琥珀色の戯言

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【読書感想】いま、君たちに一番伝えたいこと ☆☆☆☆


いま、君たちに一番伝えたいこと

いま、君たちに一番伝えたいこと

内容紹介
 常に念頭にあるのは、世の中の見方や生き方について、 一先輩として、若者たちにメッセージを送りたいということでした。(中略)  大学で新たに学ぶことになった若者たちにも、 学校を出てずいぶん経ってしまった〝元若者〟たちにも、 それぞれの立場で読んでいただける内容になっていれば幸いです。                     ――本書の「はじめに」より


生きること・学ぶこと・知ることについて、池上彰から読者へのメッセージ


イスラム国」問題、STAP細胞事件、安倍首相の解散総選挙をはじめ、さまざまなニュースをとっかかりに、
ジャーナリズム論や流行の裏のマーケティング、政治の楽しみ方などを、池上先生が伝えます。


 この本、2012年に東京工業大学のリベラルアーツセンター教授に就任された池上彰さんが、実際に学生たちと接して感じた、彼らに、そして、「昔、学生だった大人たちに」いま伝えたいことをまとめたエッセイ集です。
 もとになったものは、日本経済新聞で毎週月曜日連載されていた「池上彰の大岡山通信」。
 東京工業大学のキャンパスが大岡山というところにあるので、このタイトルがつけられています。


 池上さん、あんなにテレビに出て、本を書き、よく大学の講義までやっておられるなあ、と感心してしまいます(まあ、大学の講義の内容を本にして出されてもいますけど)。
 僕はこれまで、池上さんは東工大教授っていっても、「名ばかり教授」みたいなもので、本にするような講義をスペシャルゲストみたいな感じでやっておられるだけなのだと思っていました。
 でも、この本を読むと、ちゃんと「大学教授」としての仕事もこなしておられるのだなあ、と。

 2012年から始まった私の講義は、当初多数の学生から履修希望がありました。「どんな授業をするのか」という好奇心を持った学生がいたようです。そこで、履修を認める学生を抽選で選んでいました。
 ところが、私の成績評価が厳しいという評判(悪評?)が広がったことから、履修希望の学生数はしだいに減少。いまは抽選する必要がなくなりました。
 代わって、「なぜ履修を希望するのか」を事前に簡単なリポートにまとめてもらい、その内容によって、履修の諾否を決めています。
 そのリポートも、わずか数行書いただけのやる気が読み取れない学生については履修を却下。勉学意欲にあふれた学生に限っています。


 いわゆる「タレント教授」として、生徒たちに顔をみせ、休講だらけにして単位をばらまいていても、みんな「そんなものだろうな」と受けいれるはず。
 ところが、池上さんは、学生の成績評価に妥協しない。
 僕からすれば、「せっかく池上さんの講義を受けられるのだから、成績評価が厳しくても受けなきゃ損じゃない?」と思うのですけど、東工大の学生の立場としては、「単位をなかなかくれない池上さんの講義よりも、出席していれば単位をくれる講義のほうがいい」のだろうなあ。
 いや、それはそれで、気持ちはわからなくもないんだけど、今の僕からすると、もったいないなあ、と。


 堅い内容ばかりではなくて、こんな話も出てきます。
 アメリカ西海岸にある理工系の名門大学・カルテックカリフォルニア工科大学)を訪れて。

 BOOK SHOPなのに書籍がないため、空いたスペースには、大学グッズが並べられています。CALTECHの文字をあしらった文房具や帽子、Tシャツなど、アメリカらしいグッズの数々です。
 そこで私が見つけたTシャツに、胸のところに「MIT(マサチューセッツ工科大学)」と書いたものがありました。なぜカルテックに、ライバル校のMITのTシャツが売られているのか。
 裏返し、Tシャツの背中の部分を見て、納得しました。そこには、こう書いてあったからです。
「誰もがカルテックに入れるわけではないからね(because not everyone can go to Caltech)」と。
 カルテックに入れなかったからMITに来た。つまりカルテックはMITより入学難度が高いと主張しているのです。

 これに関しては、「入学難度の高さ」が実際にどうなのか、僕にはわからないのですが、こういう洒落って、アメリカらしいよなあ、と。
 ちなみに、「MITには、カルテックを意識した大学グッズはない」そうです。


 この本のなかで、僕にとっていちばん印象的だったのは、この部分でした。

 私(池上さん)が記者人生をスタートさせたのは、1973年4月のことですから、もう40年も前のこと。NHKに入局しての研修中に講師から言われた問いかけを忘れることはできません。それは次のようなものでした。


「記者は、なぜ非常線の中に入れるのか」


 大きな事件や事故が起きると、警察は、一般の人が近づけないように非常線を張って規制します。しかし、記者やカメラマンは、その非常線よりは、もう少し先まで行くことができる場合が多いのです。あるいは、官公庁の中に記者クラブを設け、そこに常駐することもあります。
 それは、どうして許されるのか、というのが講師の問いかけでした。


 答えは「国民の知る権利に奉仕するためだ」というものでした。


「お前たちは、国民の知る権利に奉仕するための仕事をするのだ。その仕事を負託されているから、一般市民よりは現場に近づける。だから、何が起きているのかを早く正確にわかりやすく国民に伝える義務と責任がある」


 この言葉を、いまも忘れることができません。
 現場に入った記者が、正確な報道をできなかったら、わかりやすく伝えられなかったら、それは義務と責任を果たしていないのです。
 以後、私はこの言葉を肝に銘じることにしました。「わかりやすく正確に」がモットーとなったのです。


 これを読んで、ハッとさせられました。
 仕事に慣れてくると「その職業だから、やることが許されていること」に対して、「だから自分は人と違うんだ、特別な人間なんだ」と勘違いしがちなんですよね。
 池上さんは、「非常線の中に入れること」について述べておられますが、医者でいえば「処置や手術のために、他人の身体を刺したり切ったりすること」は、「この仕事だから、許されること」なのです。
 でも、長年それを続けていると、「それが自分にとっては当然の権利である」ように思い込んでしまう。
 そして、「何のためにそれが許されているのか」を忘れて、自分の「特権」のようにふるまってしまう。
 医者の場合は「患者を治療するため」に、そういう行為が認められているのです。
 人間を刺したり切ったりできるのは偉いからではなくて、病気の人に奉仕するために「必要」だから。


 なんだか、大事なことを忘れかけていたのを、思い出させてもらったような気がしました。
 

 池上さんの他の著書と同じような内容も少なからずあるのですが、現在の世界情勢だけでなく、池上彰という「いまの知性」に触れてみたい人、とくに若い人にはおすすめです。
 
 

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