琥珀色の戯言

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【読書感想】ヨシダ、裸でアフリカをゆく ☆☆☆☆

ヨシダ,裸でアフリカをゆく

ヨシダ,裸でアフリカをゆく


Kindle版もあります。

ヨシダ、裸でアフリカをゆく (扶桑社BOOKS)

ヨシダ、裸でアフリカをゆく (扶桑社BOOKS)

内容紹介
2009年11月、エチオピアを訪ねて以来、アフリカ16か国で少数民族を撮り続けた“裸の美人フォトグラファー"ヨシダナギの全記録。
「相手と同じ格好をすれば、ぜったい仲良くなれる」とずっと思っていたヨシダナギ。
彼女が裸族の前で裸になると、いままでになかった歓迎の舞が始まった――。
そんな彼女が大好きなアフリカとぶつかったり、爆笑したり、泣きわめいたクレイジーな紀行が、豊富なビジュアルとともに描かれた一冊です。


 「裸で撮る写真家」ヨシダナギさん。
 なんというか、この「裸で」のインパクトが強くて、どんな人なんだろう、と写真よりもヨシダさんにばかり興味が向いてしまうのです。
 この本は、ヨシダさんがテレビなどで採りあげられて有名になる前から書いていたブログを書籍化したものなのですが、笑える、あるいは呆気にとられるようなネタ満載で、写真だけではなくて、文章の才能にも驚かされます。
 いや、そんな深刻なものじゃなくて、「なんかちょっと懐かしいテキストサイトのネタを、体を張ってつくっている人」と言ったほうが良いのかな。

 私がアフリカ人(とくに少数民族)に興味を持つキッカケとなったのは、5歳のときにテレビで見たマサイ族だった。当時の私は、自分が日本人だということも知らなければ、マサイ族が遠く離れた国の人たちだなんて思ってもいなかった。ただ純粋に、原色の民族衣装を着こなすキレイな黒い肌の彼らが、すさまじくカッコよく見えた。
(こんなカッコイイ格好してヤリを持ってとび跳ねる仕事なんて、超カッコイイ!)
(将来、この人たちと同じ格好してヤリ持ってとび跳ねて暮らすんだ)
 そんな感じで、私はマサイ族というものが職業のひとつだと思っていて、いつか大きくなったら、区役所の人間が肌の色を変えられるボタンでも持って訪問してくるものだと勝手に思い込んでは、その日をまだかまだかと待ちこがれていた。


 そんなヨシダさんも、10歳のころ、お母さんに「あなたは、ああいうふうにはなれないの!」と言われて「現実を突きつけられた」そうなのですが、その後もアフリカの少数民族への思いは、ずっと変わらなかったのです。
 2009年にエチオピアに行ったのが、ヨシダさんのはじめてのアフリカ訪問となりました。

 期待していた木曜市に着いた瞬間、私はがく然とした。
(ダメだ、人が多過ぎる……)
 日本でひきこもりの生活を送っていた私は、人があまり得意ではない。人ごみなんて、もっとのほかだ。吐き気がする。初めて見る少数民族に感動するはずが、あまりの人の多さにまさかのめまいがした。そんな気分が最悪の中、突然、スッと誰かに手を摑まれた.手元を見ると、現地の小さな女の子だった。
(どうしよう……私、子供苦手なんだよな……)
 私は人付き合いが苦手だ。それ以上に、苦手としているものが”子供”だった。自慢じゃないが、これまでの人生で一度たりとも子供を見てかわいいと思ったことがない。だから親戚の子供だろうと、抱っこしたこともない。そんな母性本能が欠落している私は、女の子に突然手を握られても、どうしたらわからず動揺してしまった。


 ヨシダさんというのは、すごく不思議な人だなあ、と思うのです。
 なぜ、ひきこもり気質なのに、アフリカまで行って、写真を撮ろうとしたのだろう……
 しかも、ヨシダさんの写真って、風景写真じゃなくて、人間を撮ったものが多いのに。
 そして、自ら裸になって、同じ民族衣装を着てまで、裸族と同じ目線になろうとしていたのに。


 子供嫌いについては、このエチオピアで体験したことで払拭できたようなのですが、なんというか、極端にしか生きられないタイプの人なのかな、なんて考えてしまいました。
 「裸のつきあい」って言うけれど、本当にそこまでやってしまうのは、ある意味「適切な距離感を保つ」みたいなのが苦手で、離れるかものすごく近づく、というやりかたしかできないからなのかな、って。


