琥珀色の戯言

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【読書感想】新国立競技場問題の真実 無責任国家・日本の縮図 ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
責任者不在! コスト感覚ゼロ!! 危機意識ゼロ!!!
この国の劣化はもう止まらない。


計画全体の白紙撤回という前代未聞の展開となった新国立競技場問題。
建設費は当初予算から倍近くまで高騰し、仕様も大きく変更された。
問題点は早くから指摘されながら、計画は暴走。
戦後復興の象徴とされた旧競技場は既に解体され、
神宮外苑の、東京を代表する美しい景観も失われようとしている。
なぜこんな大失態となったのか。進行中の新計画は大丈夫なのか。
帝国陸軍を彷彿させる壮大な無責任体制」に、緻密な取材で斬り込む。


「結局、新国立競技場の問題は、建築の問題であり、
スポーツの問題であり、政治の問題であり、
そして、民主主義の問題だった」――「あとがき」より


 当初の予算では全くおさまらず、完成は2019年のラグビーのワールドカップどころか、2020年の東京オリンピックにも間に合いそうもなく、「斬新なデザイン」は白紙撤回……
 もう、踏んだり蹴ったりの「新国立競技場」。
 なぜ、こんなことになってしまったのかを、計画が立案された時期から追ってきた記者がまとめたものです。

 
 これを読んでいて痛感するのは、「責任者」の不在なんですよね。
「この迷走は、誰の責任なのか?」という問いに対して、「この人」だと言えるような人がいない。
 下村文部科学大臣は、名目上の「責任者」ではあったのでしょうが、自身にその意識はほとんど無かったみたいですし。
 結局、みんな「これは無理だろ」と思いながらも、責任を問われるのをおそれて尻込みし、「新しいスタジアムはオリンピック招致で約束した国際公約だから」と言いつつ、実際に国際オリンピック委員会に問い合わせることもなく、「これまで通り」を続けて、いたずらに時間とお金を浪費してしまったのです。
 ちなみに、今回の「計画白紙撤回」について、国際オリンピック委員会は「主催国の事情や社会情勢に応じて計画がある程度変わるのは仕方がないし、『オリンピックのコンパクト化』という観点からみても問題はない。謝罪の必要なんてありませんよ」という反応だったそうです。


 これからどんどん人口が少なくなる日本で、短期間のオリンピックのために、そんな大きなスタジアムが必要なのだろうか?と疑問でした。
 その一方で、ザハ・ハディドさんデザインのイメージ画を見たときには「カッコいいな。歴史に残るようなものになるのだったら、中途半端にお金をかけてありきたりなものを造るより、インパクトがあるほうが良いよね」とも感じていたのです。
 たぶん、淡々と新国立競技場が造られ、完成していたら、予算とかには、あまり興味を持たなかったかもしれません。


 この新書を読むまで、僕は、ザハ・ハディドさんという建築家の凝ったデザインが工費を上げる要因になっているのだと思っていました。
 そんなデザインを採用するのが悪かったのだ、と。
 著者は、デザインが最大の原因ではないことを指摘しています。

 新国立競技場をめぐっては、こうしたハディドさんに対して批判的な議論もあり、ハディドさんがトラブルメーカーであるといった誤解も生まれたように感じた。だが、彼女自身は世界で最も人気のある建築家の一人である。それはつまり、世界中のあちこちで建築物を造り、キャリアを重ねてきているということだ。「アンビルドの女王」と呼ばれたのは80年代の話であり、現在は世界で最も実績のある建築家の一人なのだ。
 

(中略)


 たとえば、彼女は2012年のロンドン五輪で、水泳会場となった「ロンドン・アクアティクス・センター」を設計しているが、途中で建設費が大幅にアップすることが発覚し、デザインを変更している。結局それでも最終的に建設費は当初の見積もりを大きく超えてしまうのだが、仮設席を多用し、五輪後には1万7500席から2500席にサイズダウンできるようにすることでコストの圧縮を試みた。
 何が言いたいのかというと、発注者側がきちんと管理能力を発揮すれば、建築家はデザインの変更やコストの縮減に対してフレキシブルに応じる。発注者は、建築家にとってはつまりお客さんだから、これは当たり前と言えば当たり前の話だ。少なくともロンドンがやろうとしたことを、どうして日本はやろうとしなかったのか。新国立競技場の問題をザハ・ハディドさんだけに負わせることには違和感を覚える。

 デザインを実際に建物にしていく過程で、さまざまな問題が生じてくることは少なからずあって、状況に応じて変更していくのは当たり前のことなんですね。
 それも含めてのデザイン、と考えたほうがいい。
 確かに、ハディドさんのデザインをそのまま実現するのにはあまりにもお金がかかりすぎたのかもしれませんが、変更の余地は少なからずあったのです。


