琥珀色の戯言

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【読書感想】デビュー作を書くための超「小説」教室 ☆☆☆☆


内容紹介
ベストセラーとなった小説教室『一億三千万人のための小説教室』から13年、高橋源一郎さんが「選考委員」の視点で初めて描く、超「小説」教室!


[本書の構成]
 レッスン1*まずは、新人文学賞選考会について知ろう
 レッスン2*つづいて、選考委員について知ろう
 レッスン3*いよいよ、新人作家の条件を考えよう
 レッスン4*そして、高橋さんの新人文学賞「選評」を熟読してみよう!


朝日新人文学賞群像新人文学賞、すばる文学賞中原中也賞、文藝賞坊っちゃん文学賞……2000年以降、高橋源一郎氏が携わった「新人文学賞」全選評掲載!
<「小説」あるいは「文学」になる前のなにかが、どうやって、「小説」や「文学」になるのか。あるいは、「小説」志望者が、いつどんな瞬間に、「小説家」になることができるのか。そこには、ある決定的な瞬間があるように思える。その「瞬間」の秘密に迫りたかった。>
と語る高橋さんが贈る「デビュー作を書くための特別なレッスン」が、ついに本になり、ついに刊行!!


 高橋源一郎さんの「小説論」は、いつも面白いんですよね。
 この本も、書店でみかけて即買いしたのですが、タイトルを見た時点では、「ああ、これは『小説を書こうとしている人のための入門書』なのだな」と思っていました。
 でも、読んでいくうちに、わかってきたのです。
 これは、僕みたいな「書けない人が、書けるようになるための本」ではなくて、「もうすでに、形になるような『小説』は書いているのだけれど、文学賞に応募しても結果が出ない人のための本」なのです。
 自分でも、何かが足らないのはわかっているつもりなのだけれど、何が足らないのかわからない、そんな「プロになるための『壁』にぶつかっている人のための本」。

 これは、少し、いや、かなり変わった本ではないかと思う。
 過去の新人賞の「選評」をまとめませんか、という話が膨らみ、「新人賞」についてもう一度考えてみる、という場所も新たに付け加えられることになった。妙ないい方になるかもしれないが、「小説」あるいは「文学」になる前のなにかが、どうやって、「小説」や「文学」になるのか。あるいは、「小説」志望者が、いつどんな瞬間に、「小説家」になることができるのか。そこには、ある決定的な瞬間があるように思える。マルクスのことばを真似るなら、そこでは、「命がけの跳躍」が行われて、それができないものは、泡となって元の海に戻っていくしかないのである。その「瞬間」の秘密に迫りたかった。それは、その場所にずっと立ち会って来た者の責務であるように思う。

 まあ、「小説家志望者限定」となると、間口がものすごく狭くなってしまうのですが、もちろん、作家志望者ではなくても、「小説が好きな人」には、十分楽しめると思います。


 先日、又吉直樹さんの『火花』が芥川賞を受賞しました。
 「芥川賞の商業主義化」だとか「選考委員が空気を読んだ」というような意見もネットでは少なからず見かけたのですが、この本で紹介されている選考会の様子からは、「文学賞の選考委員というのは、良い小説を探して、小説家になれる人を見つけ出すことに、真摯に取り組んでいる」ということが伝わってくるのです。
 

 落選した経験から、わたしが学んだことのひとつは、こうです。


 選ばれる人間は、よわい立場にいる。
 選ぶ人間は、つよい立場にいる。


 選考委員は、文学の世界において、なんらかの最先端にいて、影響力をもった人たちです。
 文学の世界に後からやってきて、そんな人たちから選考される新人は、無力です。
 ですから、選考委員は、新人が書いたものを、一生懸命に読みとかなくてはいけません。新人を評するのに、ことばを慎重にえらばなくてはいけない。


 いまでも、選評を書くときには、わたしの作品にむけてはじめて書かれた、「あの選評」を思い出しながら書いています。


 一昔前の「大家」は違ったのかもしれませんが、いまの主な新人文学賞の選考委員の大部分は、「かつて、選考される側にいたことがある人」です。
 彼らは、というか、少なくとも高橋源一郎さんは、ものすごく真剣に「選考」をされているようです。
 そもそも、文学賞をあげるというのは、その後の人生を左右しかねないことなのだから。


