琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ビル・クリントン - 停滞するアメリカをいかに建て直したか ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
1993年、45歳の若さで戦後生まれ初のアメリカ大統領に就任したビル・クリントン
2期8年の任期中、民主党政権ながら福祉関連の切り捨てを厭わず中道主義を追求。
財政と貿易の「双子の赤字」を解決し好況に導く。
また国際紛争解決に積極的に関与し、冷戦後の新たな国家関係を模索、米国を繁栄に導いた。
本書は、カネとセックスをめぐるスキャンダルに次々と追われ、弾劾裁判を受けながらも、多くの実績を残し、いまなお絶大な人気を誇る彼の半生を追う。


 この新書を書店で見かけて、けっこう感慨深いものがありました。
 あのビル・クリントン大統領も、こうして、後世から俯瞰され、総括されるくらいの「過去の人」になってしまったんだなあ、って。
 アメリカ合衆国・第42代大統領ビル・クリントンの在任期間は1993年1月から、2001年1月。
 そうか、もう退任してから15年も経ってしまったのか。
 若くして大統領となり、現在も元気な姿を見せているだけに、そんなに前のことだったっけ、と考えてしまうのです。
 ビル・クリントン後は、ジョージ・W・ブッシュ政権2期、バラク・オバマ政権が間もなく2期(1期は4年)と続いています。
 そして今、ビル・クリントンの妻ヒラリー・クリントン民主党の大統領候補に指名され、あのトランプさんと対峙しているのです。


 池上彰さんの著書『世界を動かす巨人たち <政治家編> 』のなかで、クリントン夫妻に関する、こんな話が紹介されています。

 夫ビルが大統領選挙で当選した後、夫婦でヒラリーの故郷シカゴ郊外の町をドライブしていたときのこと。ガソリンスタンドに給油に立ち寄ると、男性従業員が、「ヒラリー、覚えてるかい。高校時代、デートしたじゃないか」と話しかけてきました。ガソリンスタンドを出ると、ビルが得意げにヒラリーに語りかけました。
「ヒラリー、もしあの男と結婚していたら、今ごろどうなっていたかな?」
 すると、ヒラリー曰く、「そうなっていたら、今ごろは、あの男がアメリカ大統領でしょうね」


 これはもちろん実話ではなく、有名なジョークだそうです。
 ビル・クリントンという人に「デキる妻に比べて、ちょっとだらしない人」みたいなイメージを僕が持っていたのも確かなんですよね。
 ビル・クリントンについて最初に思い出すのは、モニカ・ルインスキーさんとの「不適切な関係」だし。


 ところが、この新書を読んでみると、ビル・クリントン大統領は、現在のアメリカでは、かなり高く評価されているのです。
 外交・軍事にはやや消極的だった、という声もあるようですが、アメリカの巨大な財政赤字を克服して「奇跡の黒字化」をなしとげ、それまでリベラル派の力が強く、「小さな政府」にこだわってきた民主党のなかで、「共和党寄り」の政策をかかげたビル・クリントン
 それによって幅広い支持を集め、見事に政権を運営し、アメリカに活気を取り戻した、と。
 その背景には、在任した時期がアメリカの「ITバブル」と重なった、という幸運があるとしても。
 なんのかんの言っても、政治家の評価というのは、その時代背景に左右されてしまいますよね。


 この新書では、ビル・クリントンの生い立ちからアーカンソー州知事時代、大統領選を経て、2期の大統領としての功罪が時系列で語られています。
 僕が意外だったのは、白人でイケメン、いかにもアメリカのエリートだな、と思い込んでいたビル・クリントンが子供の頃に置かれていた「環境」でした。

