琥珀色の戯言

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【読書感想】教育という病 子どもと先生を苦しめる「教育リスク」 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
私たちが「善きもの」と信じている「教育」は本当に安心・安全なのだろうか?学校教育の問題は、「善さ」を追い求めることによって、その裏側に潜むリスクが忘れられてしまうこと、そのリスクを乗り越えたことを必要以上に「すばらしい」ことと捉えてしまうことによって起きている!巨大化する組体操、家族幻想を抱いたままの2分の1成人式、教員の過重な負担…今まで見て見ぬふりをされてきた「教育リスク」をエビデンスを用いて指摘し、子どもや先生が脅かされた教育の実態を明らかにする。


 教育とは「聖なるもの」であり、教師は「聖職」である。
 そういうのって、現場の先生たちにとっては、プライドの源泉でもあり、けっこうめんどくさいものでもあるのだろうなあ、と思うのです。
 医者っていうのも、「当直で徹夜していても、コンビニ受診の患者さんにも優しく接するのが当然」なんていう人が少なくない仕事だから。


 この新書を読んでいて痛感するのは、「聖域」だからということで、さまざまな「避けられるリスク」やそこで働いている人たちの過剰な負担に目が向けられにくくなっている、ということなのです。

 組体操には多くのリスクがともなうが、組体操の最大の問題点というのは、そうした多大なリスクがあるにもかかわらず、それが無視されてしまうところにある。
 これはすなわち、組体操が危険だと訴える人がいる一方で、その危険性に耳を貸すことなく組体操を称賛する人たちがいるということである。後者の場合、子どもがどのようなリスクに直面していようと、その活動は教育という名のもとに正当化されてしまう。

 先日、組体操の巨大ピラミッドが崩れて起こった事故が大きく報道されました。
 著者は、以前から、あの「あまりにも大きすぎ、高すぎるピラミッド」の危険性を指摘してきたのです。
 それも、「なんだか怖そう」というようなイメージではなく、実際にピラミッドの下を支えている生徒にかかる重量や、事故が起こっている統計などデータを駆使して。

 単純に事故の件数の多少を比べてみると、2012年度において、組体操中の事故は、跳箱運動とバスケットボールに続いて3番目に多く、負傷件数は約6500件にのぼる。
 ここでいう「負傷件数」とは正確には、病院に行って5000円以上の医療費(診断や治療に直接要した額であり、健康保険適用後の自己負担額ではない)がかかったケースの数である。打撲や切り傷などちょっとした怪我であったため放置してしまえば、上記の件数にはあがってこないことになる。

 図4は、10段と11段の人間ピラミッドの基本形について、土台(1段目)にかかる負荷量を示したものである。10段(計151人)の場合、土台の生徒のなかでもっとも負担が大きいのは、背面から2列目の中央部にいる生徒であり、3.9人分の負荷がかかる。中学2年生男子(全国の平均体重48.8キログラム)、中学3年生男子(平均54.0キログラム)で211キログラムの重量になる。これが高校生にもなれば、2年生男子(平均61.0キログラム)で238キログラム、3年生男子(平均62.8キログラム)で245キログラムとなる。

 ピラミッドがなんらかの原因で歪んでしまうと、さらに大きな負荷がかかる生徒が出てくるのです。
 245キログラムって、小錦が背中に乗ってくるようなものじゃないですか。
 それを「普通」の生徒が、体育祭でやっているのです。


 ちなみに、組体操というのは「文部科学省が定める学習指導要領に記載がない」そうです。
 必ずしもやらなくてよい、とされているにもかかわらず、より高いピラミッドをつくりたい、という先生たちがいて、それに喝采を送る保護者がいる。
 僕は自分が組体操大嫌いだった(そもそも、体育の授業もイヤでイヤでしょうがなかった)し、周囲の同級生たちも「かったるいなー」って感じで練習していた記憶があるんですけどね。
 こういうのって、自分が観る側にまわると、「感動」してしまうのだよなあ。
 それが、リスクに対する目を曇らせるというか、危険に見えることが、感動を増幅してしまったりもする。
 猛暑のなかで、連投をする高校野球のピッチャーが称賛されるのと、同じことです。

