琥珀色の戯言

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【読書感想】キリンビール高知支店の奇跡 勝利の法則は現場で拾え! ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
アサヒスーパードライから、ビール王者の座を奪回せよ――地方のダメ支店発、キリンビールの「常識はずれの大改革」が始まった!
筆者はキリンビール元営業本部長。「売る」ことを真摯に考え続けた男が実践した逆転の営業テクニックとは?
地方のダメ支店の逆転劇から学ぶ、営業の極意、現状を打破する突破口の見つけ方!


大切なのは「現場力」と「理念」。
組織のなかでリーダーも営業マンもひとつの歯車として動いてしまうと、ますます「勝ち」からは遠ざかってしまう。そんなときこそ、「何のために働くのか」「自分の会社の存在意義は何なのか」という理念を自分で考え抜くことが、ブレイクスルーの鍵となる。必死に現状打破を求め続ける、すべての営業マンに送る本!


筆者が行ってきた改革の例
1.会議を廃止
2.内勤の女性社員を営業に回す
3.本社から下りてくる施策を無視
4.高知限定広告を打つ
5.「ラガーの味を元に戻すべき」と本社に進言……など


 うーむ、「奇跡」って言っても、日本の一地方、それも、人口が多いとも言えない、高知県での成功例って、そんなに自慢するようなことなの?


 正直なところ、そう思いながら、読み始めたのです。
 僕はビールは基本的に「キリンビール党」なのです。
 30年くらい前、キリン党だった父親が「キリンビールカープを応援してくれているから」と言っていたことがずっと頭にあって、「この店にあればキリンビールを」という方針です。
 父親には反発してばかりでしたが、これだけは、なぜかずっと「言いなり」なんだよなあ。

 世の中に必要とされているものだという確信はあるのに、なぜか市場が反応しない。ライバル社に侵食されて負けており、その流れを逆転できない。
 どうしていいかわからない苛立ちを、わたしは嫌というほどよくわかります。
 なぜなら、それはわたしがかつて直面し、悪戦苦闘した状況だからです。わたしが勤務していたキリンビール株式会社は1907年に誕生し、高度経済成長が始まる1954年に国内シェア1位の座に着きました。そこから長らく「ビースはキリン」という時代が続き、1972年からはシェア60%という王者の座を長い期間守ってきました。しかし、1987年にアサヒビール株式会社が「スーパードライ」を発売したことから、売り上げは急落します。結果、2001年にはシェア40%を割り込み、ほぼ半世紀ぶりにトップの座をアサヒビールに明け渡すことになりました。
 キリンがスーパードライの波に飲み込まれつつあった1995年に、45歳だったわたしは社内で代表的苦戦エリアといわれた高知支店に支店長として赴任しました。そして厳しい闘いの末、2年後には高知支店の業績は反転し、高知県においてアサヒビールからトップシェアの座を奪い返すことができました。


 この本には、著者の高知での奮闘の数々が紹介されているのですが、読んでいて痛感したのは、「商売というものに裏ワザはないのだな」ということでした。
 面白くないな、と思うほど、「当たり前のことを、当たり前にやる」ことの重要性が、繰り返し語られているのです。


 キリンビールは、ビール会社のなかで、長年60%以上ものシェアを誇っており、独占禁止法に引っかからないために「売れすぎないようにする」という時期もあったそうでs。
 まさに「殿様商売」だったんですね。
 社員たちは、ただ、注文を受け、配達さえしていればよかった。
 ところが、アサヒの『スーパードライ』の歴史的な大ヒットのおかげで、ビール業界の勢力図は、大きく塗り替えられることになりました。
 長年ラクをしてきたがために、「営業力」は低下し、新商品投入もうまくいかず……そんな八方塞がりの状況に、高知支店は追い詰められてしまったのです。
 しかも、高知は、キリンビールの各支店のなかでも、もともとシェアが低めで、難しい地域だとされていました。


 キリンも、指をくわえて見ているわけにはいかず、こんな手を打ったのですが……

 ようやく絞り込んだ施策である飲料店攻略に動き始めた1996年4月、逆風が吹きました。それもライバルメーカーの攻勢からではありません。
 日本で長年にわたりトップブランドであるラガービールの味が変わり、売り上げが急落したのです。
 まだスーパードライよりラガーのほうが売れてはいたのですが、スーパードライの勢いのすごさに危機感をもった本社が消費者意識調査をすると、ラガーには「苦い」「古い」といったイメージが強く、このままでは若い人たちが離れていくのではないかという結論が出ました。その弱点を補強しなければと、飲みやすさのある味覚への方向転換を決めたのです。広告も若者を意識したものに変わりました。
 2月の発売から最初の2か月こそ好調でしたが、その後、転がるように低迷していきました。これまでのラガーファンは「苦みもコクもなくなり、ラガーさしくなくなった。これなら人気のスーパードライにしようか」と言い、狙っていた若者や女性からは「ラガーが飲みやすくなったからといって今飲んでいるスーパードライを変えることもない」と判断され、狙いは外れました。当時マーケティングの教材にのったほどの失敗です。