 バージニアは1950年6月19日、母エディスの強い反対を押し切って、自動車のセールスマンだったロジャー・クリントンと再婚した。ビルが4歳になる少し前である。
 バージニアの再婚時よりビルは継父の姓を名乗るが、正式にクリントンへと法的改姓手続きを取ったのは15歳になってからである。
 ビルが正式な改姓をためらったのは、継父が重度のアルコール依存症であり、母・異父弟(ロジャー・クリントン2世)ともども継父に虐待された経験があったからだ。夫婦喧嘩で激高したロジャーがバージニアに向けて発砲し、弾丸は危うく近くにいたビルに命中しそうになったこともあったという。
 継父は洒落者でユーモアにあふれ、ハンサムだった。だが、彼は女癖が悪く、バージニアと結婚する前に2度の離婚歴があった。前妻アイナ・メイ・マーフィもまた彼にひどい暴力を振るわれたと話していた。
 ロジャーには深刻な飲酒癖に加えて賭博癖もあり、乱痴気騒ぎを好む欠点もあった。ビルが改姓をためらったのは、だらしない継父への抵抗でもあった。


 ビル・クリントンという人は、何不自由なく育ったエリートではなく、こんなつらい子供時代を過ごしてきたのです。
 ただし、これは「アメリカの中流家庭では、珍しくない光景」でもあります。
 日本でも、たぶんそうなのではなかろうか。
 なかなか「外見も内実も完璧な家庭」などというのは存在しないものですし。

 ビルは仕事で不在がちな母親に代わって、異父弟の面倒をよく見た。ビルは周囲の子どもよりも常に大人びて見えたという。また、ビルは小学校のときにクラリネットの演奏をはじめ、その後サックスを吹くようになった。
 兄に比べ、ロジャー2世が虐待によって負った心の傷は深く、彼はのちに賭博や薬物に手を染め、薬物の違法売買で逮捕され、収監された。
 アメリカの有名政治雑誌『ポリティコ』の編集長で、クリントンの伝記を書いたこともあるジョン・ハリスは、この複雑な幼少期の家庭環境こそ、クリントンが私生活のトラブルや自分の思惑を包み隠し、利害の異なるものの間で仲介役としてうまく立ち回ろうとする政治家としての原体験であったと分析する。
 他方、幼少期の経験はクリントンの人格形成に暗い影を落とすことにもなり、後年クリントンが女性スキャンダルを引き起こす一因となったのではないかと考える者は多い。


 望まない環境のおかげで、ビル・クリントンは「政治家としての資質」を身につけてしまった、ということなのかもしれません。
 だからといって、虐待された人がみんな政治家として成功する、というわけではないのでしょうけど。


 1980年以降、アメリカの民主党の若手議員たちは、路線変更を摸索していきます。
 1984年の大統領選挙では、民主党のモンデール候補は、再選をめざす共和党のレーガン大統領に地元のミネソタ州と首都・ワシントンを除く全州で敗北するという、「歴史的大敗」を喫してしまいました。

 彼らはこう考えた——民主党は「人種マイノリティ、同性愛・フェミニズム活動家の党」「増税容認の党」「犯罪者に甘い党」「福祉受給者や貧困者の党」などのレッテルを貼られ、もはや防戦一方ではないか。 
 従来までのリベラル一辺倒の主張を繰り返し、労組や人種団体・フェミニズム団体・環境保護団体・消費者保護の団体などの中核的支持基盤に訴えかけるだけの路線では、選挙に勝てない時代が来てしまった。
 民主党は中間層、白人男性、浮動票にも狙いを定め、それらの票も貪欲に吸収せねばならない。そのために、民主党は「リベラル原理主義」を打破して中道的な新理念を掲げ、強力なリーダーシップを打ち立てる必要がある。


