琥珀色の戯言

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【読書感想】チェ・ゲバラ - 旅、キューバ革命、ボリビア ☆☆☆☆

内容(「BOOK」データベースより)
1928年、アルゼンチンに生まれた革命家チェ・ゲバラ。医学生時代にラテンアメリカを旅し、貧富の格差や米国支配の問題に目覚める。カストロ兄弟と共にゲリラ戦で活躍し、59年のキューバ革命政権樹立に貢献。要職を歴任するものの、思いは全ラテンアメリカでの革命推進にあった。再び戦地に赴くチェ。だが前哨戦のコンゴ、続くボリビアで過酷な現実に直面し…。彼の遺した膨大な文章と関係者への取材から実像に迫る。


 僕はずっと、チェ・ゲバラという人の「ファン」ではあるのです。
 自分自身は、「革命」なんてことはできないけれど、世の中に、こういう鮮烈な生きかたをして、最期まで自分を曲げなかった人がいるというのは、すごいよなあ、と。
 その一方で、彼の後半生、とくにコンゴやボリビアでの挫折については、「どうしてこんな無謀な戦いに、駆り立てられていったのだろう? 平和な時代は、退屈すぎて、生きられない人ではなかったのか?」などと、考え込んでしまうのです。


 この新書は、長年ラテンアメリカを取材してきたジャーナリストによって書かれたものなのですが、これまでの「チェ・ゲバラ伝」と比べると、比較的冷静に「チェ・ゲバラ」という人物を描いていると感じました。
 チェ・ゲバラについて語る人の多くは、彼の熱烈なファンだろうと思われるのですが、著者は、チェ・ゲバラを「偶像視」せずに、その長所と同じくらい、問題点も指摘しているのです。
 まあしかし、矛盾の人ではありますよね、チェ・ゲバラ
 権力の座にずっと留まろうともしなかったし、贅沢な生活を送ることもなかった。
 「恋と革命」に明け暮れ、結婚していながらも、妻以外の女性とも関係し、子供も生ませています(チェは認知せず)。その婚外子が、「英雄」に対して、醒めた目でみている、というような記述もあって、人っていうのは、ややこしいものだな、と。
 この新書のなかで、カストロ兄弟とのゲリラ活動の初期の頃、スパイであることがわかった農民を処刑する際に、他の兵士たちが二の足を踏んでいるなか、ゲバラは自ら彼らを森に連れていって処刑したという話が出てきます。
 その一方で、医師免許をもっていたゲバラは、戦場では負傷した兵士を敵味方関係なく治療し、傷ついた動物の治療まで行っていたそうです。
 キューバでの革命の際、チェ・ゲバラは、インタビューでこんな話をしていたそうです。

 チェは要塞で内外の新聞やテレビ局の取材攻勢に遭った。共産主義者呼ばわりに対しては、「従属を拒む者を一緒くたに共産主義者呼ばわりするのは独裁の古い手口だ。<7月26日運動>は民主運動だ」と明確に反撃した。チェは語る。
「私は言われているような人間ではなく、自由を愛する者にすぎない。私は医者としてキューバに来た。この国に悪性腫瘍があったから、その除去を手伝ったまでだ。キューバ人への連帯を義務として戦った。外科用のメスと聴診器は手放した。一国民の心臓の鼓動を刷るのに聴診器は不要だ。この革命戦争では農民、労働者、知識人で構成する部隊が正規軍を撃破した。独裁者相手の戦闘で得た重要な事実だ」
 次の目的地を訊かれると、「革命に祖国はない。ニカラグアドミニカ共和国パラグアイだろうか。もしブラジルが私を必要とするなら招いてほしい。ポルトガル語を学ぶから」と応じた。チェの傍らにいたアレイダは身分を訊ねられると、「戦士だ」と答えた。


 昔読んだ、手塚治虫先生の『ブラック・ジャック』に、「ぼくは地球を治す医者になるんだ」と言っていた、ブラック・ジャックの幼少時の友人のエピソードがありました。
 医師免許を持っていた手塚先生も、チェ・ゲバラという「時代の寵児」の影響を受けていたのかもしれません。


 この新書で、チェ・ゲバラの人生を振り返ってみると、彼はあまりにも勤勉な人間であり、なぜ他者がそこまで怠惰なのか、最後まで理解しようとしなかったのではないか、という気がします。
 チェ・ゲバラがやろうとしたことは、間違ってはいない。
 でも、「ずっとゲリラであり続ける」なんてことができる人間は、ごくひとにぎりでしょう。
 権力者を倒せれば、自分も「甘い汁」を少しくらいは吸うか、平和な暮らしを求めるのが「普通の人間」ではないかと思います。
 チェ・ゲバラは「そういう人間」ではなかった。
 この新書を読んでいると、フィデル・カストロも、チェ・ゲバラも、革命が成功するまでは「共産主義者」ではなかったのです。
 「独裁者打倒(あるいは、貧富の格差の是正)」を求めて「民主化運動」を行っていたのに、アメリカへの対抗の必要から、社会主義諸国に接近せざるをえなくなってしまった。
 もうちょっと、アメリカとうまくやっていく道も、あったのではないか、とも思います。
 あえてそうしなかったのが、チェ・ゲバラという人の「らしさ」ではあるのだけれども。

