琥珀色の戯言

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【読書感想】気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べている ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
ウマいか?→まあ、フツー。安い?→まあ、そこそこ。早い?→まあ、確かに。吉野家ココイチから野郎ラーメン、カラオケパセラまで35軒のチェーン店が俺を魅了して止まない理由。


 「チェーン店」は、好きですか?
 僕はあまり美味しい店を探すセンスに自信がないので、旅先などでは、安全策として選びがちなんですよね、チェーン店。
 『孤独のグルメ』に出てくるような、個性的かつ「当たり」の店って、そうそう出会えるものじゃない。
 『愛の貧乏脱出作戦』に登場してくるような「大ハズレ」のリスクと、店選びのめんどくささを考えると、チェーン店って、ありがたい存在ではあるのです。
 しかしながら、他人とご飯を食べにいくとき、デートなんてときには、「手抜き」っぽく見られてしまいがちです。

 
 著者は「まえがき」で、こう書いています。

 雰囲気のいいお店! 知っています! 美味しい定食屋! よく行きます! センスのいい個人店! お任せください! 高級店? たまには行きますとも!
 だけど、違うのです。僕は気がつくとチェーン店にいます。いつも、いつも。
 1970年。府中にファミリーレストランの始祖鳥「すかいらーく」が1号店を出店し、「ドムドム」が開業したこの年以降、日本の外食産業を劇的に変えていったチェーン業態。それは1975年生まれの筆者のようなバブルの後塵を拝する世代にとって、子どもの頃から最も慣れ親しんできたメシ。知らず知らずのうちに血肉となりてソウルフードと化してしまいました。ステキなカフェで友人とランチをいただいたら、帰りは「吉野家」で夕食。気の利いたスナックで気持ちよく飲んでも、仕上げに「和民」で飲み直し、「日高屋」でラーメンを食べて、始発まで「マック」にいる。本当は、個人店の方が好きなんです。でも、悔しいかな、気がつけばチェーン店ばかりでメシを食べています。
 その方が、安いんです。便利なんです。で、何よりもそこそこウマくて気楽なんです。


 ああ、これはわかる、あなたは僕ですか?って言いたくなる。
 「画一的なチェーン店なんて、面白みがない」「地域の個性的な個人店が、チェーン店の進出によって、どんどん失われてしまっている」なんて言いながらも、実際に行くとなると、ついつい、「そこそこ美味しくて、『まあ、チェーン店ですから』という諒解のもとで、肩が凝らない程度にほうっておいてくれる」ほうを選んでしまうのだよなあ。
 「所詮チェーン店だから」という気楽さは、案外心地よいのです。
 「ラーメン二郎」とかだと、そういうわけにもいかないでしょうけど。


 なんのかんの言っても、世間にはこれだけチェーン店があふれているのは、著者や僕のような人が、けっこう多いのではないかと思われます。
 

 この本の発行が、2014年6月1日。
 元になった連載は、2007年から中断をはさんで足掛け8年にもわたったそうです。
 全部で35のチェーン店について語られているのだけれど、2007年くらいに書かれたものに関しては、今と店の雰囲気が違っていそうだし、『東京チカラめし』が、「新興勢力」として紹介されているのを読むと、飲食業界の栄枯盛衰、みたいなものを、あれこれ考えずにはいられません。
 中華料理の『バーミヤン』が、北海道・東北・九州から完全徹底してしまっていた、というのも、これを読んではじめて知りました。
 そういえば、一時期はけっこうたくさんあったのに、最近見かけなくなったな……と。
 『東京チカラめし』もそうだったように、チェーン店というのは、無くなるときには、一斉に無くなってしまうこともありえるのです。
 また、「スシロー」「くら寿司」などの回転寿司系も含まれていません。
 あと1年連載が続いていたら、必ず出てきたとは思うのですが。


 チェーン店には、子どもの頃や、学生時代にひとり暮らしをしていた頃の記憶が詰まっています。

 出会いは中学2年生の夏だった。「子供たちと宇宙」をテーマに、1989年に開催された横浜博覧会。「YES'89」なんて言いながら、リニアモーターカーが爆走するを眺め、壮大なパビリオンが立ち並ぶその近未来的空間に身を置いた中で、筆者が最も宇宙(コスモ)を感じたもの。それは昼食に食べた「カレー」だった。
CoCo壱番屋」。初めて聞くそのカレー屋はすべてが未来的だった。ライスの量、辛さ、そしてトッピングが選択できるという斬新なシステムだけではない。ひと口食べて以来、家で食べるカレーにも欠かせなくなってしまった「チーズ」とカレーの絶妙なマッチング。本物は赤くないと教えてくれた福神漬。そして20分で完食すればタダとなる「1300gカレー」の暴力的な存在感である。運が悪いことに、たまたま近くの席で大学生ぐらいの若いお兄さんが、1300gカレーに挑戦する光景を目撃してしまった。細身でひ弱そうに見える兄さんが、1300g挑戦を表明した瞬間の店内の異様な盛り上がり。そして、エベレストにも思えるカレー山脈の登場。それを挑戦者が見事に平らげたときの歓声……それは完全なる英雄の扱い。抜群にかっこよかったのだ。いや、今ならばぶん殴ってでも「そいつに憧れるな」と言ってやりたいのだが。

 いまや、あまりにも僕にとっては日常的になってしまった『ココイチ』。
 僕の『ココイチ』初体験は大学生のときでしたが、著者とほとんど同じような感慨を抱いたんですよね。
 「ライスの量や辛さ、トッピングが好きなように選べる」というだけでも、カレーには、「ビーフカレーかカツカレー、普通盛りか大盛り」くらいしか選択肢が無かった当時の僕にとっては、かなり革命的なことだったのです。
 そして、あの「1300gカレー」!
 「20分以内に全部食べればタダ!」懐かしすぎる。
 いつのまにか無くなってしまった「1300gカレー」(たぶん、注文すれば今でも量的にはつくってくれるとは思うのですが、全部食べても有料です)、店内に張り出された「完食者」たち。
 僕自身は挑戦したことはないのですが、知人や偶然居合わせた人の挑戦の様子をみていると、途中まではけっこうスイスイと食べすすめていくのだけれど、残りあともう少し、くらいのところで、みんなガクッとペースダウンしてしまうのです。
 1300gというのは、実に巧妙な舞台設定でした。


 また、ケンタッキーフライドチキンの回では、こんな話が出てきます。

 ちなみに日本で最もケンタッキー消費量が多い県は沖縄なんだとか。かの地ではクリスマスだけではなく、お正月に誕生日に入学・卒業式などお祝いのある日にはケンタッキーが並ぶのだとか。さらにお歳暮、入院見舞い、結婚式の引き出物に引っ越しの挨拶なんてことにも使われる。俄かには信じ難いが、実際に沖縄の友人はケンタッキーで白メシを食べていたし、文化の違いはこんな狭小の島国にでさえ起こるということだ。


 沖縄県の人は、そんなにケンタッキーフライドチキン好きだったのか!
 「ケンタッキーで白メシ」って、言われてみれば、十分、おかずになりそうではありますが、なんとなく「ご飯のおかずとしての『からあげ』」とは違うような気がするのです。
 それこそ「先入観」なのかもしれないけれど。


 チェーン店やファストフードって、「画一的」だと批判されがちではありますが、だからこそ、同世代にとっては「共通の記憶」になりやすいのです。
 たしかに僕も、気がつけば、チェーン店ばかりで、メシを食べていました。
 

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