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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】九州大学生体解剖事件――70年目の真実 ☆☆☆☆☆


九州大学生体解剖事件――70年目の真実

九州大学生体解剖事件――70年目の真実

内容紹介
軍の命令か、医の倫理の逸脱か――。終戦直前の1945年春、名門大学医学部で行われたおぞましい「実験手術」で米軍捕虜8人が殺された。医師側の首謀者として死刑判決(のち減刑)を受けた鳥巣太郎氏(当時、九大助教授)の姪が、戦犯裁判記録のほか、知られざる再審査資料、親族の証言などを基に、語り得なかった真実を明らかにする。


 太平洋戦争中に、日本軍が行っていた人体実験としては、731部隊によるものが知られています。
 しかしながら、人体実験はそれだけではなく、僕が住んでいる九州でも、行われていたのです。
 この「九州大学生体解剖事件」は、1945年、終戦の年に九州大学の医学部内で起こりました。
 本来は「戦時捕虜」として扱われるはずだった米軍の兵士たちに麻酔をかけて、生きながら肺や胃を切除したり、脳をいじったり、「代用血液」と称して海水の成分を血管に注入したり、といった非道な行為が行われたものです。
 戦争中ですから、さまざまな残虐行為が各所で起きていたのは事実なのですが、これは「人命を救う」のが使命であるはずの医師たちが、軍と共謀して、自分たちの研究の成果を試したり、手術の技術を磨くために、「人体実験」をするという、極めて悪質なものでした。
 

 この本の著者は、当時の九州大学第一外科の助教授(今で言えば「准教授」ですね)の鳥巣太郎さんの姪です。
 著者は、当時のさまざまな資料を集め、関係者の話をまじえて、なるべく忠実に当時の状況を再現しようとしています。
 関係者の親族が書いたものなのだから、「身内びいき」みたいなところがあるのではないか、と思いながら読み始めたのですが、著者の鳥巣太郎さんへの愛着を感じる部分や、自分たちが罪を逃れるために、鳥巣さんを「首謀者」に仕立てようとした関係者への憤りの感情が抑え切れない部分はあるものの、冷静な筆致で、当時の状況が再現されていると思います。


 それにしても、なんでこんなことを、軍は命令し、九大一外科の石山教授は請け負ってしまったのか?
 いまの感覚でいえば「悪魔のような医者」だと思う。
 この本のなかには、撃墜された米軍のパイロットが、墜落地の日本人たちに「仇」として虐殺される場面が出てきます。
 「医者である前に、アメリカを敵視する日本人であった」のかもしれないし、「どうせ処刑されるのであれば、医学のために役立てるほうが有意義だろう」と考えてもいたようです。
 この「医学のため」「科学のため」「人類のため」というような発想を「大義名分」として、多くの人たちが犠牲になってきました。
 「実験的な治療」によって医学が進歩してきた、という面があるのは否めないけれど、それはあくまでも、治療のためであることと、治療を受ける側の同意があってこそ、のはずです。
 とはいえ、そういう「患者の権利」が確立されてから、そんなに長い時間が経っているわけでもない、というのは事実なのですが。

 石山(教授)は「私は九州帝国大学外科教授として畏くも天皇陛下からこの教室をお預かりしている。私たちはアングロサクソンと戦う使命を持っている、医学=メスでもって!」と訓示し、学生を鼓舞し、医局自体を戦場とみなし、軍隊式の統率を行っていた。
 石山は医局員の些細な行動もチェックし、研究のために召集を免れている者に対しては、「自分の命令に従わねば軍隊にやるぞ」と言い放った。気にいらぬスタッフは容赦なく飛ばした。手術の可否、方法、助手の任命等すべて石山が決定し、必ず自分で手術を行った。石山は「専制君主」であった。これは石山自身の性格もあるかもしれないが、若き日にドイツ留学したことも関係しているのではないかと著者は思う。留学の時期はナチスの台頭期にあたり、当時の若者の例としてファシズムの影響を受けたのではないか。
 鳥巣は、教授室の隣に部屋を与えられた。同時に専門部(戦時下、九大に設けられた医師の速成を行う専門学校)の教授にも任命され、石山の忠実なアシスタントとなっていった。


 九州大学医学部という名門の優秀な医師たちが、なぜ、こんな暴挙に手を染めることになったのか?
 当時の彼らにとっても、「許されない行為」だという認識はあったはずです。
 終戦直後に、この「人体実験」の隠蔽工作を行っているのですから。
 ただ、「その場」では、秘密厳守という雰囲気でもなかったようです。

