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琥珀色の戯言

【読書感想】【映画感想】のブログです。2016年8月より、『はてなブログ』に移行しました。

【読書感想】キラキラネームの大研究 ☆☆☆☆


キラキラネームの大研究 (新潮新書)

キラキラネームの大研究 (新潮新書)


Kindle版もあります。

キラキラネームの大研究(新潮新書)

キラキラネームの大研究(新潮新書)

内容紹介
苺苺苺と書いて「まりなる」、愛夜姫で「あげは」、心で「ぴゅあ」。珍奇な難読名、いわゆる「キラキラネーム」の暴走が日本を席巻しつつある。バカ親の所業と一言で片づけてはいけない。ルーツを辿っていくと、見えてきたのは日本語の本質だった。それは漢字を取り入れた瞬間に背負った宿命の落とし穴、本居宣長も頭を悩ませていた問題だったのだ。豊富な実例で思い込みの〝常識〟を覆す、驚きと発見に満ちた日本語論。


 「キラキラネーム」、否定派にとっては、「DQNネーム」。
 僕は小児科ではないのですが、小児科外来の受診者リストを見ると、「この名前、何て読むんだ?」と思うような難読ネームがたくさんあって驚いてしまいます。
 この新書のなかでは、「キラキラネーム」の代名詞「光宙」と書いて、「ピカチュウ」は、さんざん槍玉に上がるけれど、実在するのか?するのであれば教えてほしい、と著者は述べています。
 うーん、でも、僕も小児科の先生に聞いたことあるんだよなあ、又聞きなので、信憑性はあんまり無いかもしれませんが。
 正直、「こんなのつけられると、子どもが困るんじゃないか?」と思う名前もけっこう見かけますし、この「内容紹介」に書かれている「愛夜姫で『あげは』」とか、水商売の源氏名かよ!とツッコミたくもなります。
 

 しかしながら、著者は、歴史的な「名付け」の変遷を辿りながら、「キラキラネーム」的なものと、それへの批判が、現代だけのものではないことを突き止めていくのです。
 そもそも、現在は、「ヤンキー」ではない、普通の親たちが、けっこう、子どもたちに「キラキラネーム」をつけています。

 日本語における当て字・当て読みという視点から考えてみると、急増している「読めない名前」は、かわいいわが子に個性的でステキな名前をプレゼントしたいと願うあまり、音も、漢字の意味も、画数も、どれもこれも最高なものを、と欲張ってあれこれ盛っているうちに、キラキラ化してしまったものと了解される。
 ステキな意味をもつ良い字だから、「心」と「愛」を使いたい。だったら、「心」を「ここ」、「愛」を「あ」と読ませてしまおう。そうすれば、「ここ」と「あ」で、「ここあ」と読める。まあ、かわいくていい名前じゃないの! ――どうやら、こんな具合に名づけされ、「わざわざ」ではなく、「いつの間にか」キラキラネームになっているようなのだ。
 そうしてでき上がった「心愛(ここ+あ)」には、正直ギョッとさせられる。だが、よくよく考えると、「修める」の「おさ」だけを使って「修巳(おさ+み)」とか、「有」の音読みの「ユウ」から「ユ」をとって「有美子(ゆみこ)」とするなど、こうした手法は昔から使われていた。
「光宙」にしても、じつは「光一」と書いて「ぴかいち」と読む語句がある。今でも使われているこの言葉は、もとは花札用語で、手札のうち一枚だけが「光り物」である手役のことをいう。「広辞苑」の見出し語にも、しっかり「ぴかいち【光一】」と採用されている。「光宙」でさえ、読み方としてはそう突飛なものとはいえないわけだ。
「名づけの常識」とは、私たちが思っているよりずっと頼りない。あっけないほど簡単に揺らいでしまうものなのだ。そう気づくと、キラキラネームの当て字感覚がそれほど常識はずれなものといえるのか、それすらだんだんと怪しく思えてくる。
 要するに、キラキラネーム現象というのは、「ヤンキー気質」などというマーケティング用語で云々する位相を通り越した、もっと根深いところで、日本語の体系の根幹に関係する問題なのである。