 こうした若手議員たちは、これまでのリベラル一辺倒の民主党の主流派と一線を画し、「ニュー・デモクラット」と名乗るようになりました。
 「ニュー・デモクラット」は、「共和党的な政策を取り込んだ民主党員たち」だったのです。
 ビル・クリントン大統領は、民主党の本流であったリベラル主流派から批判されながらも、共和党とも、ときには妥協しつつ、8年間の政権をつとめあげたのです。
 「いいとこどり」だったらベストだろう、と考えがちなのですが、著者は「そういうやりかたは、政治の世界では、両方の悪いところばかりを集める結果になりがち」だと指摘しています。
 そして、「にもかかわらず、ビル・クリントンはうまく中道路線を貫いた」と評価しているのです。
 ビル・クリントンは、極めて現実的な政治家でした。
 その反動というか、民主党主流派の巻き返しにより、「リベラル派」のバラク・オバマ大統領が誕生したのですが、オバマさんの理想を実現するのは、なかなか難しいようです。
 僕は好きなんですけどね、オバマ大統領。
 この人も、15年くらいすれば、また違った評価のされかたをするのではなかろうか。


 いろいろスキャンダルはあったものの、ビル・クリントンは、総じて在任中もアメリカ国民に人気がありました。
 経済状況が良い、というだけでも、有権者というのは、けっこうおおらかになるものでしょうし、あの「不適正な関係」についてのスキャンダルについても、あまりに執拗に攻め、政局に利用しようとした共和党のほうが嫌われてしまってもいたのです。

 大統領とホワイト・ハウス実習生との不倫劇に対するアメリカ人の反応は千差万別であった。
 クリントンの支持率は、彼とルインスキーとの関係が取り沙汰されはじめた1998年1月の59%から2月1日には68%にまで上昇し、先述したように以後60%を下回ることはほとんどなかった。上院で弾劾に関する評決が行なわれようとしていた99年1月には、支持率は69%まで上がった。
 国民はむしろクリントンに擁護的で、スキャンダルを追及するケネス・スター独立検察官ら政敵やマスメディアに批判的であったと見ることもできよう。
 こうした人びとのなかには、たとえ大統領であっても公私の問題は厳格に区別されてしかるべきと考えた者もいれば、政治家としてのクリントンの手腕や経済実績に免じて、クリントンが引き起こしたスキャンダルをあえて不問に付した者もいた。


 僕が当時日本のニュースで感じていた「ビル・クリントンへの逆風」というのは、ちょっと偏った報道だったのかもしれません。
 

 著者は、ビル・クリントン大統領を、以下のように総括しています。

 クリントンは「ポスト冷戦のアメリカ」、「ポスト・リベラリズム民主党」を象徴する指導者である。
 クリントンはアメリカに経済的繁栄を取り戻し、劣勢に立たされていた民主党を再生させ、冷戦後に複雑化する世界状況に適した柔軟な外交政策をとり、後世にその名を残したといってよいだろう。
 試行錯誤を重ねながら、アメリカを新たな世紀へと導くことには成功した指導者としてのクリントンの姿は、継父の虐待から母弟を守りつつ、自らの人生をよりよいものとするために克己心・自立心を持って努力を続けた幼少期の姿と重なって見える。
 他者に対する共感性の高さ、ダメージを受けても即座に再生する強靭な回復力(レジリエンス)、逆境に耐えて好機を待つ忍耐力の強さ、難局に直面しても冷静さを失わず覚悟を決めて事に臨んだ胆力など、クリントンには人格的に優れた面が多かった。
「じっとしていられない男」——彼を知る人間が口をそろえて言うように、クリントンはエネルギーに満ちあふれていた。仕事に集中しているときは睡眠をとらなくても困ることがなかったという証言さえある。クリントンが「今夜、君に電話をかけるから」と部下に言うとき、真夜中を大分過ぎてから電話がかかってくることなど日常茶飯事であった。


 ああ、こういう人じゃないと、アメリカ合衆国の大統領というのは、務まらないのかもしれないな、そんなことを考えながら読みました。
 そもそも、ビル・クリントン政権の評価が最低であれば、ヒラリーさんが民主党の大統領候補に選ばれることはなかったはずですよね。
 正直、ちょっと誉めすぎなんじゃないか、と感じるところもあるのですが、「僕が知らなかったビル・クリントン」を教えてくれた、読み応えのある新書だと思います。

アクセスカウンター