琥珀色の戯言

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【読書感想】人生を面白くする 本物の教養 ☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
教養とは人生における面白いことを増やすためのツールであるとともに、グローバル化したビジネス社会を生き抜くための最強の武器である。その核になるのは、「広く、ある程度深い知識」と、腑に落ちるまで考え抜く力。そのような本物の教養はどうしたら身につけられるのか。六十歳にして戦後初の独立系生保を開業した起業家であり、ビジネス界きっての教養人でもある著者が、読書・人との出会い・旅・語学・情報収集・思考法等々、知的生産の方法のすべてを明かす!


 出口治明さんの著書って、知識と経験に裏打ちされていて、すごいことが書いてあるのだけれど、「読書マッチョ」っぽくて、僕はあまり好きじゃないんですよね。
 確かにそれができればうまくいくだろうけど、僕には無理だよなあ、と。
 この人は「オレにできたんだから、お前にもできるはず!」って、悪気なしに言ってしまうタイプなんじゃないか、とか。
 でも、この新書に関しては、そんなに身構えたり反発したりせずに読み通すことができました。
 出口さんの話をまとめたライターさんが優秀だったのか、あるいは、内容がそんなに濃くなかったのか。
 どんな知識人も、総合力では1台のスマートフォンにはかなわない一方で、「広く、ある程度深い知識」としての「リベラルアーツ」の重要性が説かれているのが「現代」なんですよね。


 出口さんは、この本の冒頭で、こんな話を紹介しています。

 この本は「教養」をテーマにした本です。教養というと、いろいろな知識や情報をどれだけ持っているかだと思われるかもしれません。しかし、教養とは必ずしもそのようなことではないと思うのです。
 シャネルの創業者ココ・シャネルは次のように語っています。
「私のような大学も出ていない年をとった無知な女でも、まだ道端に咲いている花の名前を一日に一つぐらいは覚えることができる。一つ名前を知れば、世界の謎が一つ解けたことになる。その分だけ人生と世界は単純になっていく。だからこそ、人生は楽しく、生きることは素晴らしい」
 素晴らしい言葉だと思いませんか? 一日に一つずつ世界の謎が解けていく――ココ・シャネルは、今日はどの謎が解けるのかとワクワクしながら毎日を生きていたのです。ただたんに花の名前、草の名前を知るのではなく、そのことによって人生を彩り豊かなものにしていました。教養とは、彼女のような生き方を指す言葉だと思います。人間は何歳になっても世界を知りたい、世界の謎を解きたいという気持ちを持っているものです。好奇心と呼んでもいいでしょう。そうした気持ちのあり方がその人の教養を深める強力なエンジンとなるのです。

 
 「教養」とは、知識の量ではなく、「生き方」なのだ、と。
 正直、出口さんの話を聞いていると、「この人は特別な人なのだ」「知識欲モンスターなのではないか」と思ってしまうのですが、「好奇心を持って、生き続けること」は、誰にでもできることのはず。
 でも、年齢とともに、「これまでの経験」に頼ったり、めんどくささに負けてしまう。
 好奇心をずっと持ち続けているところが、この人のすごさなのだろうなあ。

 教養のもう一つの本質は、「自分の頭で考える」ことにあります。著名な科学史家の山本義隆氏は、勉強の目的について「専門のことであろうが、専門外のことであろうが、要するにものごとを自分の頭で考え、自分の言葉で自分の意見を表明できるようになるため。たったそれだけのことです。そのために勉強するのです」と語っています。この当たり前のことが、案外置き去りにされている気がします。


 これは自省せざるをえないのですが、「知識」を重んじるあまり、他人の言葉、とくに有名人や権威者の言葉を借りて、周囲を説得しようとしがちなんですよね。
 ただ、「自分の頭で考える」ためには、ある程度の「基礎知識」とか「リテラシー」みたいなものが必要になることも事実です。


 出口さんは、イギリスの教育についての、こんな話を紹介しています。

 ロンドン在住の友人から聞いた話ですが、あるとき、12歳の娘さんが宿題の相談に乗ってほしいと持ちかけてきたそうです。友人は仕事が忙しいため、ふだん娘さんとは没交渉になりがちだったので、喜んで娘さんの相談に乗りました。その娘さんは日本人学校ではなく現地の学校に通っていました。出された宿題とは次のようなものだったといいます。
 中世に、サセックス地方の裕福な農家へ嫁いだ女性が書いた日記があった。その農村を仕切っていた地主の執事が書いた記録もあった。それから、19世紀にその時代の農村を調べたオックスフォード大学の教授が書いた「サセックス地方の中世の農家の形態」という論文もあった。この三つを読むにあたって、どういう点に注意すればよいか、というのが宿題の内容だったそうです。


 なんじゃそれは!
 僕はけっこう歴史が得意なつもりなので、「ふふーん、じゃ、答えてやろうかね」なんて思いつつ読んでいて、驚いてしまいました。
 そもそも、なんて漠然とした設問なんだ……こんなの、12歳が答えられるのか?

 友人はあまりの難しさに内心引っくり返ってしまい、苦し紛れに娘さんに「おまえはどう考えているんだ?」と聞いてみたそうです。すると娘さんは、「嫁いだ女性が書いたことには嘘がないと思う。村で起こったことがありのままに書かれているだろう。でも、自転車も電話もない時代だから、自分の目で見える範囲のことにとどまっていると思う。地主の執事が書いた記録は、おそらくより多くの年貢を取りたいという気持ちが働いているだろうから、作物の収穫量などを加減して書いている可能性がある。それを含んで読まねばならないと思う。それからオックスフォード大学の教授の論文は客観的なように見えても、どこかで自分の学説に都合のいいように脚色されている恐れがある。だから頭から信じないようにしたほうがいいと思う。このように答えようかと思っているんだけれど、おとうさん、どうかな?」と言ったそうです。
 友人は「まあ、それでいいじゃないか」と答えつつ、「連合王国の教育はすごい!」と舌を巻いたそうです。


 さすが、ジェームズ・ボンドの国だな、などと僕も感心したというか、脱帽してしまいました。
 この女の子もすごいのだけれど。
 いまの日本の12歳、あるいは15歳くらいでも、こんな質問に対して、自分なりに答えられる人が、どのくらいいるだろうか?
 日本で、「ネットリテラシー」が問題になっていますが、「情報の取り扱いに対する基礎的なトレーニング」のレベルが違いすぎるよなあ、と。
 それでも、欧米ではSNSに関するトラブルが無い、というわけでもないんですけどね。

 
 いまはスマホもあるし、「教養」なんて、こだわる必要ないのでは……とか、考えてしまいがちなのですが、情報が氾濫している時代だからこそ、「情報の捌きかた」みたいなものに慣れておく必要があるのです。
 それも、「日本」や「現代」にとらわれない、広い視野にもとづいて。


 まあ、そうやってわかったようなことを受け売りで言うのは簡単なのですが、実際に出口さんのようにエネルギッシュに勉強しつづけるのは難しい。
 だからこそ、「差別化」できるところでもあるはずです。


 どこまで行っても「勉強することが楽しい」って人には、かなわないよな……とも思うんですけどね。
 全部「才能」のせいにしてしまってはいけないのは、わかっているつもりなのですが。