 第一外科の森良雄講師は、公判では語ることができなかったとして、再審査に際して次のように述べている。
「(実験手術は)当時大学内では公然の秘密というべき状態であった。(戦後)法廷に来た大学関係の証人たちが『知らなかった』『現場に入れなかった』とか言う理由は、事件に無関係でありたい気持ちや大学の立場を現在になって考慮する気持ちに基づいている。私は大学当局も当然関係しているものと確信していた。私自身、秘密厳守を当時命じられた覚えはない。軍のトラックも専門部事務局玄関近くに堂々と到着した。(捕虜が連れ込まれた)解剖学教室裏といわれている道路は、学生、一般人の交通の激しい道路である。
 また、解剖実習室は三方ガラス窓で外から直に中が見える。


 第一回目の手術の状況について。
 アメリカの飛行士は、麻酔をかけられ、必要のない肺の切除を行われたのです。
 当時の日本の医療技術では、「片肺を切除する手術」は技術的に困難とされていました。

 鳥巣は初めて不審の念を抱いた。肺の切除をやる必要があるのだろうか? しかし手術中はみだりに自分の意見を出すことは許されない。手術中必要な処置は手術者の命令によってのみ行われる。この命令服従の関係は患者の生命に関わることであるので、医師にとっては絶対的なものであった。それに石山教授は肺手術の権威でもある。切除すべき根拠があるにちがいない――。
 飛行士はみるみる弱った。そこに代用品である海水が注射され、飛行士は持ち直したかに見えた。石山は佐藤大佐に向かって、
「ただ今飛行士に注射したのは海水溶液の代用血液です。このように、非常に効果があります」
と説明した。
 ついで縫合に入った。手術終了である。
 片肺を奪われた飛行士はまだ生きていたが、今にも呼吸は止まりそうである。飛行士の右側にいた鳥巣はとっさに胸の下部に両手をあてて人工呼吸を試みた。医師としての衝動的動作だ。だが、それは無駄なことだった。飛行士の右側に立っていた小森見習士官が、すっと手を伸ばし、自ら縫合した糸を切りほどいて傷口を再切開したのだ。「生かしておくわけにはいかなかった」と後に語ったという(佐藤吉直供述書)。
 鳥巣は悟った。これは実験手術だ!

 もう、読んでいるだけで、息が詰まりそうになってきます。
 なんでこんなことができたのか?
 同じ状況になってしまえば、僕でも、同じことをやってしまえるのか?


 鳥巣さんは、全部で4回行われた「人体実験」のうち、1回目はそれが「人体実験」であることを知らないまま手術室で助手を務め、2回目はあえて遅れて手術室に入ったものの、乞われて最低限の手伝いのみを行ないました。
 「医者が、医学部でこんなことするべきではない」と石山教授を諌めたものの(教授が絶対的な権力を持っていた当時の医学部では、極めて勇気がいることだったと思います)、受け入れてはもらえず、3回目の手術は意図的にサボタージュを行ない、4回目は家の事情で病院内にすらいませんでした。
 にもかかわらず、戦後に行われた裁判では「自殺してしまった石山教授に代わって、責任者として絞首刑になる」役割を押し付けられようとしたのです。
 他のみんなが極刑を免れるために。
 鳥巣さんは、元来善良な人物だったのか、「自分の関与が乏しい」ということを知っていたがために甘く考えていたのか、「みんなを守る」ための証言に終始し、絞首刑を宣告されてしまいます。
 妻の蕗子さんをはじめとする関係者の奔走もあり、最終的には、なんとか減刑されることができたものの、僕はこの奥様の献身に感動するとともに、「あの時代には、こんなふうに、自分がやってもいないことの『責任』をとらされた日本人が、大勢いたのだろうな」と考えずにはいられませんでした。
 A級戦犯の裁判のことは、いまでも話題になるのですが、B級戦犯に関しては、「敵国への負の感情」を押し付けられ、従容として死んでいった無実、あるいは軽微な罪の日本人がたくさんいたのです。
 だからといって、鳥巣さんが「幸運」だった、と言うつもりはないのだけれど。
 この本のなかで、鳥巣さんは「ただランプ持ちをしていただけの大学院生が10年の刑になった」と妻に語っておられます。
 だから自分は、満期まで刑を勤めるべきなのだ、自分は、その大学院生よりは「状況を動かす力がある人間」だったのだから、と後悔しながら。