 泣きっ面に蜂、というか、ブームに乗ろうとして、かえって中途半端になり、これまでのファンも失う結果になってしまったラガービール
 このときの「キリンの迷走」のこと、僕もなんとなく記憶に残っています。
 『美味しんぼ』では、「ドライなんてビールじゃない!薄い!」なんて批判されていましたが、世の中では「ドライの優勢」が続いていたのです。


 著者は、本社からの「左遷」のような扱いで、高知支社にやってきたのですが、そこで、この危機に遭遇し、スタッフとともにシェアの回復のために粉骨砕身するのです。


 現場で考え抜いた対策は、「積極的に顧客とコミュニケーションをとる」ことや「高知の人たちの地元愛に訴えるようなアピールをしていく」でした。

 営業マンがお客様の目線で自発的に考えるというスタイルが浸透し、さまざまな変化が現れてきました。
 それまで高知支店では午後5時半になると留守番電話に切り替えられていて、生ビールのサーバーの故障など、夜の営業時間に起きる緊急事態への対応もできていませんでした。しかし、いつの間にか、最後のひとりがオフィスを出るまで、留守電にせずに対応するようになりました。
 すると「夜に困ってキリンのオフィスに電話しても人が出る」という評判が立ち、キリンのサービスの良さや熱心さという情報が広がっていきました。
 また自然に情報が集まり始めるという現象も起こりました。
 たとえば、あるディスカウントショップに10ケース単位でスーパードライを買いに来るお客様がいる。どうも消防署員のようで、厳しいトレーニングや勤務のあとに飲んでいるらしい。そういう情報が入ると、すぐさま、消防署に出向き、熱心にお願いして、「わざわざ買いに出なくても、キリンビールならお届けします」と提案して、「じゃあ、今度からキリンにするか」となりました。
一歩一歩、お客様との接点の広がりが生まれてきました。キリンを応援してくれる人が目に見えて増えていきました。
 そして知り合いの数が増えていくと情報は連鎖し、加速度的に早く入るようになります。


 こうして、「人脈」や「サービスへの高評価」が広まることによって、キリンビールは、高知で「V字回復」を果たしたのです。
 それは、何か特別な秘策があったというよりは、サービス業としてやるべきことを、ひとりひとりのスタッフが理解し、率先してやっていった結果でした。
 こういうモチベーションをみんなに持たせることができるリーダーって、本当にすごい。
 みんな、わかっていてもなかなかうまくいかなくて、結局、「ここの土地柄ではダメだ」とか「この企業風土では難しい」って、「前任者と同じ」になってしまうものだから。


 ただ、これを読んでいると、サービス業を極めていくというのは、そこで働いている人にとっては「ブラック企業化」と紙一重という感じもするんですよね。
 夜中の電話が「つながる」ためには、それを受ける人が必要なのだから。
 この本を読んでいるかぎりでは、高知のスタッフたちは、仕事はきつくなっても「やりがい」を感じ、生き生きと働いていたようではあるのですけど。


 その後、著者は四国全体を統括する本部長から、東海地区本部長、そして、2007年からは代表取締役副社長兼営業本部長となり、2009年には、キリンビールにとっては9年ぶりとなるシェア1位奪回を成し遂げました。
 著者は言っています。
「闘いに必要なことは、高知支店ですべて学んだ」

 国際的なブランドビジネスをやっている他社の社員から伺った話しですが、海外で闘うにしても、やはりまず日本の地方のあるエリアで勝ち方を極めていることが非常に大事なのだそうです。そのエリアをよく見て、エリアの特性や住んでいる人、風土とか、チャネル全部ひっくるめて最も適切な正しい手を打って実績を上げることができた人間こそ、海外に行っても通用する。サウジアラビアに行っても、ドイツに行っても、そのエリアで最も適切な打ち手を自分で考えて実行することができる。そういう力量というのは国内のエリアのマーケティング、営業から養われるのだと。

 高知のときの話ですが、エリア広告を考える場合、お客様が飲んでいるアサヒをキリンに変えるにはどうしたらよいかと考えるわけです。「こっちの水が甘いよ」と誘うわけですが、これがことごとく失敗する。
 途中で考えを変えました。いくらキリンのほうがよいですと言っても聞いてくれないので、こうなったらそこはすっぱりあきらめ、今キリンを飲んでいる人たちだけを大切にする。その方たちにもっと喜んでいただくことだけに専念する、と考え方を変えてみました。そうすると、キリンを飲んでいる人の幸福度が相対的に高まり、水が高いところから低いところに流れるように、自然とアサヒからキリンに変わるのではないだろうか。
 これが正解でした。


 「こんな狭い舞台じゃ、自分の本領は発揮できない」と言うような人は、舞台が大きくなったからといっても、良い仕事はできないのです。
 逆に、ローカルでのやりかたは直接通用しなくても、そこにフィットしていくための試行錯誤という経験は、どこに行っても応用が効くのです。


 「所詮、高知支社の話だろ」と思っていた僕は、自分の未熟さを思い知らされました。
 まず、いま居る場所で、ベストを尽くすこと。それが大事、なんだよなあ。


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