 組体操のリスクに対する反論というのはおおよそ、「組体操には教育的意義(「感動」「一体感」「達成感」がある。危険だからといって何でもやめるというのか」という見解に集約できる。このように一蹴されてしまうと、もはやどのようなエビデンスも役に立たない。


 何事にも「ノーリスク」は存在しないのではないか、というのは、その通りではあるのです。
 でも、その「教育」や「感動」に引きずられて、過剰なリスクを生み出したり、必要な安全対策をとらなかったりしていることが、あまりにも多い。
 著者は「絶対にピラミッドでなければならないのか」「10段、11段という高層ピラミッドをつくる必要があるのか」と問いかけています。
 僕も、巨大ピラミッドは見かけ以上にリスクが高いし、それに見合った「教育効果」は無いと思う。
 むしろ、先生や保護者の無責任な満足感のために、行われているにすぎないと感じています。
 体育が好き、得意という人のなかには、「あれで感動した、自信がついた」という人も、いるのかもしれないけれど。


 その他、「2分の1成人式」の問題点や、部活の指導に駆り出される先生たちのあまりにも大きすぎる負担など、「感動」をつくるために、あまりにも一部の生徒や先生に負荷をかけている今の「教育システム」に疑問が呈されています。
 なかでも、柔道による死亡事故についての項には、考えさせられました。


 学校での柔道の授業で死亡事故が多いことは、著者らの提言がきっかけとなり、近年メディアで報じ続けられてきましたが、2012年以降は、突然「ゼロ件」になったのだそうです。
 2009年に4件、2010年に7件(町道場での小学生の死亡2件を含む)、2011年に3件と死亡事故が続いていたにもかかわらず。
 

 それでは、なぜ死亡事故がゼロになったのか。その答えは、簡単である。学校の部活動をはじめとする柔道の指導現場で、頭部の外傷に対する意識が高まったからである。
 学校柔道の事故実態を私が公にした当時、全柔連の医科学委員会副委員長二村雄次氏は、このデータを委員たちは驚きをもって受けとめたと言う。それも無理はない。柔道に関わる医師20〜30人で構成される医科学委員会において、当時、頭部外傷の専門家である脳神経外科医は一人もいなかったのである。
 柔道界において、頭部外傷への関心は、皆無に近かった。ましてや、学校の柔道部顧問や保健体育科教師が、頭部外傷に対する知識も危機感も持ち合わせているはずがない。


 2010年から、指導者への講習や学校での指導教本の作成や投げ技のリスクへの周知など、安全対策がとられはじめ、その効果により、柔道の死亡事故は激減したのです。
 「柔道は危険」なのではなく、「柔道のなかの危険な面、注意しなければならないところ」を知って、あらかじめ対策を立てておくだけで、こんなに違う。
 

 どんなスポーツにだって、「リスク」はあります。
 人がやることだから、思わぬ事故の可能性が、つきまとっている。
 でも、それを理由に、「リスクを下げるためにできる、簡単なこと」に、誰も手をつけようとしなかった。
「柔道とは、そういうもの」だと思いこんでいた。
 海外(いまや日本以上の「柔道大国」であるフランスの事例が紹介されています)では、柔道における頭部外傷のリスクは周知されていて、死亡事故はほとんど起きていなかったのに。


 学校関係者だけではなく、生徒や親にも、ぜひ一度は読んでみていただきたい本です。 
 あまりにもリスクに過敏になりすぎて、モンスターペアレントになってしまうのには共感できないけれど、「教育現場における安全の確保」のためにできることは、まだまだたくさんあるはずです。
 生徒のためだけではなく、ずっと後悔しながら生きていかなければならない親や先生を生み出さないためにも。