琥珀色の戯言

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【読書感想】本屋になりたい: この島の本を売る ☆☆☆☆


本屋になりたい: この島の本を売る (ちくまプリマー新書)

本屋になりたい: この島の本を売る (ちくまプリマー新書)


Kindle版もあります。

本屋になりたい ――この島の本を売る (ちくまプリマー新書)

本屋になりたい ――この島の本を売る (ちくまプリマー新書)

内容(「BOOK」データベースより)
「本屋になりたい」という気持ちのままに東京の巨大新刊書店から沖縄の小さな古本屋へ。この島の本を買取り、並べて、売る日々の中で本と人のあいだに立って、考えたこととは。


 本好きならば、誰でも一度くらいは「本屋になってみたい」と思うことがあるはずです。
 もちろん、僕もあります。
 でも、本好きであれば、いまの世の中に「自分の本屋をつくる」というのが、いかに厳しいことなのかも、知っているはずです。
 もともと本は売れないし、雑誌も売れなくなってきている。品揃えではネット書店や大型書店にはかなわず、万引きのリスクとも戦う必要がある。
 そもそも、本屋という仕事は、キツさのわりに、あんまり儲かりようがない。
 自分が好きな本ばかり、売ることができるわけでもない。
 それこそ、『絶歌』でも、売って利益をえなければならない場合もある(すべての書店が、そういう選択をしたわけではありませんが)。
 むしろ、大型書店に就職して、自分の書棚を持つほうが、まだ「現実的」かもしれません。
 書店員というのもまた、「好きな人がやりたがる仕事」だけに、どうしても「給料が安く、仕事はきつい」という状態になりがち、ではあるのですけど。


 東京の大型新刊書店に勤務していた著者は、そこを辞めて、沖縄の市場中央通りに、一軒の小さな古本屋を開店します。

 目のまえにある第一牧志公設市場は、地元の人も観光客も買い物に来る場所です。そのまわりには車の入れない路地がのびていて、それぞれに通りの名前がついています。私の店は市場中央通りにあるので、名前を「市場の古本屋ウララ」とつけました。
 広さは約三畳、路地にも三畳はみ出して、全部で六畳、棚と机と壁に囲まれて、路上で店番しています。
 店員は私ひとりです。公設市場の二階のトイレに行くとき、コーヒーを買うときも、開けたまま出かけます。お客さんが来たら、私がいないのに気づいたお隣の漬物屋さんが会計をしてくれます。逆に漬物屋さんがいないときは、私が会計します。
 店にあるのは、ほとんどがここ沖縄に関する本です。琉球王国の歴史書、花の図鑑、海の写真集、沖縄そば屋ガイドなど、さまざまな内容の本があります。東京の出版社が出した本も、沖縄の出版社が出した本もあります。「もうすぐお盆だから」とお供えのしかたの本を買う地元の人がいて、「いつか住みたい」と沖縄に移住した人のエッセイを買っていく観光客がいます。


 著者は、もともと本好きで、全国チェーンの新刊書店に就職し、東京の店で働きはじめたそうです。
 7年目に沖縄の支店に異動となり、9年目にそこを辞めて、この『市場の古本屋ウララ』を開店しました。
 そのきっかけは「大型書店で会社員として勤務していることになんとなく息苦しさを感じ続けていて、近所の古本屋が店をやめる、というのを知って、自分がやろうと思った」ことだそうです。
 なんて衝動的な!
 と思うのだけれど、おそらく、そこに至るまでには、さまざまな葛藤もあったのでしょう。

 では、何を置けばいいか。沖縄の本だ、と思いついたとき、やるべき仕事が見えた気がしました。
 私は那覇の新刊書店で沖縄本のコーナーを担当していました。独自の歴史、豊かな自然と文化、地元に密着した狭くも深い本の世界にすっかり魅せられながら、絶版になった本や限定販売の本の多さに、新刊書店の限界を感じていました。古本屋なら、なんでも置ける。そして市場なら、わざわざ本屋に来ない人にも沖縄本を見てもらえる。市場で沖縄の本を売るという思いつきにワクワクしました。


 もちろん、思いつきだけではなく、前の店の状況をしっかり見極め、商売としてやっていけるかどうか、検討もしています。
 そのうえで、ゴーサインを出したのです。

 
 僕がこの本を読んでいて感じたのは、自分がいままで「起業」ということに対して持っていたイメージの「狭さ」でした。
 著者も、大型書店を辞めて、この店をはじめるときには、周囲に反対もされたようです。
 でも、著者は「ひとりで小さな書店をやる」ということについて、こう考えていました。

