琥珀色の戯言

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【読書感想】タモリと戦後ニッポン ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
終戦直後に生まれ古希を迎えた稀代の司会者の半生と、敗戦から70年が経過した日本。双方を重ね合わせることで、あらためて戦後ニッポンの歩みを検証・考察した、新感覚現代史! タモリが各時代ごとにすごした場所をたどり、そこでの人間関係をひもときながら、戦後という時代を描き出してみると……タモリとは「日本の戦後」そのものだった! (講談社現代新書


 今年(2015年)の8月15日前後には「戦後70年」が、さまざまな角度から採りあげられていました。
 タモリさんは、1945年8月22日、太平洋戦争が終わった1週間後に生まれ、日本の「戦後」を生きてきた人なんですね。
 1970年代はじめに生まれた僕にとって、タモリさんは「父親と同じ世代」なのか……


 この新書を読んで、あらためて、「僕にとってのタモリ史」みたいなものを思い出しました。
 タモリさんは、超長寿番組『笑っていいとも』がその歴史を終えた際の、「タモリバブル」のような現象のおかげで「聖人化」してしまったような気がします。
 最終回の日の夜の特番で、たくさんのスターたちから「感謝のスピーチ」を贈られていたタモリさん。
 それは、ものすごく感動的な光景でした。
 僕はかれこれ40年近くテレビを見てきましたが、あんなに一人のタレントさんが周囲から感謝され、語られている場面は、他にみたことがありません。
 『笑っていいとも』は、「終わる」ことが決まる前は、ずっと「マンネリ化」が叫ばれていました。
 それも一年とか二年とかいう話じゃなくて、21世紀に入るころには、「お昼の司会であたりさわりのない仕事をして稼いでいるサラリーマン芸人・タモリ」みたいなイメージを、僕は持っていたのです。
 子どもの頃に見た「タモリ」は、「イグアナの真似と名古屋人の悪口ばかりを言っている、サングラスをかけた変なひと」だったのだよなあ。
 

 思えば、タモリという人は、『笑っていいとも』によって、過小評価されたり、聖人化されたりしてきて、案外「等身大」で語られることは少なかったのかもしれません。
 『笑っていいとも』の最終回近辺は、タモリさんの悪口なんて言えない雰囲気だったし。
 いや、言いたい悪口なんて、無いといえば無かったのですが。


 この新書のなかで、著者は、タモリさんの一族の多くが生活していたという「比較的平和だった時代の満州」の「大陸的なおおらかさ」がタモリさんの「背景」にあるのではないか、と述べています。
 タモリさんは、早稲田大学モダンジャズ研究会で、司会者・マネージャーとして頭角をあわらしていましたが、結果的に中退し、故郷・福岡で、芸能界デビュー前の「空白期間」を過ごしています。
 タモリさんが山下洋輔さんや赤塚不二夫さんと出会ってからのことは、さまざまな本で読んできたのですが、大学をやめてから、上京してテレビに出るようになるまで何をやっていたのかは、この本ではじめて知りました。
 著者は、ものすごい数の資料を読み込み、関係者にも取材して、その「空白」を埋めているのです。
 『笑っていいとも』終了時に、ものすごい数の「タモリ関連本」が出て、資料が充実した、とも仰っています。

 考えてみれば、フルーツパーラーで生保のおばちゃんたちの人気者だったことといい、無欠勤を続けたことといい、のちにタモリが平日昼の番組『笑っていいとも!』で女性たちの支持も得て31年半も続けられたのは、生真面目な性格に加えて、それだけの力をこのころに鍛えていたからではないか。
 福岡にいったん戻ってからふたたび上京するまでの約7年間について、タモリ本人は多くを語っていない。いわば「謎の空白時代」だ。


(中略)


 70年代前半の列島改造や80年代後半のバブルなど政治・経済の動向を背景に、日本列島の風景は大きな変化を繰り返してきた。そのたびに人々の集る場所も移り変わっていく。タモリの足跡をたどると、そのときどきで一番熱気のある場所で過ごしてきたという印象が強い。それは偶然とかいうものではなく、彼は「場の芸人」とも評されたように、どこに行けば一番面白いのか嗅ぎとる能力を自然と身につけていたからだろう。
 タモリは1972年に山下洋輔らと出会って上京のきっかけをつかむと、75年夏、30歳を目前にしてふたたび東京に向かったそれはきっと、自分の居場所があると鋭敏に感じ取ったからに違いない。


 福岡に戻ってから勤めた保険会社での仕事が肌に合わず、ヘッドハンティングされ、ボウリング場の支配人やフルーツパーラーのバーテンダーへ。
 その「流行の場」を読む力が強かったのか、「場」のほうが、タモリさんを引き寄せたのか。
 そういえば、芸能人としても、ラジオの『オールナイトニッポン』から、テレビの『今夜は最高』『笑っていいとも』など、そして、『いいとも』をやめるタイミングまで、タモリさんという人は、タイミングを読むことがものすごく上手い人、であるような気がします。

BIG3」と並び称されるビートたけしさんや明石家さんまさんには、プライベートな問題も少なからず生じてきましたが、タモリさんは見た目の「怪しさ」に反比例するように、私生活でのトラブルは聞いたことがありません(もちろん、芸能界で多くの人に接していれば「全くないということもありえない」のかもしれませんが)。

