琥珀色の戯言

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【読書感想】家族という病 ☆☆


家族という病 (幻冬舎新書)

家族という病 (幻冬舎新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
日本人の多くが「一家団欒」という言葉にあこがれ、そうあらねばならないという呪縛にとらわれている。しかし、そもそも「家族」とは、それほどすばらしいものなのか。実際には、家族がらみの事件やトラブルを挙げればキリがない。それなのになぜ、日本で「家族」は美化されるのか。一方で、「家族」という幻想に取り憑かれ、口を開けば家族の話しかしない人もいる。そんな人達を著者は「家族のことしか話題がない人はつまらない」「家族写真入りの年賀状は幸せの押し売り」と一刀両断。家族の実態をえぐりつつ、「家族とは何か」を提起する一冊。


 ああ、地雷新書踏んじまった……


 この新書のタイトルを書店で見かけたときには、「ありがちな『あなたが不幸なのは、子ども時代の教育や、両親をはじめとする家族のせいだ!』って本だな、もうそういうのは読んでもくたびれるだけだから読みたくないよ……」と思ったんですよね。
 でも、なんだかベストセラーになっているらしい。
 僕も「家族」というものに対して、諸手をあげて「家族に乾杯!」とか言うような気分にはなれない葛藤を抱えて生きてきたし、ちょっと読んでみようかな、とKindle版を買いました。


 が、しかし!
 この新書の内容は、元NHKの人気アナウンサーだったという著者による、自分の家族への愚痴とハイソな生活と仲良しの友達、パートナー自慢など、ほんと「何でこっちが本代払って、おばちゃんの愚痴と自慢を聴かなきゃいけないんだ……」としか言いようがないものでした。

 
 世の中、いろんな人がいるとは思うんですよ。
 家族とうまくいっていない人だって、少なくないはず。
 僕だって、家族と理想の人間関係を築いてきた、とは言いがたい。
 でもね、ずっと生きていると、「まあ、親にも親なりの葛藤みたいなものがあったんだろうなあ、大変だったんだろうなあ」と共感できるところも多いんですよ。
 これを読むかぎりでは、著者の親御さんは、完璧な両親ではなかったかもしれないけれど、暴力をふるったり、食べ物を与えられなかったりしたわけでもなく、戦後の厳しい時代に、子どもをちゃんと教育しておられます。
 家族って、他所と比べてもしょうがないとは思うし、いわゆる「中二病」的な時期もあるのだろうけど、この著者に関しては、「この年齢で、まだ中二病?」と。
 「家族の本当のことは、わからない」と鬼の首をとったように書いてあるけれど、それが「わからない」ことくらい、みんなわかってるって……

 敗戦になり、父は落ちた偶像となった。もともと画家志望だったのが、軍人の家の長男で、陸軍幼年学校、陸軍士官学校とエリートコースを歩むことを強要される。何度もぬけ出しては、絵の学校に通い、そのたびに水を張った洗面器を持って廊下に立たされ、ついに諦める。なぜ諦めたのか。そんなに好きなら家出をしてでもその道を歩むべきなのに……
 自分の書斎をアトリエに、ひまさえあれば油絵を描き、中国の旅順やハルビンに赴任中は、風景のデッサンを送ってきた。敗戦後は二度と戦争や軍隊はごめんだと言いながら、その後日本が力をつけ、右傾化するにつれ、かつて教育された考え方に戻っていくことが、私には許せなかった。父と顔を合わせることを避け、不自由な足をひきずりながら歩いてくる姿を見つけると、横道へ逃れた。食事も同じ時間を避けて話をしないようにした。
 なぜ私は父と話をしなかったのか。感情の激しい人だけに、怒り出すのを見たくなかったからだと自分では思っていたが、父への反抗を心の支えにしていただけだったのではないか。

 中高生、せめて20代前半くらいなら、「家出してでも好きなことをやればいい」みたいな理由で、「理想像ではない親」を嫌うのもわかるのですが……


 僕の場合は、両親とも亡くなっているので、「美化」するようになったというか、「今さら悪いほうに考える理由もないし」っていうのはあるのです。
 この本で、著者が延々と父親を責めているのを読むと、「もう、そのくらいにしてあげればいいのに、こうやって公の場でも攻撃し続けるって、どれだけ執念深いんだ……」と思ってしまいました。
「仲良し家族」ではなかった僕でさえも。


