琥珀色の戯言

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【読書感想】奴隷のしつけ方 ☆☆☆☆


奴隷のしつけ方

奴隷のしつけ方

内容紹介
テルマエ・ロマエ』『プリニウス』のヤマザキマリ推薦!!
「古代の大帝国を支えた奴隷越しに 我々の生きる現代社会が見えてくる」


古代ローマ貴族が教える、究極の“人を使う技術”
◆奴隷の買い方
 →若いやつにかぎる
◆やる気を出させるには
 →目標を持たせ、成果報酬を採用しろ
◆管理職にするなら
 →顔の良い男は避けろ
◆拷問の行い方
 →奴隷は資産。適度な鞭打ち、鉤吊りを
◆性と奴隷
 →家族を持たせて人質に
◆反乱を防ぐには
 →互いに話をさせるな
他、古代ローマ社会を知り、立派な主人になるためのヒントが満載!!


 「奴隷なんて、非人道的。許せない!」
 もちろん、現代(2015年)に生きる人間としては、奴隷制度を肯定できないのですが、人類の歴史のなかには、「奴隷が存在するのが当たり前」という地域や時代が存在していたのです。
 というか、「奴隷なんて、ありえない!」という考えが主流になったのは、人類史のなかで、最近のごく短期間なんですよね。
 この本によると「ローマ人が奴隷制の廃止を論じた例はない」そうです。
 それが道義的に云々、というのではなく、奴隷の存在が当たり前のことで、誰も疑うことのない時代だったのです。

 ローマは奴隷であふれている。イタリア半島の居住者の三、四人に一人は奴隷だと聞いたことがある。帝国全体を見れば、わが国の総人口は優に6000万、あるいは7000万にも達するだろうが、その八人に一人程度が祖例ではないだろうか。しかも奴隷は農村地帯だけにいるわけではない。首都ローマにも奴隷があふれ、あらゆる活動を担っている。この都の人口は100万人ほどになるようだが、少なくともその三分の一は奴隷だといわれている。もちろん正確な人数はわからない。


 この本、何代にもわたって、奴隷を使い続けてきたローマ貴族が、「奴隷をうまく使うためのやり方」を後進に教えるための教本を書き、それを、現代の歴史学者が解説する(実際の著者は、この歴史学者です)という形式になっています。
 ローマ時代に実際に書かれたものではありませんが、著者は、ローマ時代のさまざまな史料を読み込んで、そのなかで奴隷に関するエピソードを丹念に拾い集め、当時の人々の奴隷に対する考え方や扱い方を、実例をまじえながら紹介しています。


 塩野七生『男の肖像』(文春文庫)という本のペリクレスの項に、こんなエピソードが出てきます。

 日本で、ある人に、こうきいたことがある。自分の意のままに人を動かせる人物がいるが、なぜ手足のごとく駆使できるのか、と。その人の答えはこうだった。
「手足と、思っているからだ」

 これをペリクレスが言ったわけではないのですが、この本を読んでいて、この言葉が頭に浮かんできたんですよね。
 「奴隷」というと、なんだか聞くほうとしては心穏やかにはいられない感じではありますが、この本は、ローマの文化を描いているのと同時に、「部下や他人を自分の意に沿うように動かすには、どうすればいいのか?」のマニュアルにもなっているのです。
 もちろんそれは、現代にも応用可能です。

 あなた方も容易に想像できるだろうが、主人の奴隷に対する態度より、奴隷同士のほうがはるかに暴力的だ。奴隷たちは常に地位の奪い合いをしていて、どっちが上だ下だと口論し、些細なことで侮辱されたと騒いでけんかをするし、それが単なるいいがかりであることも少なくない。だから下の者を痛めつけてばかりいる奴隷には目を光らせ、ある種の圧力をかけることで自制を促さなければならない。さもないと下の者たちがその奴隷の恐怖支配に怯えることになりかねず、やがて暴力を振るわれて、奴隷として役に立たなくなってしまう。これもまた、同じ部族の奴隷をあまり多く置かないほうがいい理由の一つである。どうやら出身地が同じだと互いに細かい違いが気になるようで、ちょっとしたことですぐ口論や喧嘩になる。

 ついでにいっておくが、奴隷があなたに反抗するとしたら、それはまずスパルタクス式(武器を手にとっての反逆)にはならない。つまり勇気をもって真正面から刃向かうのではなく、こすっからい手を使うのだ。奴隷が主人からちょっとした勝利をもぎ取る方法なら、日住生活のなかにいくらでもある。あなたが日々、一人ひとりの奴隷について気をつけなければならないのはそうした小さな抵抗である。彼らはどのくらい食べたかで嘘をつく。8セステルティウスの物を買ったときに10セステルティウスでしたといって差額をせしめる。少しでも面倒な仕事を与えられると体調不良を訴え、死にかけてでもいるようにうめいてみせる。台所のかまどの熱で顔をほてらせ、汗をかき、それからあなたのところへふらふらとやってきて、高熱で倒れそうなふりをする。
 農場の奴隷なら、まいた種の量を実際より多く報告する。倉庫から食料をくすねる。帳簿をごまかして収穫量が思ったより少なかったように見せかけ、その分を地元の市場で売る。あるいはわざとぐずぐずし、1、2時間でできる仕事に一日かける。そしてあなたが文句をいうと、やってみたらとても難しい仕事で、それでもみんな必死で頑張ったんですと言い張るだろう。


 不平不満の根本的な原因が、経営者や上司のほう、あるいはシステムの不備にあるにもかかわらず、同じような立場の仲間や部下に厳しくあたり、いがみあってしまうことって、少なからずありますよね。
 ヨーロッパでは、移民に対して、下層労働者たちが「俺たちの仕事を奪うな!」と憤り、排斥する動きがあります。
 人間の不満というのは、自分に近い立場の人に、ぶつけられやすいのです。
 それは、ローマ時代も現代も同じこと。
 だからこそ、「上に矛先が向かないように、彼らどうしを適度に反目させておく」という「技術」も成り立ってしまう。
 また、この「奴隷のサボりかた」も、現代と同じだよなあ、と。
 反抗は、上司の目に見えやすい形ではなく、こういうふうに始まっていくのです。

 
 この本を読んでいると、「奴隷」って、僕のことなんじゃないか?とか、思えてくるんですよ。
 さすがに鞭打ちの罰を食らうこともないし、他人に売り買いされることはないけれど、「使う側」にとってのノウハウというのは、昔も今も同じなんじゃないかな、って。


 現在では、世界中どこの国でも奴隷は違法になっていますが、「奴隷状態」に置かれている人が、少なからず存在しています。

 フリー・ザ・スレイブス(Free the Slaves)というNGOの推計によれば、暴力で脅されて労働を強制され、給料ももらえず、逃げる希望さえない人々が2700万人いるそうです。現代社会には、古代ローマのどの時代よりも多くの奴隷がいるのです。


 この本を読んでいると、「奴隷」といっても、鎖でずっと繋がれ、鞭打たれて死ぬまで馬車馬のように働かされた、とはかぎらないようです。
 都市の家内奴隷のなかには、家族の一員に近い扱いを受けたり、特技を活かして重用されたり、お金を貯めて自由民になれたりした者もいました。
 読んでいると、「案外、人間的な(というのもヘンですが)扱いを受けていたのだな」とも思ったんですよね。
 僕の先入観が酷すぎたのかもしれないけれど。
 そして、「奴隷」はいなくなっても、「奴隷的な存在」が無くなったわけでもない。
 「社畜」の「畜」なんて、「奴隷」どころか、「家畜」呼ばわりですからね……



男の肖像 (文春文庫)

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