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【読書感想】最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常 ☆☆☆☆☆

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常

最後の秘境 東京藝大:天才たちのカオスな日常


Kindle版もあります。

最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―

最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常―

内容紹介
入試倍率は東大の3倍!
卒業後は行方不明多数!!
「芸術界の東大」の型破りな日常。


才能勝負の難関入試を突破した天才たちは、やはり只者ではなかった。
口笛で合格した世界チャンプがいると思えば、
ブラジャーを仮面に、ハートのニップレス姿で究極の美を追究する者あり。
お隣の上野動物園からペンギンを釣り上げたという伝説の猛者は実在するのか?
「芸術家の卵」たちの楽園に潜入、
全学科を完全踏破した前人未到の探訪記。


 僕は芸術系の大学に行ったこともなければ、知り合いもいません。
「芸大」のイメージといえば、漫画『ハチミツとクローバー』か、西原理恵子さんのエッセイで「とにかくお金がかかる」と書かれていたことくらい。
 正直、自分には縁のないところだと思っていました。
 音楽や美術には興味があるし、どんな人がああいう大学に行くのだろう、と疑問ではあったんですよね。
 とにかく入るのが難しい、とか、音楽系はずっと先生について受験対策をやらないと受からない、なんて話は聞いたことがあったので。

 こんなこともあった。
 ある日、僕は台所で缶詰めを見つけた。
「あれ、ツナ缶買ったの?」
 パッと見はツナ缶に思えたのだが、よく見ると覚えのないパッケージである。蓋は開いていて、白い繊維質のものがきっしりと詰まっていた。指で押してみると固い。一体なんだ、これは?
 本を読んでいた妻がこちらを見て言った。
「あ、それガスマスクよ」
「ガスマスク?」
「そ」
 ガスマスクを思い浮かべてほしい。口の先に丸いものがついているのがわかるだろうか。このツナ缶はあの丸い部分だそうだ。フィルターという毒を濾過するためのパーツで、一定期間で交換する。つまり僕が今、手にしているのはそのフィルターであり、中にはたっぷり漉し取られた毒が詰まっているだけだ。
 これはまずい。
 思わず手を離すと、ツナ缶状のフィルターは音を立てて落ち、かすかな埃が舞った。
「まだほとんど使ってないから大丈夫だよ!」
 妻は笑ってそれを拾い、「変な感触だよね」とフィルターを指でぷにぷに押す。やめろ、毒で死ぬぞ。そもそも台所に置かないでくれ。
「樹脂加工の授業で使うんだよ」
 妻はのほほんと言ってのける。彫刻科では木や金属、粘土の他に樹脂を扱う授業がある。樹脂加工の際には有毒ガスが発生するので、学生はみなガスマスクを購入するそうだ。
「こういうの、どこで買うの? やっぱりそういう専門店があるの?」
 妻は首を傾げた。
「ううん。生協」
 藝大の生協にはガスマスクが売っているのだ!
 聞けば他にも指揮棒などが売られているという。指揮棒が消耗品かどうかうら、僕は気にしたことがなかった。


 著者の二宮敦人さんの配偶者は、なんと、現役の東京藝大の彫刻科の学生なのだそうです。
 妻のさまざまな奇行(?)から、こういう人たちが集まっている大学って、どんなところなのだろう?と興味を持った著者は、東京藝大の全学部・学科の学生たちに取材をしていきます。
 この本の面白いところは、著者が「同じ学校の人の配偶者」であるために、学生たちが、けっこう胸襟を開いて、素顔を見せてくれているところじゃないかと思うのです。
 テレビや雑誌の「学校紹介」とは違う、よそ行きの顔ではない藝大の生徒たち。
 藝大といえば、浮世離れした人ばかりいるのではないか、とか、お嬢様、お坊ちゃんばかりなのではないか、とか考えてしまうのですが、実際はいろんな人がいて、同じ大学の学生でも、学部・学科によって、かなり色合いが違います。
 大まかにわけで、音楽系と美術系には、大きな違いがあるのだとか。

 音楽と美術の両方を擁しているのが藝大の特徴の一つでもある。
 実際にその境界線に立ってみると、不思議な感覚を覚える。
 行きかう人の見た目が、左右で全然違うのだ。
 音校に入っていく男性は爽やかな短髪にカジュアルなジャケット、たまにスーツ姿。女性はさらりとした黒髪をなびかせていたり、抜けるような白いワンピースにハイヒールだったりする。大きな楽器ケースを持っている学生もちらほら。みな姿勢が良く表情が明るいため、芸能人のようなオーラを放っている。バッハと同じ髪型の中年男性も見かけた。どうやら教授のようだが……。
 対して美校の学生たちは……ポニーテールの、髪留め周りだけ髪をピンクに染めている女性。真っ赤な唇、巨大な貝のイヤリング。モヒカン男。蛍光色のズボン。自己表現の意識をびりびりと感じさせる学生がいる一方で、まるで外見に気を遣っていないように見える学生も多い。ぼさぼさ頭で上下ジャージだったり、変なプリントがされたTシャツだったりが通り過ぎる。
 数分も眺めていれば、歩いてくる学生が音校と美校のどちらに入っていくか、わかるようになってくる。


 同じ「藝大」でも、こんなに違うものなんですね。
 音楽系では、学生たちが在学中から、さまざまなコンクールに出場したり、オーケストラに参加したりというような「競争」が激しい(この本を読むと、そのあまりにも「音楽漬け」の生活に圧倒されます)一方で、美術系はかなり自由な雰囲気のようです。
 ただし、それは美術系が「そう簡単に就職できるわけではないし、普通の会社に就職しようという気もない」人たちの集まりだから、というのもありそうです。
 音楽系には、ある程度「成功のロールモデル」があるけれど、美術系には、それがないんですよね。

