琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】国境のない生き方 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
14歳で欧州一人旅、17歳でイタリア留学。住んだところは、イタリア、シリア、ポルトガル、アメリカ。旅した国は数知れず。ビンボーも挫折も経験し、山も谷も乗り越えて、地球のあちこちで生きてきた漫画家をつくったのは、たくさんの本と、旅と、出会いだった!古今東西の名著から知られざる傑作小説に漫画まで、著者が人生を共に歩んできた本を縦糸に、半生を横糸に綴る地球サイズの生き方指南!


【編集担当者からのおすすめ情報】
発売前の本書の原稿を読んだ人から、すごい反響が寄せられています。曰く、「『テルマエ・ロマエ』のヤマザキマリさんって、こんなに教養人だったの?」
ヤマザキマリさんの半生自体が、漫画みたい!」などなど。「漫画になりそうな劇的な半生」と、「驚くほどの教養人」「心を揺さぶるような言葉の持ち主」といったイメージは、どれも私の想像をはるかに超えていました。ぜひ、本書でご確認ください。


 ヤマザキマリさんといえば、「『テルマエ・ロマエ』の」と前置きしてしまうのですが、その破天荒というか、常識では考えられないような半生についても、これまであちらこちらで描かれています。
 「いいところのお嬢さん」だったのに、音楽に魅了され、勘当同然で北海道のオーケストラの奏者となり、シングルマザーとしてヤマザキさんたちを育てたお母さん。
 その「教育」についての話を読むたびに、「これは結果オーライ」というものなのではないか……と、親としての僕は考え込んでしまうのです。

 初めてひとり旅をしたのは14歳の時でした。
 オーケストラのヴィオラ奏者をしている母は、ヨーロッパに音楽家の友人がたくさんいます。一か月かけてフランス〜ドイツ〜ベルギーを巡るその旅は、もともとは母がその人たちに会いにいくはずのものでした。ところが、急に母が行けなくなったので、冬休みだった私が代わりに行くことになったのです。
 英語もろくにしゃべれない14歳の娘を、よくもまあ、ヨーロッパにひとりで行かせたものだと驚かれますが、その気持ちは、私にもよくわかります。私には息子がいるのですが、彼が14歳の時に同じことができるかと言われたら、とてもじゃないけれど無理だと思うからです。
 私の母は、いざという時、世間の常識より自分の直感を信じているところがあったので、この旅が私にとって特別なものになることに賭けたのだと思います。


 14歳の女の子のヨーロッパ一人旅。
 僕は、この話を何度か読んでいるのですが、そのたびに、「僕も自分の子どもを行かせることはできないだろうな」と思います。
 というか、「ヤマザキマリさんの場合は、それが結果的にうまくいった」だけで、その無謀な旅の最中に、心ない何者かによって、14歳の女の子は、大きく傷つけられてしまった可能性もあるわけで。
 その一方で、そういう強烈な体験と、お母さんの教育方針がなければ、ヤマザキマリという人格はこの世に生まれてこなかったとも思われます。
 「そりゃ虐待みたいなものだろ」と言うべきなのか、「信じて行かせたお母さん偉い」なのか……
 正直、「参考になる」とは、ちょっと言いがたいところも多いんですよね、この新書の内容って。
 ヤマザキマリさんという人とその人生が、あまりに個性的すぎて。


 ただ、ヤマザキさんの言葉を読んでいると、「自分の直感より世間の常識を信じてしまう」僕でも、ちょっと勇気づけられるところがあるのです。
 

 ジョブズは、きっとそういう彼自身の闘いを闘い抜くことにしたのでしょう。
 人からどう思われようと、そんなことはどうでもいい。だから人に平気でつらいことも言えるし、自分勝手なこともできる。だって向き合うべきは自分で、他者という鏡に自分を映す必要が一切なかったのですから。
 この現代社会でそんな人はまずいない。ほとんどの人は、みんな「自分は人からどう見えているのだろう」ということを意識しながら、関係性の中で自分をやりくりして生きている。ところがジョブズはそうじゃない。あくまでも「俺中心」で「俺がルール」なんです。あらゆることを「俺がこう言うんだから、それでいいんだよ」で押し通す。


 それはもう、「個性的」とか「自分らしさ」なんて枠には、とても収まりきれない。
 私が「個性的」とか「自分らしさ」という言葉に対して鼻白んでしまうのは、ジョブズのように、そんな枠なんかとっくに突き抜けた人間に、たまらない魅力を感じてしまうからでしょう。周りに好感を持たれる程度の「自分らしさ」なんて、そこで生き抜くための便宜的なもので、生ぬるく感じてしまう。もし、ほんとうに掛け値なしの「自分らしさ」みたいなものがあるのだとしたら、それはジョブズのような、もっと抜き差しならない、切実なものなのだと思います。


