琥珀色の戯言

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【読書感想】たのしいプロパガンダ ☆☆☆☆

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)


Kindle版もあります。

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

たのしいプロパガンダ (イースト新書Q)

内容紹介
本当に恐ろしい大衆扇動は、
娯楽(エンタメ)の顔をしてやってくる!


戦中につくられた戦意高揚のための勇ましい軍歌や映画は枚挙に暇ない。しかし、最も効果的なプロパガンダは、官製の押しつけではない、大衆がこぞって消費したくなる「娯楽」にこそあった。本書ではそれらを「楽しいプロパガンダ」と位置づけ、大日本帝国、ナチ・ドイツ、ソ連、中国、北朝鮮イスラム国などの豊富な事例とともに検証する。さらに現代日本における「右傾エンタメ」「政策芸術」にも言及。画期的なプロパガンダ研究。


 タイトルに惹かれて購入。
「プロパガンダ」という言葉に、ポジティブなイメージを持つ人はあまりいないと思います。
 権力者に都合の良い知識を刷り込まれ、うまく利用されてしまう恐ろしいテクニック。
 北朝鮮の「将軍様」を褒め讃えるあの女性アナウンサーの姿とあの妙に頑なな声が頭に浮かんでくるのです。


 著者は指摘しています。
 「プロパガンダ」というのは、権力者からの強引な押しつけだと思われがちだけれど、大衆心理を理解しているプロパガンダの専門家たちは、むしろ、人々を楽しませながら、ちょっとだけ「自分たちに都合の良い宣伝」を織り交ぜていくのです。
 プロパガンダといえば、前述した北朝鮮とか、ナチスゲッペルスのような「負のイメージ」がつきまとうけれど、たとえば太平洋戦争中に日本国内で公開された「戦意昂揚映画」は、当時の人々にとっては「娯楽」でもあったのです。
 「ああ、また大本営発表か、イヤだなあ……こんな爆弾三勇士の話って、『右傾エンタメ』じゃないかよ……」
 とか、醒めた目でみていたはずもなく。
 あの頃の子供たちの多くは、兵隊さんは「英雄」で、「自分もこんなふうになりたい」と思っていたのです。
 そういう意味では、「あれは右傾エンタメだ!」とか言える今の日本というのは、まだまだ「セーフ」なのかもしれませんね。


 著者は、「プロパガンダの歴史」について、日中戦争から太平洋戦争にかけての日本や、ソビエト連邦、近年の中国の「反日プロパガンダ」などの実例を挙げながら、解説していきます。

 日中戦争が始まって半年が経った1938年2月。陸軍省新聞班の清水盛明中佐は、内閣情報部が主催した思想戦講習会で約百名の文武官を前に次のように語った。「由来宣伝は強制的ではいけないのでありまして、楽しみながら不知不識(しらずしらず)の裡に自然に感興の中に浸って啓発教化されて行くといふことにならなければいけないのであります」(「戦争と宣伝」)。
 陸軍の軍人というと、居丈高で頭が固く、国民に退屈なプロパガンダを無理矢理押し付けていたかのようなイメージがあるかもしれない。ところが、「宣伝は楽しくなければならない」と説く清水は、まるで広告業のコンサルタントのようだ。ここからは、戦時下プロパガンダの知られざる一面が透けて見えてくる。


 太平洋戦争の前から、日本にも、このように考えて、「エンターテインメント性の高いプロパガンダ」をすすめていった人がいたのです。
 1934年には、宝塚歌劇団による「太平洋行進曲」という、「軍国レビュー」まで制作されています。
 エンターテインメントの制作側も、多くはこうした当局の意向に反発はせず、むしろ、積極的に強力していったのです。
 当局ににらまれて発禁や上映禁止になるよりは、最初から協力してしまったほうが、摘発のリスクも避けられるから。

 また、戦時下にはアニメ映画もいくつか公開された。有名なのは、1943年に公開された、芸術映画社の『桃太郎の海鷲』(瀬尾光世監督)だろう。内容は、桃太郎率いる空母機動部隊が鬼ケ島を空襲するという血なまぐさいもので、広告には「ハワイこそ! 悪鬼米英の根拠地鬼ケ島ではないか!」と銘打たれた。つまり、米英は鬼だといわけだ。このアニメは大変好評で、皇太子明仁親王(現・今上天皇)も皇室の特別晩餐会で観たといわれる。


 本気で戦争をやろうとするのであれば、「童話だから」とかいう遠慮呵責は一切なく、「利用できるものは、なんでも利用してしまおう」というのが現実なのです。
 この『桃太郎の海鷲』って、いま観たら、どんな感じがするのだろうか。


