琥珀色の戯言

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【読書感想】SFまで10000光年 ☆☆☆☆☆


SFまで10000光年

SFまで10000光年

内容(「BOOK」データベースより)
人がSFファンとして生きるとは、どういうことか?2014年12月に急逝した著者が、SFマガジン誌に10年にわたって連載したコミックエッセイが、ついに単行本化。


 水玉螢之丞さんが亡くなられたのは、2014年12月13日でした。
 ちょうど一年前のことです。
 水玉さんって、僕が物心ついて、テレビゲームとかパソコン(マイコン)とかSFとか(正直、僕はSF成分は薄いんですが)にハマっていった時代に「いろんな雑誌で見かけるイラストの人」でした。
 いま、こうして、1993年から、2002年までの『SFまで10000光年』をまとめて読んでいると、どのページをめくっても水玉螢之丞、という状況に、ちょっと戸惑ってみたりもするのです。
 水玉さんのイラストって、女性の脚と服の皺がすごく魅力的だなあ、なんて思いながら、しばらくこの本の世界に浸っていました。
 水玉さんが描く人物(あるいは人間型生物)って、「人間というよりは、人間と見分けがつかない、動く人形」みたいなんですよね。
 そして、あの猫顔+眼鏡ぐるぐるの「自画像」は、最初から使われていたものではなく。1996年3月から使いはじめたものである、ということもこの本で知りました。


 水玉さんの仕事に対するスタンスについて、長年の盟友である大森望さんが、「解説」で、こんなふうに仰っています。

 わかる人にわかればいい(説明するのはかっこ悪い)というスタンスが基本だったので、コンテキストを共有しない読者には(そのキュートな絵柄にもかかわらず)たいへん難解な連載だったけれど、コンテキストを共有することがオタク文化の(あるいは“萌え”の)本質だとすれば、水玉さんのこのスタイルこそ(さまざまな分野における)オタク性の体現だったとも言える。水玉さんは、ほとんど求道者のようにして“オタクである自分”を探求し、実演した。

 実兄の岡部いさくさんは、訃報を受けて、ツイッター上で以下のように書いている。

 ずいぶん前だけど妹が、自分の仕事は画集や単行本として残らなくてもいい、消えてなくなるものだ、と言ってた。ご大層なものにならない、祀り上げられるようなものにならない、という自分と仕事に対する矜持は、私なんかよりもずっと強かった。妹は私にとって航法参照点でもあったんだよ。/自分が偉くなったり、自意識を満足させるより、「ぎゃはは、こりゃおかしい」「こりゃ面白い」と人様が、自分が感じる瞬間だけのために絵を描く、っていうのを妹は目指していたんだろうな。そのために妹はいつも“橋を焼いて”描いていたんだろうと思う。我が妹ながら恐ろしい奴だったよ

 そういう哲学のせいか、生前、水玉さんの雑誌連載コラムをまとめた本は、ごく初期の『こんなもんいかがっすかぁ』上下(92年、アスキー)およびその新装版しか出していない。それ以外の著作も、書籍のかたちでは、杉元怜一氏との共著『ナウなヤング』(89年、岩波ジュニア新書)と、小野不由美さんのコラムにイラストをつけた『ゲームマシンはデイジーデイジーの歌をうたうか』(96年、ソフトバンククリエイティブ)があるくらい。


 水玉さんは、著作を書籍としてまとめることに積極的ではなかったんですね。
 この『SFまで10000光年』の単行本化も、編集部から何度か打診されていたそうなのですが。


 この10年間のコラムを通して読んでいて思うのは、水玉さんは、「普遍」や「一般論」みたいなものに頼らず、「自分にとっての今」を描きつづけてきた人なのだな、ということでした。
 そのときに遊んでいたゲームや、見ていたアニメ、ハマっていた立体模型や、ふと思い出したSF作品。
 正直、僕の実力では、書いてあること、描いてあることの20%くらいしか理解できませんでしたし、読み飛ばしてしまったところもありました。
 水玉さんは、「わからない人のために妥協して、本質を濁してしまう」よりも、「わかる人に、わかるところだけ楽しんでもらえれば良い」という姿勢を貫いた人だったと思います。
 この10年くらい、アイドルが「オタク的な自分」をアピールすることさえ珍しくなくなった時代なら、ちょっと妥協すれば、水玉さんは、もっとメジャーになれたかもしれない。
 でも、水玉さんは、そうしなかった。
 それは「無欲」だったのか、「コンテキストを共有する努力を怠った、ライトな『オタク』たちに迎合することを拒む『矜持』『傲慢』だった」のか?


 そんな「妥協しない姿勢」をみせる一方で、1998年2月には、こんなことも書いておられます。

 そんなふうにして、SF者は「自分専用モノサシ」を使って世界を測ってるわけですわな。そのたくさんのモノサシを「SFマガジン規格」用にとりまとめたのが、オールタイム・ベストなんじゃないかと…って話戻ってるよおばあちゃん。それを手にして世界を測りはじめる若者がいたとしても、やがていつかその若者が自分だけのモノサシを獲得したときには必要がなくなることを知りつつ、というよりそれをむしろ期待しつつ、手渡されたモノサシ…ほら、やっぱり美しい光景とか言ってるその一方で、頭の片すみには「でもさー“SF”ってこの先どんどんスソ野ばかりが広がっていくんじゃないのかね」っていう予感があったりもしてる。いま現在、まだ一部では失礼な表現とされている「SFっぽい」という説明が使われる作品が、そのうちただの「SF」として流通する日が来るんじゃないかって。アレもコレもみんなSFでぜんぜんオッケー、うるさいこと言ってんのはバナナが高級品だと思ってるようなトシヨリだけ、ってことになって、その結果「SF」は売れないっていうギョーカイの定説(らしいぜ、冬だしな)が消えてくれれば、それはそれでかまわない気がするんだよね。世間はSFっていってるけどとてもそうは思えないモノに経済を支えてもらいながら、15年にいちどぐらいのペースで、魂をゆさぶられるよーな傑作SF(自分にとってのね)に会えればいいや、つーか。すんごく弱虫な考え方だけどさ。でもそうなるとますます、昔は読んでたけど今のSFは読んでないしキライ」っていう流派の人は「戻るきっかけがつかめなくなってさみしいだろうな、内心は。って同情はしにくいけどよ。


 この「予想」みたいなものは、ある程度実現されているのかな、とも思うのです。
 いまの「SF」の多くは、昔だったら、「SFっぽい作品」に分類されていたのではなかろうか。
 それは「SF」にだけ言えることではなくて、「ミステリ」とかでは、もっと顕著な気がします。
 水玉さんは「コンテキストを共有できないものを語らない人」だったのだけれど、そういう昔のオタク、マニアというものの偏狭さを客観的にみている人でもあったのです。自分自身をも「客観視」しているところがありました。
 もしかしたら、あの時代のSF好きで、女性であったがために「おたくの女神」とか呼ばれていたことに、ずっと居心地の悪さを感じていたのだろうか。

 だからこそ、「自分の作品への愛着と恥ずかしさ」の葛藤があって、書籍にすることに消極的だったのかもしれませんね。


 こうして、水玉さんのイラストと文章(とくにこのコラムでは、水玉さんの書き文字がとても印象的です)を読むことができ、手元に置いておくことができるようになって、良かった。
 万人向けではないけれど、万人向けって、本当は、誰にも深くは刺さらない。
 たぶん、この本をずっと手元に置いて、ときどきページをめくりながら生きていく人間は、僕だけじゃないはずです。


SFまで10万光年以上

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