 著者は、「ザ・昭和」的な名前である「和子(かずこ)」の「和」も、一般的には「かず」とは読まない字であることを指摘しています。

 たとえば、昭和二敗って長らく女児名の人気一位を守ってきた「和子」は、これぞ、キラキラネームとは対極といえる、堂々たる”正統派”の名前である。誰もがなんのためらいもなく、「かずこ」と読めるはずだ。
 だが、じつを言うと、「和」と「かず」と読むのは、根拠がどうもあやしいのである。「和」の訓としては、「なご-む/なご-やか/やわ-らぐ/やわ-らげる」が常用漢字表内の読み方とされているほか、ほかにも「あえる」とか、「なぐ」という訓が辞書には載っているが、「かず」はこうした通常の音訓ではない。
 じつは「かず」は、人名だけで用いられてきた名乗り。どうして「和」を「かず」と読むのかはよくわからないが、過去の歴史のどこかで誰かが無理読みした所産という読み方だったのだ。その名乗りを用いて、「昭和」の年号にちなんで「和子」や「和夫」が命名され、一躍メジャーになったために、私たちにとっては”正統派”と感じられる名前に昇格したというわけだ。

 実は、この手の「当て字」は、けっこうたくさんあるんですね。
 「和子」の場合は、みんなが慣れてしまっているから、受け入れていますが、江戸時代に、本居宣長は、「和」を「かず」と読むことを問題視していたそうです。


 歴史的には、織田信長は自分の子ども(長男・のちの信忠)に「奇妙丸」なんて幼名をつけ、他の子どもたちにも個性的な名前をつけていますし、森鴎外は長男に「於菟(おと:オットー)」、長女に「茉莉(まり)」など、「西洋でも通用する」名前をつけました。
 その一方で、「キラキラネーム反対派」の歴史も長く、『徒然草』で兼好法師が「最近のやたらと凝った名前をつける連中は、教養がない」と書いているそうです。
 

 いまの世の中は、昔よりも少子化がすすんでいますから、子どもが生まれたら、「もうこれが最後の名付けの機会かもしれない」って、思ってしまうところもあるんですよね。
 それなら、名前に入れたい要素を、ひとりの子どもに「全部乗せ」してしまおう、と親も考えてしまうのかもしれません。
 子どもの頃のことを思い出すと、あまりにも個性的な名前だと、「こんなの恥ずかしい」し、平凡だと「なんか適当につけられた気がする」だし。
 でも、結局、自分の名前は、みんな大事にしていたような気がします。
 先生が読み間違えるだけでも、けっこう感じ悪いのですよね。
 「難読ネーム時代」には、先生も大変だと思いますが、たしかに「読みにくい、読み間違えらしい名前」って、僕の子供時代(30〜35年前くらい)にも少なくなかったのです。


 ちなみに、「キラキラネーム」は日本だけの専売特許ではないことが、この新書のなかで紹介されています。

 2013年5月1日にAFP通信が伝えたところによると、ニュージーランド当局は申請を却下した赤ちゃんの名前77件を公開した。内務省が却下した赤ちゃんの名前には「Lucifer(=ルシファー、悪魔)、「Mafia No Fear(マフィア・ノー・フィアー、マフィア心配ない)や「Anal(=アナル、肛門)」、さらには「.」と書いて「フルストップ」と読ませる名前などがあった。

 他にも、アメリカ、イギリス、中国などの「奇名」が紹介されています。
 さすがにこれは、「ニュージーランド当局が受理しなくてよかった……」とホッとしてしまいます。
 拒絶されることを見越しての申請なのかもしれませんが、それにしても悪趣味すぎる。
 「悪魔」って名付けようとする親は、日本の専売特許ではなかったのか……
 
 
 読んでいると、「キラキラネームっていうのも、けっこう奥が深いな……」と思えてきます。
 一概に「夜露死苦」と同じように考えるのも、偏見ってやつなのかな、と。
 うちの子の同級生とその親をみていると、「えっ、この真面目そうな親御さんが、あんなキラキラネームを?」って感じることも、けっこうあるんですよね。