 この本のなかには、アフリカの人々が、自分たちの肌の色に対して抱いているコンプレックスをヨシダさんに打ち明けているところや、かなりいいかげんでめんどくさい現地ガイド、そして、親切な市井の人々など、アフリカのさまざまな面が書かれています。
 「アフリカの問題」を深刻に受け止め、解決しようとしている人、あるいは、なんらかの援助をするために来ている人、商売をしようとしている人とは別の「アフリカのファン」というのは、現地の人々にとっては、けっこう珍しい存在なのかもしれません。


 それにしても、ヨシダさんの突き抜けたときの行動力はすごい。
 本当に「ひきこもり」だったのだろうか。いや、元ひきこもりだからこその無謀さ、なのかな……

 そんな私の食いっぷりを見ていた他のテーブルのお客さんたちが「コッチには生のラクダ肉があるぞ! 食ってみるか?」と、誘ってくれた。生肉は大好きだ。迷わず「食べるー!」と答え、そのテーブルまですっ飛んでいった。


 ラクダの生肉、超うめーーーーーっ!!


 へたしたら、今まで食べた肉の中でも一番うまい! たとえるならば、臭みとクセのない甘みのあるレバーような感じ。私は自分でもラクダの生肉をひと皿オーダーして、ペロリとたいらげた。もちろん、そのあいだ、ベイユーの顔は怖くて見ることができなかった。


 その翌日、お腹をめちゃくちゃくだした。


 そりゃ、そうなるだろー!
 と僕は読みながらツッコミを入れていたのですが、それでもヨシダさんは「あー、お腹こわしてもいいから、またラクダの生肉食べたーい!」とめげていないのです。
 

 そんなヨシダさんも、アフリカのさまざまな国を訪問しつづけるうちに、「迷い」を感じるようになったことがあったそうです。

 今回、私がウガンダに滞在した3週間のあいだに、いったい何人の人が死んでいっただろうか。死に対して免疫力のない私は、そんな知らせを聞くたびに落ち込んだし、人が死んでも翌日にはケロッと笑っている彼らにもついていけず、何度も気が滅入りそうになった。そんな状況で、アフリカ特有の理不尽さに直面した。これはウガンダにかぎらずだが、ときとして、アフリカ人は矛盾したことを言う(※もちろんすべてのアフリカ人ではない)
 彼らは「お金がないから私たちに仕事をくれないか」と言うのだが、実際に仕事をつくって渡したとしても、あまり真面目に仕事をしない。”もっと楽な仕事ないの?”と、すぐに放り投げてしまうのだ。けっして難しい仕事ではないはずなのだが、商品やサービスを売る場合には一定のクオリティを保たなきゃいけないという前提が理解できず、「コレと同じモノを作ってね」と言っても、まったく異なるものを平気で出してくる。
「コレじゃダメなんだよ」と言っても「何が違うかわからない」と、逆ギレして仕事を放り出してしまう。しまいには「なんで6時間も8時間も拘束されて働かなきゃいけないの? だったらカラダ売ったほうがマシ」と言って、また売春に戻ってしまったりするのだ。
 そして、貧しいエリアには某ボランティア団体が支援物資を送っているのだが、現地の人は完全に支援慣れしてしまっていて、支援物資がせっかく届いても「また物かよ。金持って来いよ、金」といった感じである。なんか、すごく違う気がした。
 これまでも、こういったアフリカのネガティヴな面はチラホラと見えていたのだが、私は意識的に目をそらしてアッパーで面白いアフリカだけ見ようとしていた。ただ、このウガンダで目を背けたかったはずのものと向き合わなきゃいけないときが、とうとう私にも来て、キャパオーバーになってしまった。
 正直、見たくなかった。アフリカ人とどう接したらいいのかわからなくなってしまった。


 怠惰だ、というのは、おそらく「こちら側の常識」でしかないんですよね。
 でも、理屈ではわかっても、実際にそういう彼らと接していると、自分が「日本人」であることからは逃げられないとも思う。
 その一方で、ヨシダさんは、「アフリカ」のほんの一部で起こっていることが大きく採りあげられて「アフリカは危険なところ」だと言われてしまうことに疑念を呈しておられます。
 お金がなくたって、幸せな人だって、たくさんいるのに、と。


 ヨシダナギさんあるいはアフリカに興味がある人、そして、ちょっと懐かしいテキストサイトっぽい雰囲気に浸りたい人には、オススメです。


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