琥珀色の戯言

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【読書感想】マイノリティーの拳: 世界チャンピオンの光と闇 ☆☆☆☆

マイノリティーの拳: 世界チャンピオンの光と闇 (新潮文庫)

マイノリティーの拳: 世界チャンピオンの光と闇 (新潮文庫)

内容(「BOOK」データベースより)
かつて拳で世界の頂点に立った黒人ボクサーたち。しかし引退後の人生は栄光ばかりではない。世界3階級制覇のバークレーは、いまだにリングに上がり、噛ませ犬を演じていた。ウィザスプーンは、家事と子育てに追われながら再起に挑んでいた。プロモーターやマッチメイクで選手生命が左右されるプロボクシング界の実態を明かし、チャンプたちとの魂の交流を描く力作ノンフィクション。


以前、この本の著者の林壮一さんが、アメリカのチャータースクールでの教員としての体験を書かれた『アメリカ下層教育現場』という新書を読みました。
それ以来、この人が書いたボクサーの本を読んでみたいな、と思っていたのです。
この『マイノリティーの拳』は、著者が実際に身近に接し、何度もインタビューをした、ボクシングの元世界チャンピオンたちを描いたノンフィクションなのです。

 世界の頂点に立ったファイター、トレーナーらと接しながら、アメリカでの暮らしは楽しくて仕方ないものとなった。あっという間に10年が過ぎた。
 しかし、その一方で哀しい現実も目の当たりにした。無敵と呼ばれたタイソンは、見る影も無いほどに朽ちていった。また、世界チャンピオンの座に就きながらも、決して幸せでない男たちを数多く見た。彼らは、ほとんどが黒人だった。
「STRUGGLE」
 チャンピオンたちとの関係を築きながら、私の頭には幾度となくこの言葉が浮かんできた。直訳すれば「もがく」という語である。彼らの生き方は、まさに「もがき」だった。その姿は日本人の元世界王者とは、異質のものだった。

 アメリカ国内で白い肌を持たない人間は、”マイノリティー”と呼ばれる。英和辞典には、「少数派」と記されているが、合衆国においてこの言葉は「社会的弱者」という意味も含まれる。
 重量級、とりわけヘビー級のチャンピオンは、まずマイノリティーである。いや、私が出会った世界チャンピオンたちは全員がマイノリティーだった。


僕はこの本を読んで、驚いてしまいました。
今回は文庫で読んだのですが、この作品が単行本で世に出たのは2006年です。
そんなに昔の話じゃない、はず。
ボクシングの世界チャンピオンといえば、マイノリティーのなかで、数少ない「当たりくじを引いた人たち」だと、僕は思っていました。
彼らは「夢」をつかんだ、成功者なのだ、と。
ところが、登場してくる「元世界チャンピオン」たちの多くは、経済的に困窮してボクシング意外のアルバイト的な仕事で生計を立てていたり、「昔の名前」でカムバックを繰り返し、全盛期を知る人々を失望させるような試合を続けたりしています。
チャンピオンになっても、プロモーターにファイトマネーをピンハネされたり、大金を手にすることができても、コントロールして使うことができずに、すぐに散財してしまったり。
マイク・タイソンの悪徳プロモーターとして有名なドン・キングの名前が何度も出てきますが、これがまあひどい。
有力プロモーターの配下にならなければ、タイトルに挑戦することはできないけれど、彼らの配下になれば、「金づる」として、酷使され、搾取されるのみ。
もちろん、チャンピオンになれないよりはマシなんでしょうけど……


今後のアメリカの人口動態予測では、白人よりも「マイノリティー」の数が多くなることが予想されています。
しかしながら、マイノリティ、とくにそのなかでも貧しい人たちが置かれている現実は、甘いものではありません。
名トレーナー、カス・ダマトを師とし、マイク・タイソンの兄弟子(ボクシングで、この表現が適切であるかはさておき)であるホセ・トーレスさんは、タイソンについてのこんなエピソートを語っています。

