琥珀色の戯言

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【読書感想】紙幣肖像の近現代史 ☆☆☆


紙幣肖像の近現代史

紙幣肖像の近現代史

内容(「BOOK」データベースより)
毎日使っているのに、ほとんど知らない“紙幣”の歴史。“お札の顔”が語りかける紙幣と肖像をめぐる物語!


 普段生活していて、「お札」を目にしない日は、ほとんどありません。
 まあ、全部カードで、という人も最近は少なくないのかもしれませんが、僕の場合は、まだまだ基本的には現金決済です。
 でも、お札を真剣に見つめる機会って、意外と無いものですよね。
 虎の子の1万円札を崩すときなどは、かなりつらい気持ちにはなりますけど。


 この本は、そんな「日本での紙幣と、紙幣に描かれた肖像画の歴史」を辿っていきます。
 日本で最初の紙幣といわれる、「山田羽書」という室町時代末期から栄えていた伊勢山田地方で使われていたというもので、現存する最古のものは、元和6年(1620年)頃の預かり手形だそうです。
 過剰に物語性を追求したものではなく、日本でつくられ、使われた紙幣の歴史を、淡々と辿っていく、そんな内容です。
 かなり貴重な紙幣も写真で紹介されており、かなり資料性は高そう。
 そして、「紙幣の肖像には、どんな人物が採用されてきたのか」には、けっこう「時代背景」が反映されているのです。

 まず肖像画が紙幣に使われる一般的な理由から述べよう。第1の理由は偽造防止のためである。人物の肖像は、もし本物と比べてわずかでも違っていると、容易に相違点が判別可能であるからである。絵画の中でも、肖像画や似顔絵を描くのは一番難しく、もし1本の画線を描き誤っても表情が変化し、別人のようになってしまうことを我々は経験している。

 著者によると、第2の理由は紙幣に肖像が入らないと、美的な感覚上ポイントとなる対象物がなく、全体として券面が引き締まらないというデザイン面での理由で、第3は人々に親近感を持たせるため、第4は権力者が権力を誇示するというような、政治的な理由、なのだそうです。


 明治時代、近代日本の悩みの種のひとつは通貨の偽造で、それを防止するために、「お雇い外国人」の技術者によって、紙幣をつくりはじめます。

 明治8年に紙幣寮に採用されたキヨッソーネは、他に頼れる日本人の凹版彫刻師がいなかったため、ほとんど一人で多種類の紙幣、各種の印紙、公債証書などをデザインし、凹版彫刻した。彼は納期に追われて夏期休暇を返上し、また日曜祝日にも出勤したほか、平日も朝6時から夜10時まで連続して働くという猛烈な仕事人間として活躍し、立派な原版彫刻を完成させた。さらに、これに感激した当時の大蔵卿や紙幣頭は、給与の増額のほかに報奨金を年間300円から500円支給したほか、多くの記念褒章品を贈呈している。さらに、この懸命な働きぶりに感動した政府は、明治13年に勲4等旭日章を授与して、その功績に応えている。

 ワーカホリックな外国人技術者によって、明治初期の日本の紙幣はつくられていたのです。
 この働きぶりはもちろんすごいのですが、これだけの働きを必要とするほど、「安定した紙幣をつくること」は大きな問題だったのです。
 使う側の感覚からすると、「お金って、当然のように流通しているもの」だけれど、誰かがつくらなければ、物質としての紙幣は存在しません。
 この本を読んでいると、肖像画の人物や描かれている建物の「時代考証」などについても、かなり綿密な調査が行われていることがわかります。
 紙幣には、その国のプライドが込められているのです。


 明治時代の紙幣には、明治天皇の肖像を使いたい、という内閣の意向があったようなのですが、当の明治天皇が大の写真嫌いで、自分の肖像が使われることに難色を示したために流れてしまった、とか、太平洋戦争の終わり頃につくられたお札は、「あまりにも貧相で、国民の士気が下がる」という理由で刷られたものの発行されなかったとか、戦後は、GHQの意向で、日本の帝国主義に関与したとされる人物は、使わないように申し渡されたとか。
 また、使用される人物は、それなりに個性がある人物のほうが選ばれやすくて、髭が多いほうが偽造しにくくなるということで歓迎された、などという話も出てきます。
 イデオロギーとしての「紙幣に刷られる肖像画」と、偽造防止などの技術的な問題と。

 
 そんななかで、太平洋戦争前後で、ずっと紙幣の肖像に使われてきたのが、聖徳太子でした。
 僕が物心ついたときには、聖徳太子の1万円、5000円札に、伊藤博文の1000円札、岩倉具視の500円札だったのでした。
聖徳太子」は、お金、それも高額のお金の代名詞にもなっていたんですよね。
 聖徳太子に対するポジティブなイメージは、お金の代名詞だったおかげなのか、ポジティブなイメージがあったからこそ、紙幣に採用されたのか。
 多くの、戦前の紙幣に登場した人物たちが、「日本の国粋主義神道などに関連している」ということで、「使用禁止」になるなか、聖徳太子だけは、昔の人物でもありますし、継続使用が許可されたのです。
 1000円札の伊藤博文のライバルが、渋沢栄一だったというのも、これを読んではじめて知りました。
 もし、渋沢栄一さんのほうが1000円札になっていたら、渋沢さんの知名度は、もっと上がっていたかもしれませんね。

 新1000円券に伊藤博文の肖像を採用することが発表されると、さまざまな反対意見が発表された。政治家としては近代日本の構築に貢献したことは間違いないが、私生活では無類の好色家として人格的に問題があるとか、韓国では日韓併合の前提となった韓国保護条約の交渉に当たり、安重根により暗殺された植民地主義者として一時は評判が悪かった。しかしながら、一般国民からは伊藤博文の肖像を歓迎し、支持する声が圧倒的であり、実際に銀行券が発行されると、従来の日本のお札にはみられなかったデザインの斬新さ、色調の明るさ、見事な肖像の凹版彫刻に対して賞賛の声が強かったのである。

 伊藤博文さんの1000円札が発行されたのは、昭和38(1963年)でした。
 いま、あらためて写真をみてみると、たしかに、「こんなカラフルなお札だったのか」と、意外な感じがします。
 当時は、そんなこと、意識してなかったけれど。

 
 こうして昔からのお札を並べてみると、紙幣、とくに日本の紙幣は、偽造を防ぐための技術の粋がこめられた「工芸品」であるということが伝わってきます。
 そして、明治時代に発行された「1円札」が、歴史のアヤで、まだ使用できるという話などは、なかなか面白いな、と。
 現実には、その1円札を額面通りの金額で使う人は、いないでしょうけど。

 
 値段も安くはないですし、紙幣のコレクターや、このジャンルに興味がある人以外にとっては通読するのはちょっと大変な本かもしれませんが、好きな人にとってはたまらない一冊だと思います。
 本当は、僕も福沢諭吉さんの1万円札を10000枚くらいコレクションして、眺めて暮らしたいんですけどね。

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