 ただ、この新書がこれだけ売れているのは、著者の知名度と「家族問題」を解決してくれそうなタイトルの力だけではなくて、「家族の悪口を言いづらい、という世の中の風潮に対して、敢然と家族への苛立ちを表明してみせることへの憧れとか爽快感」もあるような気がします。
 そして、他者の、有名な人のそういう「負の感情」に触れることによって、「ああ、家族を憎んでいても、良いんだな」と、救われる人も、少なからずいるのかもしれませんね。


「あっ、こんなふうに、年を取っても、ずっと親のことを恨んでいてもいいんだ! そしてそれを、幻冬舎新書に書いちゃってもいいんだ!」
 ……たぶん、岩波新書中公新書だったら、NGだと思います。


 この新書に書かれているのは「著者自身の体験からくる親への恨みつらみと、自分がこれまで『女性の自立』のために頑張ってきたこと自慢」だけなのです。
 読んでも、あなたが抱えている「家族問題」は、何一つ改善されません。


 自分の家族の話だけならともなく、この新書の中には「それも『家族』のせいなの?」と言いたくなるような頓珍漢な主張満載です。

 飛行機の中で見た忘れられない光景がある。地方から東京へ帰る際、80代くらいの老人が、私の前の席に座った。はじめて飛行機に乗るのだろう。
 期待と緊張が全身からにじみ出ている。窓ぎわの席に座って、窓の外に視線を漂わせている。
 空が仄かに赤らんで、夕焼けに染まり始めていた。
 突然にぎやかな声と共に親子連れが乗ってきて、老人の隣に座った。子供が母親に言う。
「ねえ、窓ぎわに行きたいよう。外が見えないじゃん!」
「そうねえ、席かわってくれればいいのにねえ」
 あてつけがましい言い方に、とうとう老人は席をかわった。私は知っている。その老人がはじめての席で、どんなに窓からの景色を楽しみにしていたかということを。もう少しで私は声を出すところだった。かろうじてやめたが、家族という名の暴力に腹が立って仕方がなかったのである。


 この文章を読んで、素直に「そうだそうだ!」と思える人は、この新書と相性が良いんじゃないかな。


 この80代の人の内心を勝手に決めつけた挙句、「私は知っている」って……
 「はじめて飛行機に乗るのだろう」って、「推測」であることを最初に書いているのに……
 そして、この親子連れはたしかに厚かましいとは思うけれど、それは「家族という名の暴力」とまで拡大解釈すべきものではなくて、「この親子の個としての不心得」にすぎません。
 もうほんと、こんなのばっかりなんですよ、この本。
 自分の思い込みの正しさを疑うこともなく、気に入らないものに「家族のせい」というレッテルを貼って、ネガティブな感情をぶつけまくっている。


 僕は基本的に「とにかく家族はすばらしい!」みたいなのは嫌いです。
 でも、そんな僕でさえ「ウンザリ」という感情が心の奥からわき上がってくるのです。
 これ『家族という病』じゃなくて、『下重暁子という病』だよ……


 ほんと「正直」なんですよ著者は。正直すぎて、かえって「釣り針でかいな……」と思うくらいに。

 だから私は身をもって介護の大変さを味わったことがないのだけれど、少なからず淋しさもある。
 どうして私のまわりの人たちは、私に迷惑をかけたくないと言って、その通りにいなくなってしまうのだろう。

 これを読んで、僕は思わず、「日ごろから、他人に対して『私は頼らないから、あなたも頼らないでオーラ』を出しているからじゃない?」と呟いてしまいました。


 幸運にも、「介護をしなくてはならない立場や状況」になったことがない人の「少なからず淋しい」という言葉が、いま、「家族関係に過去(あるいは現在)の葛藤があっても、自分が何もしないわけにはいかない人」に、届くのだろうか。
 著者のアナウンサーとして、ジャーナリストとしての活動には意味があるのだと思うし、子どもをつくるよりも仕事を選んだ、というのは、ひとつの「選択」として尊重すべきでしょう。
 でもさ、家族っていうのは、基本的に選べないもので、どんなに仲が良い、あるいはお互いに没交渉でやりすごしている家族でも、構成員のひとりが重い病気になったり、ずっと介護が必要になったりするだけで、大きな問題が出てくるのは珍しいことではありません。
 なんでもかんでも「自分で選べる」わけじゃない。
 著者は「自分の運の良さを『正しさ』だと勘違いしている人」のように、僕にはみえるのです。


 この新書の感想をひとことで言うと「誰得?」でした。
 けっこう売れているみたいなんですけど(書店で18万部とか25万部とかいう数字を見ました)、ただでさえ不快指数が高い時期に、わざわざお金を出して、さらに不快なものを読んでしまうとは、残念無念……
 
 

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