琥珀色の戯言

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【読書感想】戦争画とニッポン ☆☆☆☆


戦争画とニッポン

戦争画とニッポン

内容紹介
日本絵画史から抜け落ちた「戦争画」とは何か。会田誠椹木野衣が真摯に考え、語り尽くした熱い記録。今、見るべき戦争画とは。


 著者のひとり、美術評論家の椹木野衣さんは、「まえがき」で、この本の企図について、こう仰っています。

 日本の戦争画と新たに向き合うにあたって、私はぜひ、「絵描き」の方と仕事をしてみたかった。考えてみれば、戦争画はその始まりから幕引きまで、従軍画家の登場や陸軍美術協会の結成、敗戦後は残された戦争画の収集から絵描き同士の非難合戦に至るまで、徹頭徹尾、絵描きをめぐる物語でもあった。その一部始終を、現在の絵描きたちは、いったいどのような「思い」で受け止めるのか。これまでの戦争画研究は、私も含め、批評家や美術史家、学芸員ら研究者たちによるものばかりだ。そこには、本当の意味での主役が欠けている。この空白を埋めるための適役は、かつて連作「戦争画 RETURNS」をいち早く発表し、この問題に「絵描き」として取り組んでみせた会田誠氏を措いて他にいるまい。そう思い、声を掛けさせていただいた。すぐに快諾をいただき、このような一冊の書物をともにまとめることができて、たいへん光栄に思っている。同じ筆を執る画家がこの問題について語るのは、並大抵の覚悟では務まるまい。会田さん、本当にありがとう。


 僕は「戦争画」というものに、良いイメージは全くありませんでした。
 太平洋戦争中に、「御用画家」たちが国策に従って、「戦意昂揚」をはかるような勇ましい絵を描いていた。
 それは「処世術としては、致し方ない」としても、「芸術家としての『良心』に欠けていたのではないか」と断じていたのです。
 そもそも、そんなプロパガンダのための作品なんて、ロクなもんじゃないだろう、とも。
 会田さんは、「戦争画」の思想面だけではなく、「絵画としての技術的な側面」についても、実作者としての観点から語っておられます。
 当たり前のことなのですが、戦争画は「絵画」なんですよね。


 会田さんは、「戦争画 RETURNS」というシリーズをはじめるにあたって、本当の戦争画も見ておくべきだ、と考え、東京都現代美術館図書室で、太平洋戦争中の「聖戦美術展」の図録を見るなどして、調べていったそうです。

椹木野衣ご覧になってみて、最初にどんな印象を持たれましたか?


会田誠正直な感動を言うと、ちょっとこう、「がっかり」というところがありましたね。ネタ探しに行っていた当時の感覚としては、戦争画を見れば、何かすごい、エグい絵がいっぱいあって、それをちょっと現代風に味つけしたら、コロコロやばい作品が作れるんじゃないかというような下心もあったんです。要するに、ちょっと大げさに言えば、今の漫画で言えば、駕龍真太郎さん的な作品にでも、すぐに置きかえられるような、鬼畜米英まっしぐらで、かなり偏ってイデオロギーに染まった、ひどい絵があるかと思っていた。ところが、蓋を開けてみたら何て言うんですかね、どれもやさしい。だから、「本当の戦争画はやさしい絵が多いな」というのが第一印象でした。


 この本は、そんな「戦争画」の数々と(この本では、戦後に描かれた「戦争に関する絵」も多数紹介されており、その対比も興味深いところです)、それを描いた画家たちのことが紹介されています。
 日頃あまり目にすることがない絵が、カラーで大きく掲載されていて、その絵を見るだけでも、価値があるんじゃないかな。
 ただ、戦争画にはけっこう緻密な戦場描写のものもあって、収録されているサイズでは、「何が描いてあるのか、細かいところまではわからない」ものも少なくありません。
 紹介されている絵を見て、「戦争画って、僕がイメージしていたような『日本軍の活躍をカッコ良く描いたもの』ばかりじゃない、というか、そういう絵はほとんど無いのだな」と考え込まずにはいられませんでした。
 そこに、明らかな「反戦」の意図はなかったのかもしれないけれど、「戦場の無常観」みたいなものが伝わってくる絵が数多くあるんですよね、戦時中に描かれたものでも。
 これで「戦争協力をした」と見なされるのだろうか、と疑問になったくらいです。
 戦後、「軍部に協力した」ということで、追われるように日本を去ることになった藤田嗣治さんが1943年に描いたニューギニア戦線の絵など、ただ、死屍累々、という感じで、「これを見て、戦場に行きたい、という人なんて、いるのだろうか?」と思ってしまいます。
 ただし、ここまで日本兵の死体を描けたのは、藤田さんが当時の画壇の権力者だったからで、他の人は、日本兵が死んでいるところは描けなかった(描きづらかった)というのも紹介されてはいるのですけど。

 

椹木:国家と美術家の関わりで言うと、戦後、画家の戦争責任を追及すべきか否か、という論争が起こったのですが、それについて、どうお考えですか?


会田:正直に言いますと、過激なビジュアル表現になれている現代人の僕には、実感としてはわからないですよね。庶民が住んでいる町を爆撃して、「いえーい」などと言っている絵なんてないわけですし。むしろ、言葉のほうがひりひりと残っているでしょうか。画家たちの座談会での発言などのほうが、やばいほどに軍国的なものが多いですよね。ポスターなどでも、スローガンという言葉に寄り添っている分、絵画より露骨にプロパガンダ的ですね。絵で「これはさすがに人道的にどうなの?」というものは、ほとんどない感じがします。


 彼らは、何よりも画家であり、絵を描きたかった。
 そして、あの時代に絵を描くための道具を手に入れるためには、「戦争」を描くしかなかった。
 それも、国に嫌われないような。


 それなら、描かなければいいのに、とも思う。
 実際に、筆を折っていた画家もいました。
 しかしながら、「とにかく描きたかった」という画家も少なくなかったのです。
 もちろん、みんなが当時から戦争反対、というはずもなく、「戦争」というドラマチックなテーマに魅せられていた画家も、いたのではないかと思います。
 ただ、「いかにも戦意昂揚のための宣伝、という感じの絵」は、ほとんどみられないのです。


 プロパガンダ的な、偏見に満ちあふれた作品ばかりなのかと思いきや、そこにあったのは、「表現の幅を狭められているなかでも、『自分の絵』を描こうとした人々の姿」でした。
 とはいえ、「軍部に協力した」のは紛れもない事実ではありますし、「芸術無罪」とも言えない。


 「戦争とアート」「芸術家のカルマ」について、また、「処世の難しさ」みたいなものに関しても、あらためて考えさせられる本ではありますね。


 ちなみに、最近は「こんな御時世だから、あの時代の戦争画をもっと広く公開したほうが良い」と主張する人と、「こんな時期だからこそ、公開には慎重になるべきだ」という人のあいだで、論争となっているそうです。
 僕からすると、あの時代の「戦争画」って、いまの時代に見ても、厭戦的な気分になる作品ばかりなのですが、それは、「戦後の反戦教育直撃世代」だからなのかな……