 また、最近のプロパガンダの一例として、中国の人民解放軍がリリースした「抗日ゲーム」が紹介されています。

 そのひとつ「打鬼子」は、2014年2月に、中国共産党の機関紙「人民日報」傘下のウェブサイト「人民微博」で公開された。「打鬼子」は「鬼畜を打て」を意味する。内容は、東条英機をはじめとする日本の「A級戦犯」を描いた看板を射撃して点数を競うというものだ。他愛もないといえばそうかもしれない。ただ、BGMに「大刀行進曲」と「遊撃隊の歌」という代表的な抗日軍歌を使い、「A級戦犯」ひとりひとりに解説をつけるなど、ゲームを通じて抗日戦争を学ばせようという配慮も見られる。
 この手の抗日ゲームはインターネット上に無数にあり、全体を把握することは容易ではない。なかには、東京を空襲するゲームや、ボスキャラとして登場する岸信介安倍晋三の祖父)を倒すゲームまである。

 個人や反日組織がつくって、ネット上に公開している、とかならさておき、「人民日報」傘下のウェブサイトって……逆のことを日本がやったら、日本国内からも大バッシングされそうな話です。
 お祖父さんを「ボスキャラ」にされた安倍首相も、そりゃ、「仮想敵」にしたくもなるだろうな、と。


 この本の最後の章には、現代日本での「プロパガンダ」が紹介されています。
 それを読みながら、僕はあれこれ考えてしまいました。
 たとえば、自衛隊の隊員募集のポスターに、AKB48の人気メンバーが起用されたり、アニメの「萌え絵」が使われているのは「プロパガンダ」なのか?
 現実的には、自衛隊のハードな訓練や派遣先での災害救助活動など(これから先は、もっと「戦闘寄り」の業務が増えていく可能性もあり)には、「萌え」の要素って、ほとんど無いと思うんですよ。
 本当に、そんなポスターに、効果があるの?
 そもそも、アイドル好き、萌えアニメ好きの若者たちをリクルートしても、自衛隊の訓練についてこれるのか?


 ……そんなふうに考えてしまうのは、僕が古い人間だからみたいです。
 自衛隊の広報によると、「人気アイドル」や「萌えアニメのキャラクター」の起用というのは、応募者を増やすのに効果があるそうなんですよ。
 もしかしたら、「アイドルやアニメを好むのは、クラスのなかで、マッチョな体育会系とは一線を画している文化系の連中」という僕の先入観がまちがっていて、アイドルやアニメというのは、もう「高校生にとって普通の趣味」になっているのかな。


 自衛隊だって、隊員がいなければ何もできないわけですから、少しでも高い効果が期待できる募集方法を模索しているはずです。
 それは、「プロパガンダ」というより、「いち組織としての必要な宣伝」ではないのか?
 まあでも、実際に「戦闘行為」を想定しつつ、アイドルのポスターで隊員募集をするようになれば、それはやはり「プロパガンダ」に属するような気がします。
 「宣伝広報活動」と「プロパガンダ」というのは、線引きが難しいところがあるのです。

 須藤は『自衛隊協力映画』の最後で、『名探偵コナン 絶海の探偵』の興味深いシーンを取り上げている。すなわち、主人公たちが海上自衛隊イージス艦を見学に訪れ、「かっこいい!」「すごい!」と絶賛するシーンである。同アニメもまた、防衛省海上自衛隊の協力によって制作されたものだった。なるほど、普段親しんでいすアニメキャラクターによる「かっこいい!」という評価は、自衛隊のイメージアップに「自然と」つながることだろう。マニアックな(それゆえに消費者を限定してしまう)「萌えミリ」の作品よりも、こちらのほうが上手の広報といえるかもしれない。


 僕もこの『絶海の探偵』のDVDを、つい最近、息子と観たんですよね、偶然ですが。
 このイージス艦を見学して、「かっこいい!」「すごい!」のシーンもなんとなく記憶にあります。
 なぜ覚えていたかというと、「ちょっとうらやましいな」と思ったから、なんですよね。
 こういうのが、子供にとっても、自衛隊自衛艦に対するイメージをさりげなくアップさせる「戦略」なんだろうなあ。
 だからといって、これが「悪いこと」とか「軍靴の足音がきこえる!」とか騒ぐような話でもなさそうですよね。
 ネット上の広告と同じで、「宣伝にみえない宣伝」こそが、いまのメインストリームになってきています。
 

 世の中、騙されよう、操られようと思っている人なんて、そんなにたくさんいるわけがありません。
 みんな「面白い」「心地よい」「自分のためになりそうだ」というポジティブな感情から、プロパガンダに絡めとられてしまうのです。

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