 1979年。引退から9年半が過ぎ、文壇や地域団体、ボクシング界で新たな力量を発揮していたトーレスに、恩師であるダマトが電話を掛けて来た。ダマトは弾んだ声で話した。
「ホセ、無限の可能性を秘めた少年と出会ったよ。近く私は、お前以来の世界王者を生み出すことになるだろう」
 トーレスがダマトから紹介されたのが、当時12歳のマイク・タイソンだった。
「最初に会った日は、はにかみ屋なんだな、という程度の印象だった。ゲットーで育った非行少年で、少年院を出たばかりということだったけれど、そんな話はボクシング界では珍しくない。私の周囲にいるチャンピオンたちも、およそ9割以上がゲットー出身者だ。赤貧生活で飢えを感じるなか、若い男の子は犯罪に手を染めるか、ボクシンググローブを嵌めるか、選択肢は二つしか無いんだよ。
 それでも話を聞いてみると、9歳から12歳までの3年足らずに51回も逮捕されたって言うんだ。ワイルドな子がいたもんだとビックリした。
 だが、ダマトの強い口調にトーレスも興味を惹かれる。70歳になるダマトが、これほど溌剌とした姿を見せるのは久しぶりのことだった。
「3ヵ月後に初めてタイソンのスパーリングを目にした。衝撃的だったねぇ。こんな子がいるのか、と思う程の逸材だった。信じられないパンチ力とスピード、これは間違いなくモノになる。モハメド・アリに匹敵する世界ヘビー級王者になるだろうって、確信した」


 12歳の頃からのタイソンの「凄さ」とともに、「犯罪か、ボクシングか」という、二つの選択肢しか目の前になく、「少年院なんて、珍しくない」というのが、当時の「マイノリティの世界」なのです。
(「当時の」と書いたのは、現状について、僕の知識が無いからです。すみません)


 ボクシングを選んで、ストイックに闘い続け、チャンピオンになった一握りの成功者のはずなのに……
 悠々自適どころか、お金や住居にも困るような「その後の人生」を送っている人も少なくない。
 彼らにボクシングを教える人がいても、「お金の管理の仕方」や「人生設計」を教えてくれる人は、ほとんどいなかったのです。
 いやまあ、「キッチリと資産を管理しながら闘うボクサー」なんていうのは、それはそれで、あまり「らしくない」感じでもありますが。


 この本のなかには、45歳で世界ヘビー級チャンピオンに返り咲いた伝説のボクサー、ジョージ・フォアマンも登場します。
「老いることは、恥ではない」という彼の言葉とファイティングスピリットは、当時の彼の年齢に近づいてしまった僕にとって、何度思い返しても胸が熱くなります。
 そのフォアマンの話。

 中学生時代のフォアマンは、学校をエスケイプしては二度寝を繰り返していたそうだ。これまでのインタビューで彼が語った言葉が思い出された。
「幼い頃は夢も希望も無く、空漠たる思いを抱えながら生きていた。とにかく学校が嫌いでね。母が仕事に行く時間を見計らっては授業を抜け出し、家に戻って寝ていた。ある時、従姉に見付かってしまってさ、決まり悪くなって『忘れ物を取りに来たんだ』って言い訳したんだ。すると、彼女は見透かしたように吐き捨てた。『気にしなくていいわ、寝てなさいよ。アンタはどうせ何者にもなれっこない。何もできない人間なんだから』って。それを聞いて、何かに打ち込んでみたいと心底思った。でも、本当に何も無かったんだ」
 この従姉の一言こそ、フォアマンの原点だったのかもしれない。

 
 伝説のチャンピオンも、「どうせ何者にもなれっこない中学生」だったのです。
 人の才能なんて、そんなに大きな違いはないかもしれない。
 可能性は、けっして「ゼロ」ではないのかもしれない。


 元世界チャンピオンでさえも、けっしてラクではない現状を紹介しながらも、著者は、彼らの「もがき」に「ネバー・ギブアップ」の精神を見ているように感じました。
 状況は、厳しい。
 でも、不格好でも、生きていくことには、なんらかのメッセージがある。


 著者は、「エピローグ」で、名ボクサー、マーベラス・マービン・ハグラーのこんな言葉を紹介しています。

「諦めずに自らの目標に向かって努力していたら、いつか何かが起こるもんさ。昔、トレーナーに言われたよ。『お前がキューキュー軋む音を立てて車を走らせていたら、きっと誰かがオイルを入れに助けに来てくれる。人生とは、そういうもんだ』って。
 本当にそうさ。でも、いい車を待つだけで、何もしない者のところに幸せは来ない。ボクシングは私に人生を与えてくれた。ある意味で教師だな。人間はどうあるべきか、精神とは如何なるものか、全てを教わったね」


 これまで、ボクシングにはほとんど興味がなかった僕ですが、この本を読んで、ボクシングというものを、あらためて観てみたくなりました。


参考リンク:【読書感想】アメリカ下層教育現場(琥珀色の戯言)


アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)


Kindle版もあります。

アメリカ下層教育現場 (光文社新書)

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