 
 それにしても、藝大には、いろんな人がいるみたいです。

 ブラジャーを仮面のように顔につけ、唇と爪は赤く彩られ、上半身はトップレス。乳首の部分だけ赤いハートマークで隠し、下半身は黒いタイツで、その上にピンクのパンツをはいている——藝大の構内を歩いていると、そんな人に出くわすという。
「知ってる?」
「あ、ブラジャー・ウーマンさんでしょ? 知ってる知ってる!」
 妻が嬉しそうに教えてくれた。
「学校から帰る時とか、時々立ってるんだよ。芝生の上に。で、手を振ってくれるの。踊ってくれたり。もうみんなキャーキャー言ってるよ。こないだ、一緒に写真も撮ってもらった!」
「アイドルみたいな扱いなんだ」
「うん。人気者。凄いスタイルいいんだよ!」
 藝大の中であればそれくらいのことは起こり得るのだ。
 外だったら、職務質問はまちがいない。


 もし僕が通っていた大学に(といっても、通っていたのはもう20年くらい前なんですが)、ブラジャー・ウーマンがいたら、みんな、どんな反応を示すだろうか。
 少なくとも僕は、目を合わせないようにしつつ(も、身体はチラチラ観察し)、その場をそそくさと立ち去ると思います。
 同級生なら、「うーん、さすがに外でその格好は、マズいんじゃないかな……」くらいの苦言を呈するかもしれません。
 ところが、東京藝大では、そういう存在に対して、「公序良俗に反する」なんてことは言われないのです。
 こういうのは、さすが!と思うのと同時に、「アート」って、何なんだろうな、とも考えさせられるんですよね。
 この本では、「プラジャー・ウーマン」にも著者が直接話を聞いていて、ああ、アーティストっぽいな……と思いながら読みました。
 こういう「ナチュラル・ボーン・アーティスト」とみたいな人もいれば、「あれこれ考えたのだけれど、結局、他にやりたいこともなくて、東京藝大にまで来てしまった」という人もいる。
 むしろ、「他にやりたいこともないから」ということで、こんな難関をくぐってしまう人のほうが「普通じゃない」のかもしれませんが。

「油画専攻は、一学年55人ですよね。どんな雰囲気なんでしょう?」
「そうですね。いろんな人がいますけど、みんないい意味で干渉しすぎないんですよ。マイペースで。だから共存できてるんだと思います。大人の幼稚園、というか」
 立花さんの言葉に、自分をよく観察している人特有の謙虚さがにじむ。
「大人の幼稚園?」
「みんな好き勝手してるんですけど、ちゃんとルールは守ってるんです」
 改めて考えると凄い大学だ。
「特に油画は自由ですね。藝大で一番自由だって、みんなに言われます」
 絵画科油画専攻の大きな特徴の一つとして、油絵を描かなくてもいいという点がある。嘘みたいだが本当だ。油画専攻の展示などを見に行くと、油絵以外の展示物があまりに多くて驚いてしまう。
「基本、放任なんです。もちろん油絵も描きますけれど、彫刻をやってもいいし、映像をやってもいいし……何をやってもOKなんです」
 油画専攻の守備範囲は広い。授業では油絵の技法にとどまらず、壁画や版画、果ては現代アートや写真、彫刻にまで触れることができる。
 そうして一、二年で様々な表現方法に触れ、三年からは専門課程となり、自由に自分だけの世界を作り上げていくのだ。


 えっ、油画学科なのに、油絵を描かなくてもいいの?
 本当に「自由」な学校だな、と呆れるやら、感心するやら。
 でも、学校の作文で「好きなことを書いていい」と言われるとなかなか書き出すことができなかった僕は、「自分にとってのアートの定義」から見つけていかなければならない藝大の学生たちは、自由すぎて大変だろうなあ、とも想像してしまうのです。
 技術的に「絵や楽器が上手い」だけでは、抜きん出ることはできない世界で、他人と違うことをやろうとしても、大概のことは、もう誰かがやってしまっている。
 そして、「いかにも他人と違うことをやろうとしている人が、やりそうなこと」の泥沼にはまってしまう。
 

「アーティストとしてやっていけるのは、ほんの一握り、いや一つまみだよね」
 楽理科卒業生の柳澤佐和子さんが、あっさりと言った。
「他の人は卒業後、何をしているの?」
「半分くらいは行方不明よ」
「……え?」
「行方不明」
 まさかと思って調べたが、これがほぼ事実なのだ。
 平成27年度の進路状況には、卒業生486人のうち「進路未定・他」が225名とある。
 彼らは今、どうしているのだろう。フリーターになったり、旅人になったり、バイトをしながら作品制作を続けたり……と、いろいろなパターンがあるようだが、文字通り詳細は不明だった。


 門が狭いだけでなく、出口も狭い東京藝大。
 個人的には、「進路未定」の卒業生たちが、どんな「その後の人生」を送っているのか、なんだか気になります。


 東京藝大にはヘンな人たちがいる!というだけではなくて、大学生活とはどうあるべきなのか、アートとは何なのか、そんなことも考えさせられる(でも、読んでいてすごく楽しい)ノンフィクションです。
 たぶん藝大には縁がないであろう中高生にも、読んでみてもらいたいなあ。
 少し「人生観」みたいなものが広がると思うから。

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