 小説を書いている人からの「どの賞に応募していいのかわかりません。どれに送ったらいいですか?」という問いに対して、高橋さんは、こう答えておられます。

「この作品は、○○賞をあげるには、どうも暗すぎるなあ」とか、「○○賞は、重厚な純文学でないと、受賞資格はあたえられないよ」とか、選考委員に、そういった観点はありません。
 むしろ、そんなことに気を揉んでいるのは、応募者たちのほうです。
 たとえば、群像新人文学賞には、暗くて重たい作品が集る傾向があります。文藝賞は、若くてポップな感じの作品が集ります。すばる文学賞は、物語性が高い小説が集ることが多いようです。だいたいどの賞でも、まるで事前に申し合わせたかのように、類似した傾向のものが、おしあいへしあいしているのです。


 わたしは、いつも、不思議に思います。
 わたしが応募するとしたら、みんなと真逆の作品をおくるのに、と。
 群像新人文学賞にはミステリーを、文藝賞にSFを、すばる文学賞にゴテゴテの純文学を、わたしならおくります。群像新人文学賞には、評論部門がありますね。わたしだったら、評論部門に小説をおくるかもしれません。
 賞の傾向を知るのは大切です。そのうえで、傾向と真逆の、せまいところに自分から突っ込んでいくといいと思います。それだけで、人目を引くではありませんか。


 なるほどなあ、と。
 同じような作品のなかでは埋没してしまうかもしれないけれど、まったく別の傾向の作品が集るところにいけば、少なくとも「目立つ」ことはできる。
 そういう戦略って、けっこう大事なんですよね、「世に出る」ためには。
 この本のなかで、高橋さんはその一例として、第1回の日本ファンタジーノベル大賞を受賞した(1989年)、酒見賢一さんの『後宮小説』を挙げておられます。
 この作品については、編集部で、「最終選考に残すかどうか」で話し合いがもたれたそうです。
 ところが、選考会では、満場一致で、すぐに「受賞」が決まった。

後宮小説』は、他の作品と、あまりも差がありすぎました。いったい何がちがったのでしょうか。
 他の人たちは、ファンタジーを書こうとしていました。
 なのに、酒見さんだけは、「小説」を書こうとしていたのです。


 『後宮小説』僕も読みました。
 たしかに「これは『ファンタジー』なのだろうか?」と思いながら読み始めたのですが、読んでみて面白ければ、ジャンルはあんまり関係ないんですよね。
 「傾向と対策」を無視するわけにはいかないけれど、本当に良い作品であれば、どこに送っても、なんらかの形で、世に出ることになるのでしょう。


 また、作品の評価基準については、こう仰っています。

 新人文学賞にも、フィギュアスケートの回転の数みたいなものがあるな、と(第4章に収録されている群像文学新人賞の選評に、具体例が載っています。あわせて読んでみてください)。


 作者Aは、四回転半をねらって、二回転、跳びました。
 作者Bは、三回転をねらって、二回転半、跳びました。


 結果は、あきらかですね。
 作者Bのほうが、より多く、回転することができました。


 さて、選考委員は、AとB、どちらに高得点をつけるでしょうか?
 正解は、Aです。


 おかしいですか?
 たしかに、編集者にも、「どうしてAが高得点なのですか?」と、よく聞かれます。
 これには選考委員にとっての理由があるのです。


 この「理由」に興味がある方は、ぜひ、実際にこの本を手にとって確認していただきたい。
 選考委員というのは、「いま、ここにある作品」だけをみているわけではない、のです。


 この本の第4章には、これまで高橋さんが加わってこられた数々の文学賞での選評が収録されています。
 高橋さんは、すべての作品に言及することと、なるべくその作品の良いところを見つけること、足りないものを指摘することを心がけておられるのが、よくわかります。
 そして、この本の「裏・読みどころ」は、元妻である谷川直子さんの作品を選考することになった、第49回文藝賞の選評です。
 僕は高橋源一郎さんが、当時の妻だった直子さんと『月刊・優駿』で、それぞれのエッセイを連載されていたのをずっと読んでいたので、この数奇な巡り合わせを、しみじみと噛み締めずにはいられませんでした。
 内容的には、むしろ淡々とした「選評」なんですけどね。


 又吉直樹さんは「政治的な判断」で芥川賞を受賞した、と思っている人には、ぜひ読んでみていただきたい。
 そして、これから小説を書いてみたい、あるいは、書いてみようとしているのだけれど、うまく書けない、という人にも。


一億三千万人のための小説教室 (岩波新書 新赤版 (786))

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ぼくらの文章教室

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後宮小説 (新潮文庫)

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