 軍関係者の二転三転する責任逃れの供述を、被告席で鳥巣はどう聞いたのだろうか。
「軍隊は決して責任を取らないものだ」と鳥巣は後年、著者に語った。
 下の者は上の命令に従っただけだと言い、上の者はさらに上の者の命令に従ったのみと言う。上の命令に逆らえば処罰されるから仕方がなかったと主張する。最も上の者は部下がしたことであり、関知しないという。軍隊の仕事はつまりは人を殺すことなのだから、いちいち責任を感じていたら戦えないという理屈である。
 軍服を脱いだ高官たちにかつての威厳はかけらもなかった。彼らを恐れた医師たちは参謀の軍服に幻惑されていたのだ。そして、言うべきことを言わず、するべきことをしなかった。


 これは誰の責任なのか?と考えるのは、なかなか難しい。
 軍部は「どうせ処刑するのなら」と思い、偉い医者たちは「軍部の圧力があった」と証言し、教授を手伝った医師たちは「教授には逆らえなかった」と述懐しました。
 でも、みんなが「大きな力には逆らえなかった」と言っている一方で、軍部からの「実験材料」の提供を拒否した病院もあったし、鳥巣さん自身も、一度教授に中止を進言してからは、参加を強要されることはありませんでした。
 それは、裁判において「強制力はなかったのに、自主的に参加しただけではないか」として、不利な材料にもなりました。
 「本気で断ろうと思えば、断れたし、ペナルティも無かったではないか」
 もっとも、戦争で日本が勝っていれば、教授に逆らった人々にはなんらかの「意趣返し」が行われていた可能性はあったと僕は想像してしまうのですが。


 この本を読みながら、「僕がその場にいたら、どうしていただろうか?」と考えずにはいられませんでした。
 少なくとも、今の僕であれば、積極的に人体実験を推進することはないと思う。
 でも、教授に「手伝え」と言われたら、「嫌です」と言えるだろうか?
 「こんなことはやめましょう」と諌言できるだろうか?
 職場を負われるリスクや、軍部に睨まれる可能性もある。
 当時は「日本の連合艦隊には飛行機がない」という「事実」を発言しただけで、3年の懲役を食らった例もあったそうです。
 しかも、「この敵兵の犠牲で、より大勢の人の命、それも同胞の命が救われるのだ」という、「解釈」があれば……
 「731部隊」の責任者は、その実験の資料と引き換えに、戦犯として告発されることから逃れた、と言われています。
 この「九大生体解剖事件」にも、「ちゃんとデータをまとめておけばよかったのに」という医師たちからの声があったそうです。
 人間にとんでもないことをさせるのは「悪意」ばかりとは限りません。
 むしろ、「狂った善意や正義」こそが、大きな犠牲を生みやすい。
 

 この事件の関係者たちは、もし戦時中でなければ、「優秀なエリート医師」として人生をまっとうしていたはずです。
 戦争というものは、ここまで人間の「良心」とか「善性」を麻痺させてしまうものなのか、と考え込まずにはいられません。
 「自分の置かれた環境」とか「空気」とかに影響されずに生きられる人というのは、ごくひとにぎりしかいない。
 自分を縛り付けていると思いこんでいるものが「幻影」であるというのがわかっていても、あるときには、「幻想」が、自分と同化してしまっていたり、アイデンティティのよりどころになっていたりもする。

 上坂冬子氏の『生体解剖――九州大学医学部事件』の巻末に、伯父へのインタビューが載せられている。インタビュー終了近く、事件当時、第一外科の医局員は一体どうすえばよかったのか、ああする(命令に従う)よりほかに仕方がなかったのではないかと問いかける上坂氏に、
「それをいうてはいかんのです。おっしゃったら駄目なんですよ」
 伯父は強く否定した。
「どんなことでも自分さえしっかりしとれば阻止できるのです。……すべては林博士のおっしゃったことにつきますよ。言い訳は許されんとです。当時反戦の言動を理由に警察に引っ張られた人たちがおりました。あの時代に反戦を叫ぶことに比べれば、私らが解剖を拒否することの方がたやすかったかもしれません。ともかくどんな事情があろうと、仕方がなかったなどというてはいかんのです」


 鳥巣さんは、あの時代に生まれ、あの研究室に所属していなければ、こんな汚名にまみれることはなかった人だと思います。
 本人は「運が悪かった」とこぼすことはなく、自分自身を責め続けながら、いち開業医として残りの人生を過ごしました。
 鳥巣さん以外の九大の関係者も、ほとんどは、平時に生きていれば、善良で優秀な医療従事者だったはず。


 戦争というのは、ひとりの若者を「実験材料」として扱うことに疑問を抱かない人間を生むものであることを、忘れてはならないと思う。
 そして、広島や長崎でアメリカ軍がやったことは、もっと酷い「人体実験」だったのに、それを裁くことは、誰にもできていません。