琥珀色の戯言

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【読書感想】誤解だらけの日本美術 デジタル復元が解き明かす「わびさび」 ☆☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
復元してみたら思っていたのと全然違う! ! 国宝の真の姿を味わいつくす豪華すぎる一冊


実は真っ赤な阿修羅、きらめいていた銀閣、ド派手な風神雷神…。私たちが「わびさび」の芸術として親しんでいる国宝は、初めからもののあわれで、渋くて枯れた趣だったわけじゃない。最新のデジタル技術で国宝の「本来の姿」を復元し、制作当時の「環境」を理解すれば、日本美術の見方がガラリと変わる!


 もう10年くらい前、韓国の釜山に旅行したことがありました。
 梵魚寺という仏教寺院を訪れたのですが、そこの仏像たちをみて、僕は面喰らってしまったのです。
「うわっ、なんだこの赤・青・緑の極彩色の仏像は!ケバケバしいなあ!」
 僕は、日本の京都のお寺にある国宝級の仏像と比較して、そういう印象を持ってしまったのです。
 ガイドさんの話を聞いてみると、韓国では「現在も信仰の対象だから、アップデートというか、何度も綺麗に塗り直している」とのことでした。
 ああいう色合いが、アジアの「文化」なのだな、と他人事のように感じたのですが、考えてみれば、日本の仏教文化も中国から入ってきたものです。
 日本だけが例外で、最初から「枯れた彩色」だというほうが、おかしいんですよね。


 とはいえ、この新書で、著者がデジタル復元で再現した、完成当時の『阿修羅像』の姿や色を観ると、正直なところ、「僕が3時間も並んで『阿修羅展』で観たものと、同じものなのか、これは……」と絶句してしまいます。
(この項での「阿修羅像」は、興福寺の国宝「阿修羅像」を指しています)

 復元した阿修羅の色具合を見て、いつもお世話になっている放送作家で脚本家の高坂圭さんが、実に印象的な言葉を発した。
「まるでサーファーのあんちゃん、みたいだね」
 言い得て妙である。それを聞いてしまってからというもの、私はどうしてもそのように見えてしまってしかたがない。
 太陽に照らされて赤く映える肌、そしてアロハの模様のような短パンにサンダル(本当にサンダルのようなものを履いている)。ドレッドぎみの長髪を脳天で束ね、ちょっとだけヒゲを生やした姿、さらに、サイドの顔面は耳をすっぽりと覆う大きなヘッドホンに見えてくる……
 私たちが抱いているイメージを次々と打ち砕く事実ばかりが立ち現れ、ついには「サーファーのあんちゃん」という意見まで飛び出した。

 こんなに赤かったの? 阿修羅像って。
 機会があれば、書店で、この「デジタル処理で復元された阿修羅像のカラー写真」を、見ていただきたい。
 かなり衝撃的です。
 これは僕を騙そうとしているのではないか、とか、つい考えてしまいました。
 『阿修羅展』で、『阿修羅像』の指先が欠けているのをみて、なんだかとてもせつない気持ちになった僕なのですが、そのときのせつなさを返してほしいくらいです。


 いやしかし、面白いですよこれ。
 これまで、僕が「わびさび」だと思っていたのは、単なる経年劣化をありがたがっていただけなのかもしれません。


 美術品の「修復」については、修復技術や、「制作当時の状態」がわかるようになってくるにつれて、さまざまな問題点が生じてきました。


 池上英洋さんの『西洋美術史入門・実践編』という新書のなかで、こんなエピソードが紹介されています。

 美術史的には、ほぼ同様の文脈における論議の的となった作品があります。イタリア中部の都市ルッカの、サン・マルティーノ大聖堂に残る<ヴォルト・サント>です。「聖なる顔」という意味で、<聖十字架>の名でも知られています。


 この作品については、キリストの磔刑に立ち会ったとされるニコデモ本人が彫ったという伝説があります。後に地中海東沿岸部からイタリア人司教のグァルフレードによってイタリアへと運ばれたのですが、ラ・スぺツィアの海岸で船が座礁してしまいます。その時、ルー二とルッカのふたつの都市の間で所有権が争われ、十字架を載せた牛がどちらへ進むかによって決めることになります。はたして牛が向かったのはルッカの方向だったために、この作品は今日でもルッカにあるというわけです。といっても、伝説が伝えるような一世紀の作品ではなく、様式的には八世紀頃のビザンティン以東地域の作品を、十二世紀頃に模倣した作品だと考えられています。