 最大の反革命勢力は、マッカーシズムの暴風が吹き荒れ自由が蹂躙されてから4年しか経っていない反共の本山、米国だった。米メディアは処刑のニュースに飛びつき、「革命政権の残酷さ」を喧伝していた。フィデルは1月下旬、対抗措置として「真実報道作戦」に着手し、ラテンアメリカ諸国のメディアをハバナに招いた。
 フィデルは、政府のバルコニーにチェ、カミーロ、ウルティーアを従えて立ち、二時間演説した。「米国は広島、長崎に原爆を投下し30万人を殺した。我々は違う。戦犯裁判に賛成ならば挙手せよ。銃殺に賛成ならば挙手せよ」。群衆は熱狂的に挙手した。記者団はこの光景に圧倒された。


 「日本が米国に言うことができなかった、原爆投下という戦争犯罪」を、容赦なく指摘し(のちにチェ・ゲバラは訪日した際に、広島を訪れてもいます)、米国を糾弾してくれたことに、僕は痛快さを禁じ得ないのです。
 しかし、政治とか経済という面を考えると、キューバはイバラの道を歩むことになりました。
 共産主義国のなかでも、ソ連と中国の対立があったりして、キューバの舵取りは困難きわめます。
 結局、フィデルを中心としたキューバ政府は、ソ連をも容赦なく批判するチェ・ゲバラが煙たくなってしまって、彼を「新たな革命闘争」へ向かわせました。


 米国人作家でジャーナリストのIF・ストーンさんは、チェ・ゲバラキューバを去ったことについて、こう指摘しています。

「私は驚かなかった。彼は常に革命家だった。彼の味覚にとって、キューバさえも味気なくなっていたのだろう。革命は権力を握ったことで(道徳的な)罪に陥ったのだろう。無垢な価値が徐々に荒廃していったことにチェは我慢がなあなかった、と容易に想像できる。彼はキューバ人ではなかったため、ラテンアメリカの中で一国だけ米帝国主義から解放されたことに満足できなかった。彼は大陸規模で考えていた」


 しかし、「革命は権力を握ったことによって、罪に陥る」のであれば、革命とは何なのか?
 志半ばで失敗するか、成功しても、成功したことそのものによって、「革命的」ではなくなるか。
 チェ・ゲバラボリビアでの死について、まだ39歳だったのに……と僕は思っていたのだけれど、結局のところ、チェ・ゲバラには「ゲリラとして死ぬか、粛清されるか」の2つの選択肢しかなかったのかもしれません。


 コンゴやボリビアでのチェ・ゲバラは「キューバで成功したやりかた」にこだわるあまり、その土地の特徴にうまく適応しきれていなかったし、何よりも、アメリカの力を侮り、自らの「神通力」みたいなものを過信していたようにみえるのです。
 キューバ革命では、カストロ兄弟と指導者としての役割を分担できていたのだけれども、コンゴやキューバでは、すべての責任をひとりで背負ってしまった。
 それでも、少人数で、よくここまで信念に基づいて戦えたものだ、と感心してしまうんですよね。
 圧倒的に不利な状況下でも、希望を捨てずに。
 もしかしたら、「戦場で倒れること」そのものが、チェ・ゲバラの最後の「希望」だったのだろうか。

 チェは、物質的刺激をやむをえず用いる場合は副次的なものに留まるとし、あくまで社会主義的情熱が基本だと主張した。物質的刺激が盛んになれば革命的情熱は薄れ、資本制復活につながると危惧し、その兆しをソ連・東欧圏に垣間見ていた。
 チェの情熱高揚策には、遅刻、欠勤、生産の質と量などを採点基準とする「社会主義競争運動」があった。優勝者は「前衛労働者」として表彰される。ずば抜けた生産性を挙げた者には観光地での休暇一週間、社会主義国訪問旅行などの褒美が与えられる。労働の喜びが生産性向上を生むと信じるチェは、ノルマを超えた労働者には報奨金を賃金に上乗せするのではなく、労働者を技術者に昇進させるため勉強させるべきだと主張した。
 これに対してCR・ロドリゲスは、「ノルマを超えた部分に報奨金を与えてもよいのではないか。さもないと労働が意味を失う。ノルマの範囲でしか働けなくなる」と反論した。


 チェ・ゲバラは本当に優れた人だと思います。
 ただ、それだけに、あまりに理想を追いすぎてしまったのかもしれません。
 歴史上の人物として仰ぎ見るチェ・ゲバラは、たまらなく魅力的な人物だけれど、実際に彼のもとで働くのは、かなりキツかったのではなかろうか。
 多くの人の「革命的情熱」なんて、そんなに長い時間、持続するものではないのだから。


 チェ・ゲバラというカリスマの人生を、かなり冷徹に追った新書だと思います。


 チェ・ゲバラという人は、死に場所をずっと探していたのかな、それとも、死を口にしながらも「自分は何か大きな力に護られていて、死なないのではないか」と内心では信じていたのだろうか……