琥珀色の戯言

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【読書感想】漫画編集者 ☆☆☆☆


漫画編集者

漫画編集者

内容紹介

 漫画編集者は何をつくりだしているのか?
 何かと何かのあいだに立ってものをつくる仕事に関わるすべての人へ。
 喜び、苦しみ、逡巡、充実感が息衝く、「私たちの時代」のインタビュー・ノンフィクション!


 ふみふみこ平本アキラゆうきまさみ枢やな松本大洋による描き下ろし特別マンガ「私の担当編集者」収録


 本書は、気鋭のインタビュアー・木村俊介が丹念に紡いだ、漫画が生まれる現場の第一線でたたかう5人の漫画編集者のインタビュー集です。

 漫画編集者たちの熱い想いや、「漫画編集者」という仕事について、世代もジャンルも異なる5人の編集者たちにそれぞれ、じっくりとお話をうかがいます。仕事の細かい話から、具体的な担当作品においてどのようなことを経験されてきたか、漫画編集者としてのやりがいや幸せ、いま思っていることなどを深く掘っていきます。新しい何かを生み出すことの苦しみと喜びの中で仕事をする姿を伝えていきます。そこからは、「漫画編集者」という職業の「肖像」が見えてくるのです。

 さまざまなジャンルの第一線で活躍する人から無名の人まで、これまで500人超のインタビューをしている木村俊介氏の最新作!


 著者の『善き書店員』という書店員さんたちへのインタビュー集が面白かったので、この本も読んでみました。
 登場してくるのは、いずれも人気マンガを担当したことがある漫画編集者たち。
 彼らは、なぜ編集者になったのか、そして、編集者として、漫画家とどういうスタンスで付き合っているのか?


 インターネット時代になって、「リアル書店」が減少の一途をたどってきているのと同じように、「漫画編集者」という職業にも、「本当に必要なのだろうか?」という声が出てきています。
 作家が直接自分の作品をネットにアップロードできる時代だし、作家と読者が直接「つながる」ことも可能です(それが作家にとってプラスになるのかどうかは別として)。
 昔は、新人作家の持ち込み原稿をみて「発掘」し、デビュー後は仕事場まで作家の原稿を取りに行き、完成するまで家で待っているのが仕事だった漫画編集者ですが、いまは、その仕事の多くが「代替可能なもの」になっています。
 彼らは「当事者」として、自分の仕事の現在と未来を、どういうふうに考えているのだろうか?


「月刊コミックリュウ」(徳間書店)の猪飼幹太(いかい・みきお)さんの章より。

 漫画を発表するにあたっての選択肢は増えました。版元や編集って、これまでは発表する場所を独占していたから、ほとんどの漫画家にとって必要とされていた存在なのかもしれません。ネットだけでほんとうに食える人が増えてしまったら、その時にぼくはなにをしようかな……と思うことは思います。漫画は描けないからなぁ……。そこそこの漫画家さんであっても、ウェブにアップしたものだけでちゃんと食えるようになったら、版元や編集は事実上、必要がなくなるかもしれませんよね。


(中略)


 いまは、90年代のように新人でも単行本が5万部とか10万部とか売れていくような時代ではありませんよね。だから、営業の人たちも含めて、売れたいと思っている漫画関係者はものすごく頑張っています。漫画がすごく売れていた昔だったら、「ぱふ」の取材で各社の編集部に行っても無視されたりもしていました。「うるせぇなぁ、面倒くせぇのが来たなぁ」ってよくいわれもして。新連載の話をうかがいたくて、と伝えた時に「じゃあ、コーヒーでも飲もうや」っていってくれる編集さんって、各編集部でひとりいればいいほうだったんじゃないのかなぁ。いまは、そのあたりがガラッと変わったとは思います。どの編集さんも書店をまわったりしている。そうしなければ売れないし、そこまでやってもヘタしたら売れないという状況なんです。
 それから、ネットが普及して変わったこととしては、「なにかを隠したままにしておくことはできない」という時代になりました。ばれた時にいちばんひどいことになりますよね。だから、原稿料のことにしても連載の終了や延長のことにしてもなんにしても、万が一公になっても一点のやましさもないルール、システムを構築しています。作家さんにも疑問点のないよう。しっかり説明するようにしています。

 
 ネットの普及は、編集者の仕事を厳しくした一方で、作家にとっては風通しがよくなった部分もある、ということなんですね。
 この本を読んでいると、編集者にも、自ら漫画を描いたことがある人もいれば、あくまでも「読者代表」としての目線を大事にしている人もいて、さまざまな個性があるのですが、どの編集者も「良い作品をつくる」だけではなく、「自分の担当作家の作品を売るための仕掛け」を重視しているということでした。
 編集者といっても、「編集」だけをやっているわけではないのです。


 このインタビュー集のなかで、ほとんどの編集者が、担当している漫画家との「お金の話」について語っています。
 それはものすごく大事なところだと思うのだけれど、ひと昔前は「お金の話をしないのが礼儀」みたいなところがあったそうなので、この業界も大きく変わってきているようです。
 「ビッグコミックスピリッツ」の山内菜緒子さん(『重版出来!』の担当もされているそうです)は、こう仰っています。

