琥珀色の戯言

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【読書感想】21世紀の戦争論 昭和史から考える ☆☆☆☆


Kindle版もあります。

内容紹介
いまこそ歴史を武器に変えるとき!


「歴史が人間によってつくられる限り、われわれはまた、同じような判断ミスを犯すだろうし、似たような組織をつくる」(半藤一利
「戦後70年が経って、戦争が遠くなったのではなく、新たな戦争が近づいていると感じています」(佐藤優


昭和史研究とインテリジェンスの第一人者が、731部隊ノモンハン事件、終戦工作、昭和陸海軍と日本の官僚機構・・・昭和史の中に組み込まれている悪の構造を顕在化させることに挑んだ。


目次
第一章  よみがえる七三一部隊の亡霊
第二章  「ノモンハン」の歴史的意味を問い直せ
第三章  戦争の終わり方は難しい
第四章  八月十五日は終戦ではない
第五章  昭和陸海軍と日本の官僚組織
第六章  第三次世界大戦はどこで始まるか
第七章  昭和史を武器に変える十四冊


 僕が生まれてから40年あまり、日本は直接他国と戦争をすることはありませんでした。
 太平洋戦争が終わってから、70年あまりの「戦争のない時代」を生きてこられたのは、僕にとって幸運だったよなあ、と思わずにはいられません。
 その一方で、「戦争がある時代」を生きたことがないので、「戦争は悲惨だった」というのを想像はできても実感しきれていないところはあるのです。


 この新書、昭和史研究の大家である半藤利一さんと、元外交官で作家として活躍されている佐藤優さんが「昭和の戦争」について語り合ったものです。
 

 佐藤優さんは、冒頭で、こう書かれています。

 現下の日本が抱えている構造的危機に私は既視感がある。政治エリートの疲弊、官僚制の機能不全で崩壊したソ連新自由主義の導入で格差が拡大し、貧困問題が深刻になった新生ロシアの出来事が、少しだけ形を変えて、日本にも現れているように思えてならないのである。
 歴史を振り返ってみるちお、昭和の前半は危機の時代だった。当時の日本人は危機を克服することに文字通り命懸けで取り組んだ。しかし、その結果、あの戦争が起きた。あの戦争に敗北し、日本は焦土になった。また、歴史上、初めて日本本土が外国軍隊によって占領されるという経験もした。戦後、二、三年で東西冷戦が激化し、日本は西側の一員となった。負け戦に対する総括が不十分なまま、あの戦争で活躍したエリートが戦後も日本の政治に表と裏の双方で影響を与え続けた。そのために、日本に破滅をもたらした因子が、温存されるようになってしまった。


 1945年8月15日を境に、日本はガラッと変わってしまったのだと、僕は思っていました。
 でも、実際は同じ人間が時局にあわせて行動を変えただけのことで、中身まで完全に別人になってしまったわけではないのです。
 たしかに、戦争の時代と、戦後の「平和な時代」は、断絶しているのではなくて、地続きなんですよね。
 日本の官僚機構やマスメディアの問題点は、敗戦を経ても、変わらなかった。
 日本の新聞には、当初「反戦」を訴えていたものが多かったそうなのですが、読者から反感を買い、「戦争推進」を掲げた新聞が爆発的に売れたため、「経営上の判断+読者のニーズに合わせて」変わっていったそうです。
「人間は、戦争とか事件とかスキャンダルが好き」なんですよね。
 しかも、なるべく異様で、面白おかしく解釈できたり、ドラマチックだったりするものが。
 オウム事件のときは、報道番組が軒並み高視聴率を記録し、週刊誌もバカ売れしていたそうです。


 この対談のなかで、太平洋戦争中に日本軍が細菌兵器を開発し、実際に使おうとしていたという話が出てきます。

半藤利一:貧すれば鈍するではありませんが、実は、硫黄島の戦いでも、細菌爆弾を無理矢理使おうとしたんです。硫黄島作戦の主任参謀が朝枝繁春でした。


佐藤優役者は決まっているわけですね。


半藤:たったひとつの資料しかありませんが、小出策郎という軍医中佐が、「細菌戦は道義に反し、科学に反する」と強く強く反対して、参謀本部が無謀にも硫黄島でやろうとしていた計画をつぶしたという話が残されています。私は、それについて本人に面と向かって確かめました。「朝枝さん、あなた、本当に硫黄島で使おうとしたんじゃないか。もうどうせ一億総玉砕なんだから、日本の国なんかもうなくなるんだから、かまうもんか。歴史が何だ、国際法が何だと、思ったんじゃないですか」。そう言ったら、黙って私の顔をにらんでいるだけで、ついにはっきりとした返事は聞けませんでした。