 1977年に入ると、ハナモゲラ語の流行もあいまってタモリは一躍時の人となった。折しも、彼を世に送り出した「ジャックと豆の木」はこの年の6月いっぱいをもって閉店している。
 その閉店記念に、タモリを含む総勢100名もの常連客がママとともに温泉旅行に出かけた。目的地である群馬県水上温泉まで、参加者は観光バス二台に分乗し、タモリは持ちネタでもあるバスガイドを務めた。「ただいま通過しました陸橋は、仁和元年、一夜にしてできあがったと伝えられております大和陸橋でございます」「右手をご覧ください。農業に従事する農民夫婦でございます。技巧のないセックスを営み、早三十年」といったフレーズは、のちのちまで仲間たちのあいだで語り継がれることになる。


 しかし、タモリさんのネタっていうのはひどいといえばひどいですよね、この農民夫婦のネタとか。
 本質的には「人畜無害」な芸人じゃないんだよなあ。


 タモリさんの「代表作」である『笑っていいとも』、僕はこの番組のスタート当初からリアルタイムで観ている(といっても、毎日欠かさず、というわけじゃないけれど)のですが、最初の頃は『笑ってる場合ですよ』が終わって、また似たような名前の番組ははじまったな、しかも司会はタモリって……真っ昼間からサングラスのオッサンで大丈夫なの?と思っていました。
 まさか、あんなに長く続くことになるとは。

 2014年3月まで31年半、通算で8054回続いた『笑っていいとも!』だが、それほどまでに長く続くとは放送開始当初、関係者の誰も思っていなかった。同番組の初代プロデューサーの横澤彪からして《これほどの長寿番組になるとは思わなかった》と書いている。それというのも、タモリとは『三ヵ月だけならやる』との約束でスタートしたからだ(横澤彪『犬も歩けばプロデューサー』)。タモリからしてみれば、毎日朝から出勤するのはいやだし、どっちみち自分はつなぎだろうというつもりでいたらしい。『いいとも!』は三ヵ月で打ち切りになるものと確信して、翌年正月にはハワイへ行こうと、飛行機もホテルも予約していたほどだった。

 『いいとも!』が始まって二年後、1984年の筑紫哲也との対談では、世間一般で自分の好感度が上がったことについて「征服したぞという感じですか」と問われ、次のように答えている。

 それはないです。はっきり言うと、オレの時代が来るんだと思ったことは、まずないんですよね。なんかやれば攻撃が来るし、いろんなことを言われるわけでしょう。それがだんだん少なくなってきて、一応好感度のほうになってきましたよね。それは、やったという気分よりも、むしろちょっと待てよ、社会のほうからオレはやられているんじゃないかという気分のほうが強いです。オレが、社会というかテレビを見ている人たちを克服したんじゃなくて、向こうがオレを克服したんじゃないかという感じがありますね。(筑紫哲也ほか『若者たちの神々IV』)


 タモリさんが時代をつくったのか、それとも、時代がタモリさんを求めていたのか。
 『笑っていいとも!』が3ヵ月で打ち切られると思っていた、という話からは、タモリさん自身は、少なくとも「絶対的な自信があった」わけではなさそうです。
 タモリさんがテレビに出始めた頃には「面白いけど、マニア向け」だったのに、『笑っていいとも!』を経て、「お茶の間の顔」へ。
 たしかに「社会がタモリさんを克服した」というか、少なくとも、タモリさんが一方的に社会に歩み寄ったわけではなさそうです。

 1998年の雑誌のインタビューでタモリは、テレビに出ている自分こそむしろ本当の自分で、普段の生活でのほうが演技をしているかもしれないと語っている。タモリに言わせれば、日常生活では人に挨拶したり義理を果たさなくてはいけなかったり、あるいはこの人の顔を潰しちゃいけないとか、こんなことは言ってはいけないとか、とかく不自由だ。それとくらべたらテレビのほうが自由だというのである。

 テレビなんていうものは、言っちゃいけないのは放送禁止用語くらいのもので。それさえ守っていりゃあ、何でも言えるわけですよ。むかついたら、”お前、むかつくな”って言っても、それは笑いになるわけだしね。まあ許される役割でもあるから。だから本番中に平気で注意するんですよ。”お前駄目だ、今の。なんだそれは”って。そんなことは普通は誰もやらない。終わってから楽屋で注意するものなんだけど。(『ターザン』1998年10月28日号)

 言いたいことはテレビで全部言い、ダメ出しすら番組のなかで済ませてしまう。それまでの芸人たちのように師弟関係を持たず、いきなりテレビに出演して芸能界デビューを果たしたタモリならではとのスタイルともいえる。

 タモリさんは、まさに「テレビ時代の申し子」だったのかもしれません。
 ラジオのパーソナリティとしても、大活躍されているのですけど。
 

 この本、読んでいると、それぞれの時代のタモリさんの姿とともに、タモリさんを見ていた自分のこともあれこれ思い出してしまうんですよね。
 これだけ長い期間、観客の人生に付かず離れず寄り添っている人は、他にはいませんし、こういう人は、これからも出てこないのではなかろうか。


タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?

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