琥珀色の戯言

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【読書感想】うちの子になりなよ (ある漫画家の里親入門) ☆☆☆☆


うちの子になりなよ (ある漫画家の里親入門)

うちの子になりなよ (ある漫画家の里親入門)

内容(「BOOK」データベースより)
子どもがほしい…。6年間で600万円、不妊治療のどん底で見つけた希望の光。里親研修を受け、待望の赤ちゃんを預かった著者(40代・男)が瑞々しくも正直に綴る、新しいタイプの子育てエッセイ。


 西原理恵子さんと壇蜜さんとの対談本『壇蜜×西原理恵子銭ゲバ問答「幸せはカネで買えるか」』のなかで、「他人の子どもを育てる」ことについてのこんなやりとりがあったのです。

西原理恵子犬でも猫でも、うちに来たら「うちの子」ですよね。人間ならもっとかわいいから大丈夫です。


壇蜜そうですよ。なぜ人間には、自分の子と同じようにかわいがることが難しいのか、常々疑問に思っているのです。他の人には、
「そんな簡単なことじゃないよ」
 と言われますけど、
「なんで、そんな簡単じゃないと分かるの?」
 と反論して、どうしてもケンカになっちゃいます。


 僕は、「壇蜜さんに『簡単じゃない』と言ってしまう人」なんだろうなと思うのです。
 犬や猫を拾ってきて、「うちの子」って、家族同然にかわいがっている人がたくさんいるのに、なぜ人間の子どもだと、「里親」っていうのは、ものすごくハードルが高く、「他人の子どもをかわいがるのは難しいよ」と説得されるのだろう?
 僕自身は、あまり「子どもが欲しい」という積極的な気持ちがないまま親になってしまったところがあるのですが、なんのかんの言っても、子どもがいる生活というのは面白い、と思うんですよ。生きるモチベーションになってくれているところもある。
 その一方で、自分の時間は少なくなってしまうし、子どもがなかなか言うことを聞いてくれず、イライラしてしまうことも多いのです。
 そんなときに、「血縁」みたいなものの存在を信じていると、「僕もこんな感じの屁理屈ばかりこねている、めんどくさい子どもだったものな。お母さんごめん……」と自分に言い聞かせることができる。
 冷静になって考えてみると、血縁云々はこちらの思い込みの面があって、「子どもというのは、たいがいそういうもの」なのかもしれませんけどね。


 この本を読んでいて、血の繋がっていない赤ん坊を里親として育てている古泉さんの率直な言葉を読んでいると、自分が子どもに接しながら考えていたことをいろいろと思い出してしまいました。
 それと同時に「血のつながり」ってことについても、さまざまなことが頭に浮かんできて。


 古泉さんには、生まれてから数回しか会っていない、実の(血が繋がった)中学生の娘さんがいらっしゃるそうです。
 僕はこの本を「どうしても子どもができなかった夫婦が、里親として子どもを育てる喜びを描いたもの」だと思って読み始めましたし、それは間違ってはいない。
 でも、この古泉さんの「告白」を読んで、「どうして赤の他人の子どものことをこんなに頑張って育てられるのに、実の子どもに対して冷たい(というのは、事情があることなので、酷い言い方だと思うのですが)のだろう?と感じたんですよ。
 その一方で、もしかしたら、「自分と血がつながっていない子どものほうが、つきあいやすい、育てやすい人」というのも存在するのではないか、などとも思ったのです。
 そんなことはない、という人が多いのは百も承知、なのですが。


 「里親」になるためには研修を受ける必要がある、ということや「里子」と「養子」の違いについて、僕はこの本ではじめて知りました。

 児童相談所に話を聞きに行きました。里親制度はあくまで子ども中心の制度であり、希望する親の都合で子どもを選ぶことはできない、子どもにとって条件のいい親を行政が選ぶとのことでした。男の子や女の子も選べず、赤ちゃんがいいというようなことも選べません。できれば小さい子がよかったですが、それでもなんでもいいと思いました。里親になるには研修を受けて市の里親認定を受けなくてはなりません。2月に相談に行ったのに、研修の開始は5月で、なんで毎日やらないのだと、焦っていた僕はイライラしました。
 テレビで観た里親の特集で、里親の前に大きく立ちはだかる試練として「親試し」が取り上げられていました。その番組では、里親に引き取られた子どもが親に対してわがままの限りを尽くし、親の愛情がどれほどのものなのか試します。その試し行動がはじまったら1年間何をされてもすべて受け入れなくてはならないそうです。強靭な忍耐力が問われます。我々のようにフニャフニャな気ままに生きている夫婦の覚悟では務まるような気がまったくしません。でもそうなったらやるしかない。

