琥珀色の戯言

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【読書感想】球団と喧嘩してクビになった野球選手 ☆☆☆☆


内容(「BOOK」データベースより)
谷繁元信をキレさせ、三浦大輔を運転手代わりに使って、小宮山悟を巴投げ、編成担当の名刺は丸めて投げ捨てる…こんな破天荒なプロ野球選手(現モツ鍋屋店主)、見たことない!ファンはもちろん多くのプロ野球関係者(球団フロント以外)から、今も愛される「不器用で真っすぐな男(小宮山悟氏談)」こと、中野渡進氏の波瀾万丈すぎる自伝!


 中野渡って、こんな人だったのか……
 テレビの画面越しに見るプロ野球選手って、「ちょっとこのピッチャー、イライラしているな」と思うようなことはあっても、ユニフォームを着ていると、そんなに極端な感情の起伏って、伝わってこないじゃないですか。
 たまに乱闘が起こったり、ベンチで暴れたりする選手はいますけど。


 中野渡進さんは、横浜ベイスターズの中継ぎ投手として短期間でしたが大車輪の活躍をしていて、「今日も中野渡投げるのか……」と、他球団の選手ながら、「ちょっと使い過ぎなんじゃないの?」と思いながら観ていました。


 この本、その中野渡さんが現役時代、そして、プロ野球を引退してからのエピソードを語っているのですが、これがもう、本当にすごい、というか、プロ野球の世界って、こんな「超体育会系」だったのか……そして、そこで戦っている選手たちは、こんなにも個性的で面白い人たちなのか!と驚かされます。
 僕は「オラオラ系」って苦手なので、中野渡さんと友だちにはなれそうもないけれど、野球にしても、もつ鍋にしても、とにかく「やるからには、ちゃんとやる」人なんだよね、中野渡さんって。
 だからこんなに「クソ」を連発していても、周りに人が集ってくる。


 中野渡さんの話のなかに出てくる、ベイスターズの選手たちは、「個性派」揃いです。

「闘志なきものは去れ」
 俺の座右の銘でもあるその言葉を、俺の骨身に焼きつけてくれた人、そして俺を男にも、プロのピッチャーにもしてくれた人、それが谷繁さんだ。
 俺が現役時代、最も恐怖を感じたもの。それは、松井さんや清原さんなんて強打者じゃねぇ。マスク越しにすげぇ顔に睨んでくる谷繁さんだ。
 ピッチャー交代でマウンドに行くと、俺は、いっつもピッチングコーチの遠藤さんの顔ばっかりを見て話していた。谷繁さんに何か言われると怖えからだ。
 最初の頃は相手にもしてくれねぇ。ただ変なボールを投げると試合中でもなんでも「……コラ、テメェ」って、めちゃくちゃ威嚇してくる。たまにタイムを取ってきた時なんか、もうホラー映画並みだ。「怖ぇよ、来んなよ。審判もタイムなんか取ってんじゃねぇ〜」なんて、ビビりまくっていた。
 そんな谷繁さんに気おされないように、俺も「どりゃぁ〜!」と投げては、谷繁さんの返球も前に出て「うぉりゃぁぁ!」と吠えながら奪い取っていた。あの仕草を見ていた人には「オマエ、気合い入ってんな」とよく言われたもんだが、なんてことねぇ。前に出て早くボールを受け取って、一秒でも短く谷繁さんから顔を背けたいってだけのことだ。「うぉりゃぁぁ」のあと、後ろを向いたら「怖ぇぇぇ〜」ってビビっていたのである。
 まあ、つまり、それだけ谷繁さんは気合いが入った人だってことだ。気持ちが弱くて自分に負けてしまうピッチャーの気持ちを奮い立たせようとする。谷繁さんが求めるものは気持ちだ。どんなにいい球を持っていても、練習しても、ストライクが入らなければ意味がねぇ。だが、「ど真ん中でも気持ちを入れて投げれば、打者は押されて打ち損じてくれる」。そんなことを教えてくれた。


 もちろん、谷繁さんは「気合い」だけじゃなくて、データも持っているし、研究熱心でもあったそうです。
「頭脳派で理論派なのは間違いないが、根はドがつく超気合派の人」。
 そして、この「怖い人」は、自分のリード通りに投げてこないピッチャーを怒る一方で、リード通りに投げて打たれたら、「自分の非を認めて、謝ってくれた」のだとか。
 いまは中日ドラゴンズの監督の谷繁さん、以前読んだ横浜ベイスターズの日本一後の「暗黒の歴史」を綴った本では、関係者の多くが、「谷繁の流出は本当に痛かった」と述懐していました。
 それにしても、中野渡さんをここまでビビらせる谷繁さんって、どれだけ怖いんだ……


 同じ時期にベイスターズで中継ぎをやっていた木塚敦志さんは親友(というか、戦友)で、中野渡さんと、ずっとふたりでつるんでいたそうです。

 神宮や東京ドームで試合のある時は、酒を飲まない番長(三浦大輔投手)の車に同乗させてもらい、帰り道に2人でしこたま飲んで送ってもらった。あの番長ってのはよ、俺らみたいなぺーぺーの足に使われてるのに文句のひとつも言わねぇ。あんなの、番長じゃねぇよ。ただのいい人だ。


 今や、ベイスターズの「レジェンド」ともいえる「番長」はお酒を飲まず、若手の頃とはいえ、中野渡さんたちの「ドライバー」として使われていたとは。
 

 その他にも、小宮山悟さんや野村弘樹さんなど、さまざまな選手たちのエピソードが紹介されているのです。
 みんな一風変わっているのだけれど、仲間想いで、野球が大好きな、愛すべき男たち。


 この本のなかには、プロ野球選手だった頃の話だけではなく、もつ鍋屋をオープンするまでの修業のことや、開店してからの苦労も書かれています。
 プロ野球選手の名前でやっていこうとしたのではなくて、本当に味で勝負できる店をつくろうとしたことが、中野渡さんの店の成功につながっているのです。
 逆にいえば、どんな有名人の店でも、「名前だけでお客を呼べる」期間というのは、そんなに長くはないのですよね。

 また、あまりにも気合いが入っている「プロ野球選手を目指した少年・青年時代」の話には、けっこう驚かされます。
 中野渡さんは、1976年生まれで、僕より年下なのに、こんな『巨人の星』みたいな世界が、存在していたのか。

 
 恩師である東海大菅生高校の横井人輝監督について、中野渡さんは、こんな思い出を語っています。

 俺は先生にありぇねぇほど、ぶん殴られた。俺の顔が濃いことも全部、殴られたアザじゃねぇかと言われているほどで、学校にも俺がホームベースからビンタでライトフェンスを往復したなんて伝説も残っている。
 だが、先生の名誉のためにも言っておくが、俺はどんなに殴られても蹴られても、殴り過ぎて腕が疲れてしまい、投げ飛ばされてプロレス技を掛けられ、腕が回復したら、また殴られて……なんてことが起きても、一度として先生を恨んだことはない。
 野球、そして人生には殴られる以上に厳しい場面が必ず起こる。その時、戦う前に気持ちで負けていたら勝負になってなりゃしねぇ。逃げる場所のない厳しい場面でも、前を向いて戦える強い気持ち、それを教えてくれたのは横井先生だ。
 そういう意味では、親父も同じタイプの人間だっった。だが、あれだけ厳しかった親父も俺が高校に入ると、何も口を出さなくなった。入学前に横井先生が父兄を集めて指導方針を話したらしく、親父はそれにいたく心酔したようで「オマエはもう先生のところに里子に出したから」なんてことを、よく口にしていた。
 横井先生は父兄の前で、こんな話をしたそうだ。
「僕は無茶苦茶やります。生徒が、それで成長するなら殴りもします。その方針に文句がある人がいるなら、今すぐ子供を連れて帰ってください」


 僕は体罰には、断固反対です。
 しかしながら、中野渡さんの話をきいていると、「こういう環境のほうが伸びる子も、いるのかもしれないな……」などと、考えてもしまうのです。もちろん、万人向けではないでしょうし、僕の息子を横井監督に預けようとは思わないけれど。

 でもまぁ、来てくれる客の中でも、ある意味でヤクザよりも厄介なのはプロ野球ファンだな。
 ほとんどの客は俺の前職なんて知らねえが、プロ野球、しかも1年しか働いていねぇ俺のことを知っているファンなんて、それだけで相当タチが悪いマニアに決まってる。
 横浜ファンの団体が来た時なんて注文を取りに行った瞬間、メガホンをバンバン叩きながら胴上げされちまったからな。「テメェら出入り禁止だ、バカ野郎!」って吠えたら、逆に喜びやがるし、あんだけ負け続けているチームを応援し続けるドM集団はさすがだよ。さらに「助けてください。復帰してください」「もう肘治ってんだろ、トライアウト受けろ!」なんて、鍋屋の俺に助けを乞いやがる。もう、こっちはルールも忘れたっつうの。


 野球ファンって、バカだよなあ、と僕も自らを省みて思うのです。
 周囲から何度も何度も「そんなに贔屓のチームが勝つところを見たければ、巨人ファン(あるいはソフトバンクファン)になれば?」って言われ続けても、仰ぐ旗は、変えられない。
 「たった1年」であっても、あるいは、活躍できなくても、「俺たちのチームの選手」なんだよね。

 
 プロ野球ファンは、ぜひ読んでみてください。
 あと、自分で何か事業をはじめようという人には、中野渡さんのもつ鍋屋開店までの経緯は、参考になると思います。



4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ 涙の球団史

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