 従業員を雇うとか支店を出すとかであれば、「面白い」だけで始めるわけにはいかないでしょう。でも私はひとりだから、楽しそう、どうにかできるかも、という直感に従ってみたかったのです。これだけ狭い店なら、失敗してもさっさと片づけられる。いや、きっと失敗はしない。これまた思いこんでいたので、まわりの大人にどんなに止められても決行してしまったのでした。
 店を始めるのに必要なのは、勇気というより確信ではないでしょうか。ここでなら面白いことができる。ここでやるしかない。そう思える場所に出会ったことが、始まりでした。


 むしろ「ひとりだから」「小さな書店だから」失敗をおそれずに、やってみれば良いじゃないか、と。
 ああ、なるほど、「会社を大きくする」とか「大儲けする」とかいうのではなくて、「自分ひとり、なんとか食べていければいいのだから。最悪、失敗しても自分で責任をとればいい」というスタンスでの「独立起業」もあるのだなあ。



 もちろん、うまくいくことばかりではないですし、ひとりで店を切り盛りしていくことの大変さや、ずっとこの店をやっていくのか、という不安も書かれています。
 でも、「やりたいうち、やれるうちは、やる」。
 ああ、それで良いんだな。


 この本のなかで、著者は「沖縄の本」についての愛着をくりかえし語っておられます。
 本なんて、どこでも似たようなものじゃないの?と考えてしまいがちなのですが、沖縄は海に囲まれているため、日本全国で売られている本が流通しているのとともに独自の「出版文化」を持つ土地でもあるのです。

 沖縄の本は、沖縄県内でつくられています。著者は県外に住んでいることもありますが、編集者は沖縄にいて、印刷所も沖縄にあります。ただし、紙は県外から運ばれてきます。数年前の夏、とある県産本の増刷を待っていたとき、
「台風で船が動かなくて紙が届かない。できるのが遅れそう」
 と聞かされて、島で何かするのは大変だとつくづく思いました。
 そうして沖縄でつくられた本は、沖縄の書店に並べられます。ほとんどが出版社と書店の直接取引で、取次を使うとしても県内の取次です。編集、印刷、製本、出版、流通、販売を、すべて県内でまかなっているのです。「文化の地産地消」という言葉を、沖縄に来て初めて聞きました。こうなると、新刊書店もまるで活きのいい八百屋のようです。産地直送、とれたての本が揃っているよ!
 

(中略)


 ところで、「文化の地産地消」については、県外の出版社の人とちょっとした議論になったことがあります。出版は全世界の人を相手にするべきで、地方にとどまっていてはいけない、というのが相手の言い分でした。
 本屋である私は、どんなに狭くてもはっきりしたターゲットに向けられた本に面白さを感じます。ここでしか出せない本があり、買う人がいることの楽しい驚き。
 誰もが手にする古典なら、どの店でも売れるでしょう。本屋の棚にも売上にも欠かせない基礎の部分で、もちろん必要です。でも、それに加えて、いま目のまえにいる人に何かを伝えようとする本を、手渡してみたいのです。
 私が沖縄で本屋をやりたかったのも、それが一番の理由でした。沖縄の人には、自分たちのために書かれた本がこんなにある。そして、沖縄の本には買う人がきちんといる。うらやましく思い、せめて売り手としてそのなかに入りこみたいと願いました。


 正直、僕はここで触れられている「沖縄本」のような本を、ちょっと軽くみていたんですよね。
 零細出版社から、自費出版で出されているような本に、本当に価値があるのだろうか?
 沖縄の人にしか役に立たないような本は、あまりに世界が狭いのではないか、と。


 でも、こうして、「本当にそれを必要としていている、顔が見える人に、届けられる本」というのは、けっこう幸せなのかな、と、これを読んでいて感じました。
 数は少なくても、それを必要としている人のための本が存在できるというのは、文化的に「豊か」なんですよね。
 「ローカル向けに、きちんと書いてある」からこそ、グローバルに向けて、正しい情報を発信できる、ということもありますし。


 著者の「本への愛情」とともに、「人間、いざとなったら、ひとりでもやろうと思えばできることはいろいろあるものだな」と実感させてくれる新書でした。
 老後は本屋っていうのも、アリかもしれないな、本当に。

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