琥珀色の戯言

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【読書感想】戦場に散った野球人たち ☆☆☆☆


戦場に散った野球人たち

戦場に散った野球人たち

内容(「BOOK」データベースより)
東京ドームの脇に「鎮魂の碑」という名の石碑がある。大東亜戦争(太平洋戦争)で戦死したプロ野球選手たちの御霊を鎮めることを目的として建立され、計六十九名の選手の名前が刻まれている。本書では、この野球人たちの中から沢村栄治など六名を選び、その生涯を紹介する。さらに、学生野球で活躍した「伝説の大投手」こと嶋清一も取り上げている。計七名の野球人たちの血と汗と涙の、一球入魂のメモリアルドラマの数々…


 新富卯三郎、景浦将、沢村栄治、吉原正喜、嶋清一、林安夫、石丸進一。
 この7名のうち、僕が知っていたのは、3人だけでした。
 
 
 著者は、彼ら「戦没した名選手たち」の短かった野球人生を、当時の資料や関係者への取材で、丹念に辿っていきます。
 「戦死してしまった」という悲劇的な面だけではなくて、彼らが野球人としてどんな人生・野球歴をおくってきて、どんなプレーをする選手だったのか?
 選手たちにとっても、「戦争で死んでしまった人」としてだけ語られるよりも、自分の野球選手としてのプレーを記憶してもらいたい、という思いはあるのかもしれません。
 この本には、彼らの「野球人としての姿」に、多くのページが割かれているのです。


 景浦将選手の項より。

 一般的なバットよりも長めで重いものを、軽々とフルスイングするのが彼の打撃の特徴だった。バットのヘッドをやや前に倒して構え、テイクバックの際に大きくヒッチしてからスイングに入るというフォームである。フォロースルーも大きかったというから、典型的な長距離打者の打撃スタイルと言える。弟の賢一には、
「俺の真似はするなよ。怪我するぞ」
 とよく話していたという。強靭な手首と腰の力がなければできないスイングだったのであろう。
 当時は今よりも反発係数の少ないボールを使用していたが、景浦の飛距離には他球団の選手も息を呑んだという。
 また、この年も投手として二十二試合に当番し、十一勝五敗、防御率0.93という好成績を上げた。この防御率は、沢村栄治の0.81に次ぐリーグ第二位という記録である。変化球よりも直球を主体にして、打者を力で捩じ伏せるタイプの投球スタイルだったという。
 続く秋季リーグでは、三割三分三厘という高打率を残し、見事に首位打者に輝いた。日本の長いプロ野球の歴史においても、最優秀防御率首位打者の両方のタイトルを獲得しているのは景浦のみである。


 「大リーガーをきりきり舞いさせた」伝説の名投手沢村栄治の名前は知っていても、沢村選手の詳しい成績を知っている人は少ないはずです。
 日米野球で、沢村投手が大リーガーを抑えた試合もあったけれど、滅多打ちにされてしまった試合もあったんですね。

 そんな沢村の入営であったが、これには彼の「学歴」が関係していた。当時は、形式上でのみ私立大学の夜間部などに席を置き、徴兵を延期する職業野球の選手が多かった。
「学生への徴兵猶予」を利用した言わば「抜け道」である。しかし、中学が「中退」の扱いになっている沢村の場合は、この便法を取ることができなかった。
 更に、巨人軍の看板選手である沢村は、徴兵を厭うが如き姿勢をあからさまに見せることは困難であった。軍の側としても、
「あの沢村でさえ一兵卒として戦っている」
 という事実の構築は、格好の宣伝材料になると思われたのである。

 学歴とか、「広告塔」としての役割を与えられてしまったこととか。
 たしかに、「あの巨人の沢村でも徴兵されてしまったのだから」というのは、当時もあったのではないかと思われます。
 そして、この本を読むと、「うまく徴兵を切り抜けた」野球選手も、少なからずいたわけで。


 沢村投手は、二度の出征を生き延び、球界に復帰しています。

 深い密林の中での激闘をくぐり抜けた沢村は、昭和18年(1943年)に帰国。古巣の巨人軍に戻り、再度の球界復帰を果たした。
 チームの主将にも選ばれた沢村だったが、その時の彼の体〓は、フィリピン戦線での過酷な兵隊生活により、もはや衰え切っていた。投球フォームは往年よりも右肩が下がり、ほぼサイドスローのような状態になっていたという。

 沢村栄治は、全盛期に戦場に送られ、戦死してしまったと思い込んでいたのですが、沢村選手は昭和18年に復帰後、「彼らしい投球が見られず」翌昭和19年に球団を解雇されてしまいます。
 沢村投手が戦死したのは、その後、三回目の応召で戦地に赴いた際だったのです。
 このとき、沢村さんは、奥様に「生きて帰れたら、いい父親になる」という手紙を送ったそうです。
 まだ、娘さんが生まれたばかりのときの、三度目の召集令状


 僕がこの本を読んでいてあらためて痛感したのは、スポーツ選手のピークの短さと、それを維持していくことの難しさでした。
 どんな凄い選手でも、一度徴兵されて戦地に赴くと、たとえ生還して野球界に復帰しても、パフォーマンスが急激に低下してしまうのです。
 それはおそらく、野球選手にだけ起こったことではなくて、他のスポーツ、あるいは、スポーツ以外の世界でも、同じだったはず。


 この本の最後に特攻隊として命を落とした、「最後のキャッチボール」で知られる石丸進一さんのエピソードが紹介されています。
 そして、著者は、特攻隊員たちの姿を当時、報道班員としてみていた(「最後のキャッチボール」も目撃していた)、のちの作家・山岡荘八さんの、こんな言葉を紹介しています。
(野里という特攻隊員たちが寄宿していた場所について)

 私にはこの野里村は自分の生涯で再び見ることのできない天国のような気がする。あらゆる欲望や執着から解放された人々が、いちばん美しい心を抱いて集っていた。(『いざさらば我はみくにの山桜』展転社

 これを読んで、僕は考え込まずにはいられませんでした。
 彼らの「人間としての美しさ」には感嘆するし、その犠牲のうえに、今の世の中はあるのでしょう。
 でも、死を義務づけられた人間だけが、人間としての最上の美しさを発揮するのだとしたら、人間というのは、なんて悲しい生き物なのだろうか。
 

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