琥珀色の戯言

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【読書感想】東京都三多摩原人 ☆☆☆☆

東京都三多摩原人

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Kindle版もあります。

東京都三多摩原人

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内容紹介
歩くことは、思い出すこと。
孤独のグルメ』などで人気のマンガ原作者が、地元・東京三多摩地方を40年ぶりに散歩。歩きながら、思いは野性味あふれる少年時代にタイムスリップ。母が作るせりそばやぬか漬けなど、少年時代のささやかながら豊かな食生活は、著者の作品の原点を垣間見せる。実弟・久住卓也のイラストもノスタルジーあふれる、街歩き&自伝的エッセイ。


 久住昌之さんは、『孤独のグルメ』をはじめとするマンガの原作者として知られています。
 僕の久住さんに対するイメージは、テレビ東京のドラマ『孤独のグルメ』の最後、番組内に登場してくる店に久住さんが自ら訪問し、料理に舌鼓を打っている姿が多くを占めています。
 あの時間に、「ちょっと失礼して」と言いつつ、うまそうにビールを飲む久住さんの姿は「飯テロ」と呼ぶにふさわしい。うらやましいなあ、もう。
 とりあえず、『孤独のグルメ』を観て、「これ食べたいなあ」と思えるうちは、僕の胃もまだ「現役」なのではないか、と、何となく安心するとこともあるのです。


 この本は、その久住さんが書いた、自らのルーツであり、現在も住み続けている東京の「三多摩」地方についてのエッセイです。
 有名作家の旅行記というのは珍しくないのですが、ここまで「地元」に根ざし、自分のルーツを掘り下げていくエッセイというのは、けっこう稀少です。
 僕はずっと西日本から九州地方に住んでいて、東京にはまったく土地勘がなく、「東京や三多摩のことを知っていたら、このエッセイ集、もっと面白く読めるんだろうけど」と、ちょっと残念でもあります。

三多摩」という名称は、東京以外の人にはほとんど通じないというのを知ったのは最近だ。
 三多摩とは、東京都の、二十三区と島嶼(とうしょ)部(伊豆七島小笠原諸島も東京都)を除いた市町村部分のことだ。かつての北多摩郡西多摩郡南多摩郡だ。北多摩郡南多摩郡はすでに消滅し、地名として今残っているのは、西多摩郡のみ。
 ボクは三鷹で生まれ育った。かつての北多摩郡三鷹村だ。小学校の頃、郡はもうなかったが、スポーツなどで「三多摩大会」「三多摩地区予選」があったりして、自分たちは東京都の三多摩に属しているという意識が植えつけられていた。今は変わったが、ボクらの時代、都立高校受験は学区制が厳しく、自宅の学区以外の高校を越境受験することができなかった。ボクは七・八・九学区だった(それでひとかたまりとされた)、それはつまり三多摩だった。


 こういうのはまさに「わかる人にはわかる」のではないかと思います。
 僕には残念ながら、実感できないのですけど。
 「三多摩」に縁がある人にとっては、昔のアルバムみたいなエッセイじゃないのかな。

 よみうりランドは、かなり初期から行っていた。アトラクションが今の三分の一くらいしか無かった。水族館のシーラカンスの標本が売りだった。「生きた化石」と書いてあったが、完全に死んでるじゃあいか、と思った。「人魚」マナティも売りだった。人魚と似ても似つかない。水面に浮いたキャベツやニンジンをがぼじゃぼ食べていた。あとは長いゴーカートとごく小さなジェットコースター。
「でっかい(流れる)プール」は後から鳴り物入りで登場したように記憶する。たしかに大きな楕円のプールだったが、大人気で混雑して泳げたものではなかった。人間の頭が縁日のスーパーボールすくいのように、ゴチャゴチャゆっくり流されていた。
 エアマットを借り、それにしがみついて、人にぶつかりまくりながら、ただ流されて一日終わった。何が面白かったのだろう。父は、どういう気持ちだったんだろう?
 たしかに父の車(マツダファミリアのグレーの中古。子供心にかっこ悪くてキライだった)で行ったのに、父親とのプールの思い出なんかひとつもない。ボクと弟に遊ばせておいて、どっかでタバコでも吸っていたのかもしれない。
 サマーランドは、近所の子供たちと、その母親たちで行った。母親たちはなんか涼しいところで飲み食いして世間話をしていた。
 時間になると放送があって、扇形(だった気がする)のプールの狭い方から人工の波が出てくる。これがだんだん高くなって、頭も越えるので、深い方に行くとかなりスリルがあった。もうキャーキャーギャーギャー大騒ぎだった。今思うと暴力的な、力任せの波だった。野蛮なプールだった。お洒落さ、ゼロ。


