん。