琥珀色の戯言

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【読書感想】僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語 ☆☆☆☆


内容紹介
会社を辞めて14年。 1000万円の元手で商売を始めて、現在年商3億円。 孫正義でもなくホリエモンでもない、市井に生きる中年脱サラリーマンの泣き笑い起業奮闘記。


 著者の前著である『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』は、著者が会社を辞めた年齢と、いまの僕の年齢が同じくらいだったこともあり、読みながら心がヒリヒリしっぱなしでした。
 自分なりに、自分のペースでやってきて、出世レースなんてどうでもよかったはずなのに、実際に「上に行ける可能性」が閉ざされてみると、想像していた以上の閉塞感があったのです。
 『僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと』には、「これは、僕が言葉にして、自分の後輩たちに伝えておきたいと思っていたことだ……」という本だったんですよね。


 今回の第2弾、『僕が四十二歳で脱サラして、妻と始めた小さな起業の物語』は、その続きの話になります。
 42歳という、一般的には「人生の折り返し点を過ぎた」年齢で、大手百貨店を退職し、独立起業を目指した著者の悪戦苦闘が、赤裸々に描かれています。
 お金の話も率直に書かれていて、収入やコストについても、実際の数字が示されていることには、著者の誠実さを感じました。
 

 率直なところ、この本を真剣に読めば読むほど、「著者は起業を薦めているわけではないのだな」と思えてくるのです。
 僕自身、自分の後半生について考えている最中なのですが(とはいっても、「プロブロガー」になったりはできませんので、自分が持っている資格の範囲内で、もっと自分や家族が幸福になれるような仕事のしかたを考えているのです)、世の中そんなに甘くないな、と痛感しています。
 当たり前なんですけど、人がお金を得るためには、時間か、技術か、資本か、プライドか、そのいずれか、あるいは全部を差し出す覚悟が必要なのだな、と。
 

 孫正義さんやスティーブ・ジョブズのようになれる人は、ほとんどいない。
 でも、「自分や家族が食べていけるくらいの規模で、小さく起業する」ことが可能な人は、けっして少なくはない。
 ただし、起業が「社畜」になるよりも幸せなのか?というのは、大変難しい問題です。
 

 こういう話で例として挙げてしまうのは大変申し訳ないのですが、、東大卒・元経産省のキャリア官僚の宇佐美典也さんという方がいらっしゃいます。
 宇佐美さんは、東日本大震災の報道を目のあたりにし、「人生何があるか分からない。一度しかない人生だし、自分の思いに準じて生きるべき」と思い立って、退職、独立を決意したそうです。


 宇佐美さんの著書『肩書き捨てたら地獄だった - 挫折した元官僚が教える「頼れない」時代の働き方』のなかに、こんな話が出てきます。

 その際、まずは官僚退職者によく見られる、金融機関や商社、コンサルタントへの転職という進路も考えないではありませんでした。実際にいくつかの会社の面接も受けています。しかし、ただ「官僚を辞めて転職したという先輩なら何百人もいて、面白くはない。どうせなら組織に頼らず、一人の「宇佐美典也」としてゼロから勝負、起業や独立開業といった道を歩もうと決めたのです。


「東大卒なのに、肩書きを捨て、自分で道を切り開いて、食べていけるようになった」という宇佐美さん側の感覚と、「東大卒・官僚時代の人脈あり、っていうのは、同じように独立・起業した人間のなかでも、『下駄をはいている』ようなものだよな」という僕の感想とは、けっこう乖離しているんですよね。

で、宇佐美さんが独立してやっているコンサルティング業とかブログでの発信みたいなものって、「官僚をやめてまで、やりたいことだった」のだろうか?とも思うし。


でも、「やりたいことをやる」ための起業って、けっこう難しそうなんですよね。


僕はけっこうこういう「起業した人の体験談」みたいなものをたくさん読んでいるのですが、会社として人を雇えるくらいまで成功した人の多くは、「何かやりたいことがあって、その仕事をはじめた」のではなく、「とにかく自分の生きかたを自分でコントロールしたい、という強い意欲があって、置かれた環境のなかで、もっとも成功しそうな商材を扱うことにした」のです。


 この本の著者の和田一郎さんは、なぜ、着物をネットで売るようになったのだろう? 着物がもともと好きだったのだろうか?
 ブログをみていると、着物に対するさまざまな知識や思い入れが語られており、もともと着物好きだったのだろうな、と僕は思っていたんですよ。
 でも、そうじゃなかった。


 さまざまな「起業」のアイディアが次から次へとうまくいかなくなって(そのなかには「釣り具の販売」や「総菜屋」というのもあったそうです)、生活のために起業資金を切り崩していくような日々のなかで、偶然出会ったのが「四天王寺の市の段ボールに放り込まれていた、古い着物」だったのです。
 それが、「きっかけ」だった。


 おそらく、著者の「海外で着物を売る」という起業は、世間に数多ある「起業物語」のなかでは、かなり順調にいったほうではないかと思います。
 でも、実際の自転車操業の様子や、ようやく利益が上がったきた際の、ずっと一緒に働いてきた人たちとの軋轢など、今回も、読んでいて、身につまされるところがたくさんありました。
 そもそも、「着物に関して、ほとんど知識がなかった」という著者は、着物について猛勉強しておられますし、読むのはともかく、書くのは苦手だったという英語でのやりとりも、少しずつこなしていっています。
 ただ、この点では、奥様の「英語力」と「人脈」が、大きかったのだなあ、というのも伝わってきます。

 僕が体験した最も言いにくいことは、その点だ。
 会社を辞めて何か商売のネタを見つけることができるかどうかは、会社を辞める前に知ることはできない。実際に辞めて追い込まれてみなければ、出合うことができないものがあるということだ。僕の場合、もし、食えるという確信ができるネタをつかむまで会社を辞めないでおこうと決めていたら、会社を辞めることはできなかったかもしれない。
 一般的には、独立には周到な用意が必要だと言われているが、逆に必要なスキルは独立した後、学びながら身につけていくもので、辞めてしまえばなんとでもなると言う人もいる。僕自身あるいは僕の周囲を見ると、どちらかと言えば後者の主張の方が正しいように思えるが、それも業界や仕事内容によるかもしれない。

 これは、ものすごく誠実な「答え」だと思うのです。
 世の中には、結局「まずはやってみなければ、わからない」ことってある。
 でも、ノウハウ本の多くは、そういう事実を認識していながらも、「こうやれば、絶対にうまくいく!」と太鼓判を押してみせているのです。
 ただ、この「起業の世界」への門前にいる人間にとっては、「歯切れが悪い」というか、「じゃあ、どうしろって言うんだ?」と言いたくなる部分でもあるのです。


 僕にとって、とくに印象的だったのは、この話でした。

 ビジネスの生々しい現場の話は、本やネットには書かれていないので、最新の情報は誰かに聞くか自分でやってみて手に入れる他ない。そして、誰かに教えを請えば、多くの人は快く教えてくれる。礼儀と誠意をもって尋ねると、たいていのことは教えてくれる。僕の場合も、意図的な嘘を教えられたことはない。
 会社を辞めてから僕はしみじみと思うのだが、必要な人を見つけ必要なことについて教えを請うということは、一番大切なことなのではないだろうか。そして、誰かに話を訊く時、その相手に教えてやろうかと思ってもらえるようなアプローチのできることが重要だ。また、人それぞれ教えてやろうという動機は異なるので、相手を見てそれを探る必要もある。


(中略)


 僕が本人から聞いた中で最もすごい「訊く」話にはこんなものもある。彼は金融機関の会社員だったのだが、数年で辞めて独立した。ブランドバックのリサイクルをやろうとしたのだが、どうしてもその真贋の見分けのポイントがわからない。そこで彼はブランドバッグを持ってかたっぱしから質屋さんやリサイクルショップに入って、真贋の見分け方を教えてくれるように頼んだ。ブランドバッグのリサイクルの商売ではその真贋の見分けは肝である。それを聞かれて誰がそんなことを教えるものかと普通は思う。だが、百軒だか二百軒だか回って断り続けられていると、一軒、二軒とそれを教えてくれる人が現れたというのである。
 彼は数年で僕のビジネス規模を軽々と越えていった。
 気持ちが伝われば、やはりそうやって教えてくれる人が現れるのである。