 一緒に研修を受けていた人の中では養子縁組を希望する人もいましたが、条件をつけるとそれだけ子どもが来るのが遅くなりそうなので、里子でも養子でも、どちらでもいいと希望しました。
 里子はあくまで、親権が実親にあり、苗字も実親のものです。里親には親権はなく、養育権があります。養育権は行政が認定します。養子はわが子として家庭に迎え入れ、親権がその養育者に移行し、苗字も養育者と同じになります。里親は行政から養育費をもらえます。これがけっこうな額で、普通のフリーターくらいもらえます。養子は実子と同じ扱いなので、普通の児童手当くらいしかもらえません。要するに里子はよその子を預かっているだけで、返してくれと言われたら返さないといけなくて、養子は完全に戸籍に入る家族です。


 行政や児童相談所が、子どもの虐待を見落としてしまったことを責める話はたくさん耳にするのですが、この本を読むと、関係者が「育ててくれる人がいない子どもたちを幸せにするために」身を粉にして仕事をしていることが伝わってくるのです。
 そして、「戸籍」というものを重視する人が多いのだ、ということも。
 同じように子どもを育てていても、「里親」だとかなりの養育費がもらえるけれど、「養子」にすると児童手当程度。
 里親だと苗字が親と違うのですが、これについては、公的な手続き以外は「通名」を使用することが認められているそうです。
 いずれは「血が繋がっていない」ことを説明しなければならないのなら、そして、実親から「取り戻したい」と求められることがほとんどない、とされているのなら、「里親」のほうが経済的に有利なのではないか、と思うのだけれども、養子にしたい、と希望する人が多いということでした。
 里子だと「可能性は低いと言われるが、いつか実親が取り戻しに来るのではないか、という不安が拭えない」とも。
 古泉さんの場合は、生まれたばかりの赤ちゃんだったので、「赤ん坊が生まれた家庭」と同じで、「親試し」の試練はなかったようなのですが、物心がついてからの子どもだと、「赤ん坊の世話のために慢性的な寝不足」ということはなくても、虐待の記憶などがあったり、それでも実親を求める気持ちがあったりと、難しい面もたくさんあるのです。
 里親というのは、善意がないと務まらないけれど、綺麗事だけではやっていけない。

 
 この本を読んでいて感じたのは、「里親」というと、なんだか特別な印象を抱きがちだけれど、少なくとも赤ちゃんを育てる、という行為や、それが親に与えてくれるものは、血縁の有無とほとんど関係がないのだな、ということでした。
 古泉さんは、赤ん坊のいる生活をすごく丁寧に切り取っていて、その描写の的確さに「ああ、そう、そうなんだよ!」って、読んでいて何度も頷いてしまいました。

 寝返りができるようになってきた。仰向けに寝たまま自分でおもちゃのガラガラをぽいっと投げてしまい、それを自分で拾おうとして、手でどんどん遠くに押しやってしまうことがよくある。それを拾おうと体をひねってぐいっと手を伸ばす。すると寝返りしそうになるのだが、伸ばした手の反対の腕をお腹に敷いて、それを抜くことができず、仰向けに戻る。ほぼ寝返りができているような感じで、体の下の腕を抜くことさえできれば完成だ。時々できている。毎回できるようになるといいな。体を横向きにして寝るのは楽々とやっている。
 手が少しずつ器用になってきた。片手で持ったものを顔の前で逆の手に渡すことができるようになった。それを何度も繰り返して練習している。前はおもちゃをおでこにガツンとぶつけてそれを口にずらして舐めていたのに、口に正確に運ぶようになった。ガラガラにトナカイのツノがついていて、ツノが目に刺さりはしないかと心配だったけど、もう安心だ。

 これは9か月のときの赤ちゃんの様子を描いたものなのですが、「うちの子」のさまざまな記憶が蘇ってきました。
 いろいろ大変ではあるのだけれど、赤ん坊がいる生活には、「発見」がある。
 もちろん、寝不足や苛立ちやすれ違いもあるのだけれど、子どもが「できるようになっていく」のを見守るのは楽しい。


 「里親入門」と書いてあるわりには、「里親」についての細かい記述が少ない(というか、子どものプライバシーを尊重するように、という決まりがあるそうです)という感想をAmazonで見かけました。
 確かに「里親になる方法を知る目的で読む」と、ちょっと物足りないかもしれません。


 「親と子ども」、あるいは「子どもがいる夫婦」には、たぶん、普遍的なところもあって、「そういうのは、血の繋がりとは、あまり関係がない」ような気がしてくる、そんな「里親入門」でした。



「里親になりたい」と考えておられる方には、こちらの本もオススメしておきます。
 打ちのめされてしまうところもありますが……


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