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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】現代世界の十大小説 ☆☆☆☆


現代世界の十大小説 (NHK出版新書 450)

現代世界の十大小説 (NHK出版新書 450)

内容紹介
世界の“いま"を、文学が暴き出す


私たちが住む世界が抱える問題とは何か? その病巣はどこにあるのか? そして未来はどこへ向かうのか? これらの疑問に対して、いま小説は、どう答えられるのか――。モームの名エッセイ『世界の十大小説』刊行から60年、池澤夏樹が新たな「世界文学」を擁して激動の現代世界を問い直す。


目次
第1部 「民話」という手法
第1章 マジックなリアリズム――ガルシア=マルケス百年の孤独
第2章 「真実」だけの記録――アゴタ・クリストフ悪童日記


第2部 「枠」から作り直す
第3章 恋と異文化――ミルチャ・エリアーデ『マイトレイ』
第4章 名作を裏返す――ジーン・リース『サルガッソーの広い海』
第5章 野蛮の復権――ミシェル・トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』


第3部 「アメリカ」を相対化する
第6章 国境の南――カルロス・フエンテス『老いぼれグリンゴ
第7章 アフリカに重なるアメリカ――ジョン・アップダイク『クーデタ』
第8章 正しい生きかたを探す若者――メアリー・マッカーシー『アメリカの鳥』


第4部 「体験」を産み直す
第9章 消しえない戦争の記憶――バオ・ニン『戦争の悲しみ』
第10章 闇と光の海――石牟礼道子『苦海浄土』


 僕の知るかぎりでは、いまの日本でもっとも良心的な書評家のひとりである池澤夏樹さん。
 芥川賞の選考委員を退任されたときには「池澤さんがいなくなったら、候補作の『前衛性』『世界文学のなかでのポジション』みたいなものを評価する人がいなくなってしまうなあ、と、寂しく感じたものです。


 国内、海外文学ともに古い作品から新しいものまで、幅広い読まれており、個人編集の『世界文学全集』『日本文学全集』も刊行されています。
 「この人が選んだ全集なら、読んでみようか」なんて思えるような書評家は、稀有な存在です。


 その池澤さんが選んだ『現代世界の十大小説』。
 たいへん興味深く読んだのですが、正直、僕の既読は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』だけだったんですよね。
 というか、タイトルは知っている、というのも『悪童日記』『苦海浄土』くらいで、自分の不勉強を思い知らされてしまいました。
 「不勉強」というか、そもそも、海外文学って、あんまり読んでないんだよなあ。


 日本では海外文学があまり読まれていない、というイメージが僕にはあったのですが、池澤さんは、「序章」で、こんな話をされています。

 さかのぼって明治維新以降、日本という国は欧米の文化を輸入し、それを消化・吸収して、自分たちなりに作り直すかたちで近代の日本文化というものを作ってきました。もちろん江戸時代以前から受け継がれた伝統文化はあるけれど、それは脇にのけておいてでも、欧米から入ってきたものを自分たちのものにする。外来のものをなぞりながら、並行して自分たちなりのものを作るということを国を挙げてやってきたわけです。
 そのやり方は文学の場合も同じでした。まず欧米の文学を輸入し、翻訳し、そして読んで理解する。じっさい、日本は諸外国にくらべて実に翻訳が多く出ている国です。それも、たとえばアナトール・フランスのような、大家ではあるけれどもフランス以外ではそれほど有名とはいえない作家の全集(長・短編で全二十四巻)が戦前に出ているし、プロスペル=メリメのような、まことにマイナーな作家の全集(全六巻)まであったのです。ここまでやっている国はあまりない。その点では、近代日本は文学に関しては早くから外によく目を向けていたわけです。

 日本は「翻訳大国」だったんですね……
 「翻訳作品があまり売れない」と言われているけれど、「翻訳する情熱」は、受け継がれているのです。
 アナトール・フランスって、フランス以外ではマイナーだったのか……いや、僕も読んだことはなくて、名前にインパクトがあるから記憶しているだけ、のような気がしますけど。