佐藤:不思議ですね。兵器はつくると使いたくなるものですよ。今まで兵器で実戦に一度も使われたことがないのは水爆だけです。あとはどんな兵器でも使っています。


「どうせこのままでは負けてしまうのだから」
「世界を認識している自分という存在が失われるのなら、人類がどうなろうが関係ない」
 そう考えるのであれば、細菌兵器でもなんでも、ダメもとで使ってやろうと考える人間が出てくるのは、全然おかしなことではないと思うのです。
 実際に、細菌兵器は中東の紛争でも使用されています。
 ちなみに、この細菌兵器というのは陶器製のツボが割れて、ペスト菌をばらまくというものだったらしいのですが、実際に有効だったかどうかはわからないそうです。
 試されなくてよかった、としか言いようがないのだけれど。
 この新書によると、昭和天皇は細菌兵器の使用に反対したらしく、それは「もうひとつの聖断」だったと半藤さんは仰っています。
 もしそこで日本が国際法を踏みにじっていたら、太平洋戦争中、戦後における連合国の日本への扱いは、もっと苛酷なものになり、それこそ「絶滅」させられていたかもしれない、と。
 これを読むと、本当に「ギリギリのところで、なんとか絶望を免れている」のだなと思う場面が少なからずあるんですよね。
 

 半藤さんは、外交における「思い込み」とか「ボタンのかけちがい」について、こんな話を紹介しています。

半藤:そうそう、もうひとつ大事な例がありますよ。日本が対米英蘭開戦を決意した「ハル・ノート」にあった「Chinaから撤兵せよ」という条件です。日米関係の緊張が最高潮に達していた昭和16年の11月26日(日本時間27日)、アメリカのハル国務長官から突きつけられた条件の中のひとつです。この「China」がどの範囲を指すのか、日本政府も軍部も当然、満州が含まれると思っていた。ところが、戦後になってアメリカから、「満州は含まれていなかった」という説が伝わってきたのです。それを聞いた開戦時の国務大臣・企画院総裁の鈴木貞一中将が、「そんなバカな! もしそうであったなら戦争に踏み切る必要はなかった」と天を仰いで言ったのを私ははっきり覚えています。アメリカは満州国を承認していなかった。それで当然のことに満州国は含まれていると、そう東条内閣は判断したというのです。言葉というものが、外交的に正しく判断できるかどうか、恐ろしい話ですね。


 佐藤さんは、日本が太平洋戦争に敗れた理由として、そもそもの戦力、資源の差とともに、「それまで手痛い敗戦の経験がなかったために、過去の成功体験にとらわれてしまっていたこと」を挙げています
 燃料が石炭から石油に代わり、戦艦の艦砲から航空戦力が重視されるようになるという変化に、日本はうまく適応できなかったのです。
 もっと戦艦を大きくして、相手の射程距離外から砲撃して沈めてしまえばいい、と大和・武蔵を建造したものの、完成したときには、もう「艦船どうしの砲撃戦」の時代ではありませんでした。

佐藤:私も、昭和の軍隊において致命的だったのは、日露戦争以降、本格的な戦争をしていなかったことだったと思いますが、特に重要なのは、手痛い敗戦、決定的な失敗の経験がなかったことです。これは海軍において、より顕著だったのではないでしょうか。日清戦争黄海海戦でも勝ったし、ロシアの艦隊も撃破した。アジアでは向かうところ敵なしだったから、反省する契機もなかった。人間、なかなか勝利からは学べません。失敗して初めて、それまでのやり方を一新するものでしょう。だから、後手後手の部分修正しか行えなかった。


 とはいえ、学ぶために戦争にわざと負ける、なんてことができるはずもありません。
 そもそも、あの戦争に負けたおかげで、今の日本があるのかもしれない、と現在の僕などは考えてしまうのですが、満州から命からがら引き揚げてきた人たちや南方で飢えや病や無謀な作戦に苦しんだ兵士たちの話をきくと、「負けていい戦争」なんて言っていられるのは、自分たちが「負けている現場」にいないからだよな、と感じます。
 戦争だって、「ある程度経験値を積まないと、強くはなれない」わけで、だからといって、スライムで経験値稼ぎ、っていうわけにもいかない。
 戦争なんてやらないのが一番いい、のは間違いないのだけれど、戦争がない時代がずっと続くという保証はどこにもない。
 でも、それに備えて兵器をつくれば、使ってみたくなるのが人の心というもので……


 正直、僕は運良くこの時代に生まれてきただけで、1945年8月6日に広島にいたら、そこにいる、というだけの理由で、原爆に焼かれてしまっていたでしょう。
 たぶん、いまこうして生きているというのは、ものすごく幸運なことなのでしょう。


 そして、半藤さんや佐藤さんのような「情報を分析する人たち」の話は面白いのだけれど、それと同時に「本当に戦争になったら、自分自身はどうなるのか?」を忘れないようにしなくては、と思うのです。

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