<ヴォルト・サント>にも修復がおこなわれました。図版はその前とその後の写真です(注:本にはそれぞれの写真が掲載されています)。一見して明らかなように、修復前には本作品は金細工によるきらびやかな王冠やドレス、サンダルなどで飾られていました。しかしそれらは後世に加えられたものだったので、修復の際にすべて取り外されたのです。


 しかし、同じ大聖堂内の、サンタゴスティーノ礼拝堂に残された壁画を見てみましょう。このフレスコ画はアミーコ・アスペルティーニに帰属されており、個人様式に基づく年代特定により、1508年から1509年にかけての作品だと考えられています。ジョルジュ・ヴァザーリの『美術家列伝』でも言及されているように、昔からよく知られた作品です。


 注目すべきは、伝説にあるように牛の背中にくくりつけられた<ヴォルト・サント>が、修復前と同じ、派手な装飾品を付けている点です。これら装飾品が、はやくも十六世紀初頭には<ヴォルト・サント>に付けられていたことがわかります。よって、カマッジョーレの磔刑像と同様に、ルッカの<ヴォルト・サント>も、飾りが無かった当初の姿ではなく、派手な装飾付の姿でそのほとんどの時間を過ごしてきたわけです。アスペルティーニの作品だけではありません。その後、この木像が他の絵画に引用された場合には、必ず王冠や上履きをつけた形で描かれています。多くの絵画に描かれているほどですから、<ヴォルト・サント>といえば、装飾付の姿を誰もが思い浮かべていたはずです。


<ヴォルト・サント>の問題は、修復の基本書である『修復の理論』を著したチェーザレ・ブランディによって、後世加えられたサンダルや王冠こそが時間経過の中で形成された図像伝統となったと指摘され、議論をよびました。ブランディは同書の中で、同作品の歴史的重要性は、持物や装飾品によってこそ長い間裏付けられていたため、それらを撤去することで歴史的推移をすべてキャンセルしリセットをかけるような行為には正当性を見出せないと主張しています。こうした論争を受けて、ブランディの主張後、<ヴォルト・サント>はいったん装飾付の姿で展示されていました。しかし現在、通常は装飾を排した姿で展示され、装飾品は美術館に納められています。この問題に関しては、いまだに誰も最適解を見いだせないでいるのです。

「修復」といえば「元の姿」=「その作品が完成したときの状態」に戻すこと、だと僕も思っていました。
 後世の人がつけた「余計な装飾品」や「上塗り」は、そぎ落とさなければならない、と。
 

 しかし、『阿修羅像』を、真っ赤な元の姿に「修復」することに賛成する人は、ほとんどいないのではないでしょうか。
 この本のなかには、銀閣寺の「完成当時の姿」も紹介されているのですが、それを見た多くの日本人は「これは、自分が知っている銀閣寺ではない」と思うはずです。
 完成当時の状態を知る術がない時代であれば、今あるものを「こういうものだ」と受け入れるしかなかったけれど、一度知ってしまうと、僕も「サーファー阿修羅」のイメージを払拭することが難しくなりました。
 逆に、完成当時の人が今の時代の阿修羅をみたら、「こんなにくすんだ色になってしまって……」と、嘆くのかもしれませんね。

 少なくとも「わびさび」とは、「枯れているから見ていると落ち着く」「渋いからかっこいい」といった、表面的かつ時の一点を指したものではない。
「わびさび」そのものを大上段に語れるほどの知識は持ち合わせていないが、「わびさび」が生まれた背景については、美術を通して何か言えるような気がしている。特に銀閣を通じて。
 私は「わびさび」は、時間の経過と深い関係があると思っている。見たままの「渋い」「枯れている」という時の一点ではなく、「渋くなるまで」「枯れるまで」の経年変化が重要なのではないか。
 さらに言えば、その経年変化に対してはせる人々の想い。よくぞここまで生きてきたものだ。よく風雪に耐えてきたものだ……。その裏には、いつか自分も周りの人たちも皆、この世を去って地上からいなくなると知っているからこそ、感慨が生まれてくるのだ。
 これは栄枯盛衰の「無常観」に通じるものがある。
 きっと「無常観」は「わびさび」の母なのだろう。


 観る側の姿勢というか、思い入れ、みたいなものも、大きいのです。
 未来の人は、村上隆さんのフィギュアに、「わびさび」を見出すことになるのだろうか。


 日本の美術品の見かた、見せかたについて考えさせられる、とても興味深い新書でした。
 

西洋美術史入門・実践編 (ちくまプリマー新書)

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