 池澤さんは、これらの「世界文学」を選んだ基準について、次のように書いておられます。

 ぼくたちが生きているこの時代・この世界を、文学はどう説明するか、どう表現するか――そういう観点から選ぶとすれば、当然、新しい作品が対象になる。ゲーテもいいし、ディケンズも楽しい。スタンダールもおもしろいし、トルストイも立派です。けれども、今は世界のありようがずいぶん変わってしまった。人間は永遠不変であるけれども、世界は変わる。考えてみれば、トルストイは『戦争と平和』を永遠の課題として書いたのではなくて、彼にとっての同時代を書いたのです。それが結果として永遠の価値を持つことになった。同じように、たった今書かれたばかりの作品群のなかから永遠の価値をもちそうなものを選び出すのが、今の編集ということにならないだろうか。
 これは相当に大胆かつ野蛮なことです。評価が定まっていないのに選んでしまおうというのですから。しかし、紙の上で選ぶだけなら何のコストもかからないのだからと、ぼくはおもしろがって、総論のようなものは考えずに、自分本位にリストを増やしていきました。そして、個々の作品についてほんとうに要るのかどうかの判断を重ねてゆくうちに、ひとつの方針が見えてきました。「もし今ぼくが選ぶとしたら、中心になるのはいわゆる古典ではなく、二十世紀後半に書かれた作品である」というものです。二十世紀中盤に闘われた第二次世界大戦を機に、世界は大きく変わりました。その変化のあとの時代を文学はどう表現してきたか、それをリストによって描いてみたいというのがぼくの動機であり、その立場からぼくは、言ってみれば世界文学全集を再定義したわけです。9・11以降の世界を文学はどう説明するか。
 では、なぜかつての世界文学全集は各国の文学全集のエッセンスの束でよかったのかといえば、十九世紀から二十世紀半ばまでは国民国家の時代だったからです。

 ぼくは、「二十世紀後半に書かれた作品を中心とするセレクション」という方針が見え出したところで、ぼくなりの世界文学全集を作る仕事を引き受けました(「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」河出書房新社)。その全集では、ここにいう「ポストコロニアリズムフェミニズム」の視点から世界を見直すことが大きな柱となっています。こういうと、いかにもはじめからその原理=柱をもって全集を編んだように聞こえるかもしれませんが、そうではなくて、あくまでも作品一つ一つについて個々の判断を重ねながら、仮のリストを作り、できたリストを絞り込んでゆくうちに、「ああ、そうか!」と気づいたのです。


 池澤さんは「ポストコロニアリズムフェミニズムの文学がなぜおもしろいかといえば、彼らにはほんとうに言いたいことがあるからです」とも仰っています。
 植民地の被支配民族や女性の多くは、第二次世界大戦後になって、ようやく「表現する手段」を持つことができるようになり、それまで心に秘めていたことを、書いていったのです。


 個人的には、それぞれの項を読みながら、「もうちょっとスケールの大きな小説とか、読みやすそうなのが良いなあ」なんて、読んだこともないのに思ってみたりもするのですが、こういうのは、「まず、信頼して読んでみる」のが大事ではあります。
 自分が好きそうなものばかり読んでいては、なかなか世界が広がらないし。
「日本代表」が、水俣病について書かれた『苦海浄土』というのはちょっと意外だったのですが、池澤さんの作品の解説を読んでいると、「公害という人類にとって普遍的な問題」を扱ったこの作品は、たしかに「世界文学」なのだな、ということがわかります。


 僕もこれらの作品を、ぼちぼち読んでいこうと思います。
 しかし、『悪童日記』とか、どこかで読んでいそうなものなんですけどね……なんで読んでいなかったんだろう。


苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)

苦海浄土 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 第3集)