 僕は「よみうりランド」に行ったことはないのですが、これを読んでいると、子供時代のプールの思い出が蘇ってきます。
 「あれは何が面白かったのだろう。父は、どういう気持ちだったんだろう?」って。
 泳ぐのがそんなに好きじゃなかった僕は、親に対して「家族サービスさせてやっている」という気分だったんですよね。
 親に付き合ってあげているのに、父親はいつのまにかいなくなっている。
 今の世の中だったら、そんな「育児にコミットしない父親」って大バッシングされそうなものだけれど、いまから40年前くらいの「昭和の父親」って、どこもこんな感じで、みんなそれが当たり前だと思っていたのです。
 時代が変わると、「家族観」も変わっていくのだよなあ。


 もちろん、「食」についての話も、いろいろと出てきます。
 西武新宿線田無駅の近くの「昔からやっていそうなラーメン屋・中華五十番」について。

 ラーメンが来た。龍の描かれた丼に入った、ごくごく普通の醤油ラーメン。具はホウレン草、海苔、ナルト、チャーシュー、刻みネギ。正しい昔ラーメン。おっと、シナチクが入っていない。むしろこの手で珍しい。全然オッケー。テーブルに置かれた瞬間、昔のラーメンの香りがする。こういうのていいじゃん。汁をレンゲですくって啜り、麺をズズッと吸う。おいしい。どうおいしいか、説明するのが馬鹿馬鹿しい。こういうのが好きなんだ。
 ま、「昔の味」を言い出したら、もう歳だということだ。


 この480円のラーメン、なんだかとてもおいしそうなんですよ。
 そして、僕にとっても、子供の頃の「普通のラーメン」って、こんな感じだったよなあ、って。
 久住さんは、ラーメンの現状について、こんな話をされています。

 ラーメンがもっと軽食だった時代。出汁がなんで、麺がどうだの、無化調だの、そんなこと誰も言わなかった。並んで食うものではなかった。何だろう今のラーメン好きや、新しい若いラーメン屋の、ヒステリックなほどの蘊蓄、こだわり、固執、奇想、苦行、強制……。

 ああ、その気持ち、わかります。
 その一方で、僕は今の「こだわりのラーメン」も好きなんですけどね。
 ただ、もっと気軽に食べられる「普通のラーメン」で良いのにな、と思うことは多いのです。
 「有名なラーメン」は、値段もけっこう高くなりがちだし。


 ここまで、「地元」や「昔の記憶」にこだわったエッセイというのは、なかなか無いと思うんですよ。
 そして、自分自身のことをひたすら深く掘り下げていくと、中途半端に「みんなにわかるように、客観的に」書こうとするよりもずっと、「みんなに共通するもの」にたどり着くものなのだな、と感慨深いものがありました。
 僕は「転勤族」で、地元を持たない人間なので、久住さんが羨ましい。
 マイルドヤンキー、なんていう言葉を使う人もいるけれど、ずっと地元で生きていくのって、けっして悪いことではないんだよなあ。


孤独のグルメ【新装版】 (SPA!コミックス)

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孤独のグルメ2

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