 これからデビューしようとしている新人作家さんにもお金の話をよくしています。出版業界って、お金の話はなんとなくしないって風潮があって、原稿料とか印税の話とかもしないままで企画を進めたりもするじゃないですか。それってほんとうに良くないと思っていて。私は会社員だから自分で計算しなくても会社がお給料をふりこんでくれますが、フリーの漫画家さんって、自分で経費の計算をしなくちゃいけませんから。
 だから「いつごろ振りこまれる」とか「一ページあたりいくら」とかいうことは早く伝えておかなければ、アシスタントさんを何人雇うかも決められませんよね。そういうことはきっちりぜんぶ事前に話しておこうって決めているんです。
 お金のことに関しては、隣の編集部から休刊を見ていたのではなくて、自分自身が、しかも若いうちに休刊を味わうことになってしまったからこそ強く感じることが、とてもたくさんあったんです。


 もう、どんぶり勘定では通用しない時代、なんですね。
 しかしながら、「Gファンタジー」編集部の熊剛さん(『黒執事』担当編集者)は、こんな話もされています。

 それから、逆に漫画のビジネスに関するリアルな内部事情を伝える方法を試したことだってあります。柩さんにもそうしたんですが、営業が部数をつける方法論もぜんぶ伝えたりしたんですね。はじめて連載する人だと、原稿料はいくらで、想定する新人の部数は何部、刊行ペースは6ヵ月に1回の年2冊だから、会社員に換算すると中小企業の新人ぐらいだけど、大丈夫か。そうやって現実的な話をしまくるアプローチもしてみたんですが、「そういう話をするからきらい」という人もあらわれたわけです。
 こうすればかならずうまくいくというものは、ありませんでした。

 
 編集者も漫画家もそれぞれ個性があり、その関係に「絶対的な正解」は無いのです。
 率直にお金の話をするのが「正しい」ように僕には思えるのだけれど、それを嫌う人もいる。
 でも、「中小企業の新人ぐらいのお金をもらうために漫画家になるんじゃない」というのも、わかるような気がします。
 ごくひとにぎりの人気漫画家を除けば、大手企業の社員である編集者のほうが、よほど稼いでいる、という世界でもあるのです。
 こういうのは、最終的に「相性」ということになってしまうのかもしれません。
 

 「ヤングマガジン」編集部の三浦敏宏さんは、電子書籍時代の漫画についての変化を語っておられます。

 それにしても、デジタルの導入によって作家さんの労力は減ったので、それはいちばんのいいところだろうとは思います。平本アキラさんにしても、デジタルだからこそ『監獄学園』のような緻密な絵をこの速度で描き続けられていますので。
 原稿作成はデジタルでいいのですが、読むほうとしてのタブレットは、個人的にはまだ進化が足りない気がします。たとえば見開きの表現が見開きにならないとか。あれは読んでいて、せっかくの見開きなのにしょんぼりするんです。ツールが変わったストレスすら感じさせないほどもっと進化してくれることが、正しい進化ですよね。もしもこのままの状態で続いてしまえば、デジタルで漫画を読んで育った世代の作家さんが見開きの表現を使わないようになる気もします。少しそれはもったいないなぁとも思いますけどね。


 ツールによって、表現方法が変わってくるところもある。
 『週刊連載』の漫画って、その回のうちにひとつくらいは「見せ場」をつくっていかなければならないわけで、そのストーリーのつくりかたは、『月刊』とか『描き下ろし』とは、ちょっと違ってくるはずです。
 日本の漫画文化が独自の進化を遂げたのは、人気投票システムと週刊化だったのではないか、というのを、どこかで読んだ記憶もあります。
 電子書籍も、まだまだ改良の余地がありそうです。
 あるいは、「電子書籍の特性を活かした新しい表現」を模索する作品も、出てくることになるのでしょう。


 最後に、元「IKKI」編集長の江上英樹さんの述懐を。

 作家の周辺も、きつくなってきています。ミリオンセラーまで出したような人が、生活がやばくなるぐらいにまできつくなるというのは、やっぱり「それってどうなの?」と思ってしまいます。うちから単行本を出してきた人が、いまはアルバイトをしながら収入を得ているという。一方で、漫画にかける労力という意味でのコストは、昔以上に必要になったので、ほんとうはアルバイトなんかしていたらヒマがなくて描けませんよね。このジレンマがあるんです。お金がある時代なら、作品を載せる雑誌のほうでもある種のパトロンとして「一年間、なにも考えないで描いてください」って伝えられたわけだけれども。読者に作品を届ける。そして作家に対価を払う。その一連の動きって、いまはどうしてもむずかしくなってきている……そこをなんとか突破してみたいという感じなんです。もちろん、おもしろい作品がない限りはなにもはじまらない。おもしろい作品は作家が持っている。そして、編集者の肝は、おもしろい作家を見きわめる視力をもっているかどうかになる……。ぼく自身は、その辺を重要視しすぎるところがあるんですけどね。

 江上さんは『IKKI』に連載されていた『鉄子の旅』に、「鉄道好きの編集長」として登場されていました。
 漫画でのイメージは、なんだか飄々とした人だなあ、というものだったのです。


 この本で、さまざまな編集者のインタビューを読んで痛感するのは、「どんなに優秀な編集者でも、自分自身で面白い漫画を書くことはできない」ということなんですよね。
 その一方で、「優秀な編集者との出会いがなければ、生まれなかった漫画」も存在するのです。
 ここに出てくる編集者たちは、みんなそれぞれ「これからの時代に、編集者というのは必要なのだろうか?」と自問していました。
 もちろん「要らないんじゃないか」という結論に達した人は、いないのですけど。


 ただ、「誰でも描ける時代」になったからこそ、「キュレーターとしての編集者」の役割は、より一層大切になってくるのかもしれませんね。
 デビュー作から大傑作!という漫画家は、けっして多くはないのだから。
 

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