 こちらが誠意をもって訊けば、大事なことでも、ちゃんと教えてくれる人がいる。
 これは、僕自身も人生で実感してきたことです。
 相談すれば、案外、助けてくれる人っているものなのだけれど、「そんなことを訊いたらバカにされたり、拒絶されたりする」のが恥ずかしくて、あるいは怖くて、結局のところ、「人」にではなく、「本やネットの知識」に頼ってしまう。
 いや、それならまだマシなほうで、基礎もできていないのに「自己流」だと言い張って、破滅への道を猛ダッシュしてしまう。
 昔、みのもんたさんが『愛の貧乏脱出作戦』という番組をやってたじゃないですか。
 あの番組の「見どころ」って、「こんなにダメな店が、なぜ営業を続けているんだろう?」という、冒頭の「貧乏店紹介」だったと思うのですが、彼らはすべからく、「他人の、これまでうまくいっていた人に学んでいない」のです。
 他者に学ばないのが「オリジナリティ」だと、自分に言い聞かせている。
 

 世の中には、意外と「教え好き」の人って、多いんですよね。
 自分に聞きに来てくれた、というだけで、快く教えてくれる人もいる。
 それは、自分が築いてきた技術を誰かに伝えたいとか、他人の役に立ちたいとかいうのもあるだろうし、この人に恩をうっておけば、将来、何か良いことがあるかもしれない、という打算かもしれない。
 その「理由」はさておき、このネット時代でも、少なくとも2015年の時点では、いちばん新しくて、実践的な知識を持っているのは「人」なのです。
 もうほんと、これに尽きると思う。
 世の中の「起業本」って、「アイディアの出し方」みたいなものに多くのページが割かれているけれど、いちばん大事なのって、「粘り強く、自分にとって必要な人にアタックしつづけること」なのではないかと。
 と、ここまで熱く書いてきて、僕自身は「それが頭でわかっていても、僕にはできないんじゃないかな……」と、考え込んでしまうのです。
 「拒否されてもアタックし続けろ!」って書くのはラクなんだけど、実際にやってみると、目の前のひとりに拒絶されるだけでも、けっこうヒットポイント減りますしね……
 

 僕は、もともと何か新しいことを勉強するのが好きなたちである。
 市場で眼を剥くような値段の着物や古布を見たり、お客さんから尋ねられたりするうちに自分でも興味が湧き、本を買ったり顔見知りになった先輩たちに尋ねたりして一生懸命勉強した。
 毎日、1日のうち20時間近く、写真を撮るか、画像処理をするか、英文を書くか、メールを書くか、市場に仕入れに出るかして、時間が残れば着物の本を読んだ。しかし、本から得られる情報は限られている。現物を目の前にして、実際に触れてみないとわからないことの方が多い。
 母に教えてもらえることはおおむね昭和以降の着物のことであり、また縫製や着方に関することはよく知っているが、生地の見分け方などはわからない。それに古着販売の先輩たちから教えてもらうことも、人によって言うことが異なったり矛盾があったりして、勉強も一進一退である。


 結局のところ、「起業で成功できる人は、他の仕事をやっても、成功できていたはず」というのが「現実」なのです。
 著者は、百貨店に残っていれば、それなりに偉くなったのではないかと思います。


 本気で起業を考えている人にとっては、「ものすごくわかりやすくて具体的な成功例」であるのと同時に、「ここまでやらなければならないのか」と白昼夢から目が覚める、そんな本ではないかと。
 高級クラブでドンペリタワーをつくり、クルーザーや競走馬を買って豪遊、なんて話は、一切出てきません。
 収入も、「それなりのものだけれど、ここまでやっても、このくらいなのか……」と、僕は感じました。
 

 僕は会社を辞める時、妻にこう念押しした。
「ひょっとしたら、小さな弁当屋さんの主人とおかみとかで人生終わるかもしれへんけど、ほんまにええんか?」
 僕の会社での行き詰まりをなんとなく実感していたらしい妻は、いいよと即答した。
 残るは子供たちであったが、小さな子供たちにそれを訊ねるのも酷な話だ。しかし、僕の背中を押してくれた先輩は、こうも言ったのである。
「子供が大学に行かれへんようになったとして、それがそんなに大きな問題ですか。だって、自分の人生を納得のいくように生きてみせることの方が、大学に行かせるより子供にとって大事なんじゃないでしょうか。自分に嘘偽りなく生きていれば、親の背中を見ている子供は立派に育ちますよ」
 その言葉を思い出し、僕は子供たちにすまないと心の中で詫びて、自分の道を行くことを決意したのだ。

 「起業」っていうのは、お金とか仕事の内容の話じゃなくて、「生きざま」の問題なのかもしれませんね。
 この本を読んで、「それでも自分は、『起業』したい!」という人なら、たぶん、うまくいく。
 そんな、「起業志望者のリトマス試験紙」みたいな一冊です。



僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

僕が18年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のこと

この本の僕の感想はこちらです。

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