 新国立競技場にかかるお金は、あまりにも高額でした。
 著者は、勤めている東京新聞の過去の記事のデータベースから、最近のオリンピックのメーンスタジアムの建設費を計算して紹介しています。

 アトランタ大会(1996年) 8万3000人収容  約250億円
 シドニー大会(2000年) 11万人収容     約510億円
 アテネ大会(2004年)   7万5000人収容  約360億円
 北京大会(2008年)    9万1000人収容  約510億円
 ロンドン大会(2012年)  8万人収容     約580億円


 これを見ると、直近の五輪で最も高額だったのは、ロンドン大会の580億円である。そもそも1300億円とか1625億円という金額がどれだけ莫大だったかに気づかされるが、2520億円にいたっては、そのロンドン大会のメーンスタジアム4個分の金額に達することになる。


 東日本大震災後の復興需要による、建築資材や人件費の高騰という事情はあるのですが、当初の1300億円だって、あまりにも突出した金額です。
 この新書を読むと、新国立競技場は、陸上競技だけでなく、サッカーやラグビーなどの球技や、コンサート会場としても使えるような設備を持ち、開閉式の屋根や移動式の観客席など、さまざまな用途に対応できる「全部入り」の計画でつくられようとしていました。
 そのほうが「便利」だし、「せっかく造るのだから」という気持ちはわかる。
 その一方で、多機能化すると、コストはどんどん跳ね上がっていくのです。
 コンサート会場として貸し出すと、1回あたり5000万円もの使用量が稼げるそうなのですが、会場にするために芝生を覆ってしまうと、芝生の状態が悪化し、スポーツ競技に深刻な影響が出るそうです。
 もともと両立しにくいような機能を無理に詰め込むと、そのためのコストがどんどん大きくなっていくのです。
 

 槇さんが当初から指摘しているように、新国立競技場の敷地はロンドン五輪のメーンスタジアムの敷地の7割程度しかない。建設予定地は東京の都心にある明治神宮外苑地区だ。もともとの国立競技場の敷地に加え、隣接する明治公園や日本青年館などの敷地を加えても、これが精一杯だった。だが、計画されている競技場の規模は、この段階でロンドンの2倍以上に達する。7割の敷地に2倍の建物。敷地は限られているのに、これでもかというくらいギュウギュウに設備を詰め込んで造るのが、新国立競技場だった。

 
 周囲の景観も変わってしまうし、敷地に比してあまりにも建物が大きいので、災害時の安全性にも不安が出てきます。
 

 文科省幹部は「『多目的は無目的』という言葉があるが、今考えればそうだったのかなとも思う。ただ、新しい国立競技場を造るのに、いろいろな競技団体に目配りしない訳にはいかなかった」と話した。
 ゼネコン関係者は、「元々の与条件(スペック)にとんでもない問題があった。たとえば、開閉式屋根を取り付けながら、芝生の養生をしっかりやるとか。矛盾の極みだ」と言った。
 それぞれ立場の異なる人たちが同じ結論に至ったことは、事実として重いのではないか、と感じた。
 旧計画を少し詳しく見てみると、こうした関係者たちの証言の意味がよく分かる。2520億円の建設費のうち、屋根工区は950億円であるのに対し、スタンド工区は全体の6割以上の1570億円に達していた。巨大なキールアーチやザハ・ハディドさんの波線形の外観のデザインなどは全て屋根に含まれるが、それ以上にスタンド工区の方にお金がかかるのである。その理由は、やはり規模の大きさに求めるのが適当だろう。
 白紙撤回騒動の前後、2520億円の建設費を批判する声が沸き起こり、それに連動してザハ・ハディドさんに対するバッシングも起きた。だが、これは誤解を含んでいると思う。
 そのデザインを生かすために特注の資材が必要になり建設費を押し上げた、というJSC(日本スポーツ振興センター)の説明は事実だろうが、一番の要因は、デザインではなく、巨大すぎる規模にある。ハディドさんを切れば、それだけで建設費が下がると考えていれば、それは間違っている。それに規模が大きくなった要因は、JSCや有識者会議などが、立案段階でスペックを盛り込みすぎたことにある。


 とにかくすごいのを造ってやろう、という意気込みだけで現実を見ずに、全方位に良い顔をするために「全部入り」の施設を構想し、うまくいかないことがわかると「デザインのせい」。
 そもそも、そのデザインを選んだのは誰だったのか。


「なぜ、オリンピックの象徴となるはずの新国立競技場建設が、こんなに迷走してしまったのか」が、よくわかる新書です。
 北京オリンピックとか、ブラジルのワールドカップの直前に、ニュースで「まだ競技場は建設中です。これで本当に間に合うんでしょうか?」というニュースをみて、「いいかげんな国だなあ、日本だったら、こんなことないだろうに」と思っていたのですけど、日本も似たようなものですね。他人を笑う前に鏡を見るべきだった……

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