 この本を読んでいると、ヤマザキマリさんも、こういう「自分でもどうしようもない衝動のような、抜き差しならない、切実なもの」を抱えて生きていて、ジョブズという人間に共鳴しているのだと思います。
 いまの時代を代表する「天才」と比べるなんて、というような発想も、たぶん「凡人のもの」でしかありません。
 きっと、この世の中には、「その人がやったことが周りには理解できなくて、単なる変人として一生を終えた、スティーブ・ジョブズ的なメンタリティを持った人」がたくさんいたはずです。
 今も、きっと少なからず存在しているのでしょう。
 『嫌われる勇気』を読んで、「なるほど!」とか言っている人間は、きっと「切実」ではないんですよね。
 もちろん、僕も含めて。


 僕には、こういう人たちの生き方は、真似できない。
 こんなふうに、自分の子どもを育てることも、無理。
 でも、こういう人の存在は、普通に生きている人間にとっても、「ああ、人間って、生きづらそうな人でも、案外、居場所ってあるものなのだな」という安全弁みたいなものでもあるのです。
 

 これを読んでいて驚かされたのが、ヤマザキマリさんという人の「教養」の深さでした。
 有名大学で専門的な研究をしたわけではないけれど、ヤマザキさんは若い頃からイタリアという国で絵を学ぶのと同時に、芸術家たちと交流し、彼らから「読んでおくべき本」「見ておくべき芸術作品」などを教わり(ときには彼らにも教え)、吸収しつづけてきたのです。
 また、「ヨーロッパ人が評価した日本文化」についても、学んでいったのです。
 ヤマザキさんが歴史や美術のみならず、日本や世界の文学について、こんなに深い知識を持っていたんですね。
 恥ずかしい話なのですが、僕のなかでは、ヤマザキマリさんという人は、「歴史好きと人並み外れた度胸と行動力、そして運を活かして、漫画を描いて成功した人」というイメージだったのです。
 ガルシア=マルケス三島由紀夫はもちろん、安部公房やイタリア映画の鬼才、パゾリーニ監督、そして、『21エモン』や『日本沈没』。
 ものすごく幅広く読んだり観たりされていて、ただ消費するだけでなく、その「意味」についても、考え抜こうとしている。
 ヤマザキさんは博覧強記の人で、「小松左京さんと気が合いそう」というのも、よくわかります。
 これを読んでいて、「安部公房の作品くらいは、僕もちゃんと読んでおかなくては」と思いました。
 いやほんと、山口果林さんを愛人にしていたことだけ知っていても、ダメだよな、と。

 パゾリーニにしろ、プリニウスにしろ、いろんな政治的な軋轢の中で生きてきた人たちですから、そこで押しつぶされないために、現実をバリバリ咀嚼する丈夫な胃袋を持っていたと思うんです。
 彼らが持っていた膨大な知識量は伊達じゃないんですね。彼らにとって教養というのは、単にひけらかすためのお飾りじゃなくて、現実を生き抜くための具体的な力、進むべき道を切り開くための飛び道具みたいなところがある。
 知識をそこまで鍛えあげるには、やっぱり、自分ひとりで抱え込んでいたのではだめで、常にアウトプットして、人とコミュニケーションすることが必要。
 これは私もイタリアで痛感したことですが、教養を高めるといっても「自分はたくさん本を読んだからいいわ」という話ではないんですね。見て読んで知ったら、今度はそれを言葉に転換していく。
 これって、日本人に欠けているところではないかと思われます。
 さまざまな国籍、文化、背景を持った人たちが一緒に生活している場所では「言わなくてもわかってくれる」はあり得ない。ヨーロッパの社会においては「自分の考えをアウトプットすること」は必須の能力でもあるんです。
 ただし、それはいわゆるディベートとは違う。自己主張して、相手を圧倒することではないし、ましてや優劣や勝ち負けを競うものでもない。考えていることをアウトプットすることで、彼らは、教養に経験を積ませているんです。そうして、教養をよりブラッシュアップして、深化させていく。
 日本にも、60年代くらいまでは、こういうタイプの知識人がいたと思うのですが。


 僕は60年代を知らないので、その時代の日本にそういう知識人がいたかどうかはわかりません。
 ただ、こうしてネットで書いたりしていると、どうしても「自分のほうがよく知っている」とか「お前のこれは間違いだ」みたいな「優越感ゲーム」になりがちなんですよね。
 誰か、何かと「勝負」してしまう。
 「考えていることをアウトプットすることで、教養に経験を積ませる」というのは、本来「ネット向き」のはずなのに、それを実践するのは(僕にとっては)難しい。


 ヤマザキマリさんって、こんな教養人だったのか!と驚かされる新書であり、いろんな点で、「こんなやり方もあるのか」と考えさせられます。
 鵜呑みして全部真似することはできないけれど、それは百も承知で、ヤマザキさんは、書いているはずです。


「こんな人間もいるんだけど、あなたは、どう思う?」
 こういう生き方の粗をさがすのではなく、まずは面白がってみることが、「枠の外に出てみる」第一歩なのかもしれませんね。
 

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