琥珀色の戯言

【読書感想】と【映画感想】のブログです。

【読書感想】ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る ☆☆☆☆


ルポ 消えた子どもたち―虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書 476)

ルポ 消えた子どもたち―虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書 476)


Kindle版もあります。

ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書)

ルポ 消えた子どもたち 虐待・監禁の深層に迫る (NHK出版新書)

内容紹介
役所や学校、地域も見逃していた 虐待の衝撃的事実!


18歳まで自宅監禁されていた少女、車内に放置されミイラ化していた男の子─。虐待、貧困、保護者の精神疾患等によって監禁や路上・車上生活を余儀なくされ社会から「消えた」子どもたち。全国初の大規模アンケート調査で明らかになった千人超の実態を伝えると共に、当事者23人の証言から悲劇を防ぐ方途を探る。2014年12月に放送され大きな反響を呼んだ番組取材をもとに、大幅に加筆。


[内容]
はじめに──なぜ「消えた子どもたち」は放置されるのか
第一章 一八歳まで監禁されていた少女
第二章 「消えた子ども」一〇〇〇人超の衝撃
第三章 貧困のせいで子どもがホームレス、犯罪に
第四章 精神疾患の親を世話して
第五章 消えた子どもたちの「その後」
第六章 自ら命を絶った「元少女
第七章 「消えた子ども」の親の告白
エピローグ もう一度、前を向いて
おわりに──「消えていた」子どもたちが問いかけたもの
虐待が疑われる事案の通報先

 なぜ、「虐待」は繰り返されるのか?
 著者は、「消えた子ども」についての番組をつくるきっかけは、2014年の5月に報じられた、あるニュースだったと述べています。

 2014年5月末の土曜日、自宅で夕食の準備をしていた私は、流れてきたテレビのニュースに、手が止まった。
「神奈川県厚木市のアパートで、5歳くらいの男の子と見られる白骨化した遺体が見つかりました。死後七年以上も放置されていたと見られています」
 中学校に入学する年になっても所在が確認できないため、児童相談所が警察に連絡をして発見されたという。市の教育委員会は、男の子は転居したと判断して十分な対応をしていなかった。その間、男の子はごみの散乱した部屋で、たったひとり、衰弱して死んでいった。
 一体、どうしてこんなことが起きるのか。全ての子どもに教育を受けさせることが義務づけられている日本で、学校に一日も通ってこない子どもがいるのに、なぜ七年以上も見つけてあげられなかったのか。いてもたってもいられなくなって同僚の記者にメールをすると、彼女も同じ思いでニュースを見ていた。極めて素朴な疑問から取材はスタートした。
 調べてみると、過去にも驚くような事件が起きていたことがわかった。
 2004年には大阪・岸和田市で中学三年生の長男に繰り返し暴行を加え、三ヶ月間ほとんど食事を与えていなかった父親らが逮捕。長男は一年余りにわたって学校に通わせてもらえなかった。2005年、福岡市では、幼いころから母親に家に閉じ込められ小学校にも中学校にも一日も通えず、18歳で自ら逃げ出して保護された女性がいた。さらに2008年には札幌市で21歳の女性が小学生のときから8年余りにわたって自宅で軟禁状態に置かれていたことがわかった。学校は不登校ととらえていたという。こうした事件が発覚したあとには、きまって関係機関が集まって会議をして「再発防止」がうたわれる。しかし、結局、同じことが繰り返している。


 5歳の男の子が亡くなっていたということだけでなく、その遺体が、7年以上も誰からも顧みられることもなく放置されていたということに、僕も衝撃を受けた記憶があります。
 5歳というのは、うちの長男と同じくらいの年齢でしたし。
 保護者に問題があったとしても、親戚とか、幼稚園・保育園の先生とか、近所の人とか、行政の人とか、誰か、気づいてあげられなかったのか……

「ピーッ」
 電子音とともに、ファックスがガタガタと動き出した。
 2014年10月。渋谷のNHK放送センターに設けられたプロジェクトルームでは、専用のファックスが鳴り続けていた。駆け寄って印刷された紙を手に取り、急いで目を通す。


「車の後部座席でミイラ化していた男の子」
「ケージに入れられていたため、両足の発達が未熟」
「社会との関係を一切断たれた家庭内監禁状態。社会常識が全く身についていらず、雨が降ったら傘をさすことを知らなかった」
「ネコの糞やオムツなどのごみが大人の腰の高さまで積み重なった隙間で幼児が眠っていた」
 

 衝撃的な言葉の数々――。これが、この国で起きていることなのかと、目を疑った。

 集計の結果、「消えた子どもたち」は、この10年間の間に施設に保護されていただけでも、少なくとも1039人いたことが明らかになった。記録が残っていない施設や、未回答の施設があること、そもそも保護されていない子どもがいることを考えると、この結果は氷山の一角であり、相当数の子どもが社会との接点を失って姿を消し、危機に直面していることがうかがえる数字だった。
 そこには、これまで様々な事件を取材してきた私たちでさえ、言葉を失う実態が記されていた。送られてきた一つひとつの記述に、それぞれの子どもたちの苛酷な人生の一部が浮き彫りになっている。集計と分析結果の前に、保護されたときの子どもたちの様子をいくつか紹介したい。


・「ごみ屋敷で生活.笑顔はなく顔の表情筋が衰えている。服を着たことも、外へ出たこともない。泣くこともない」……最も表情豊かに過ごすはずの幼児期、四年間社会と断絶された。要因は「親の虐待・ネグレクト」。


・「親の知人宅に放置され、衣服も汚れて臭かった。便座を机代わりに勉強していた」……母親は夜の仕事で、保育所や学校に通わせてもらえずネグレクト状態だった。


・「中学校で保護されたが自転車にも乗れなかった。幼児期よりほとんど教育を受けていない。大人への言葉使い、学校での授業の受け方がわからず大声を出していた」……母親の意向で小中学校に通わせてもらえず。布団で寝たこともない様子だったという。


・「幼い兄弟だけで暮らしていた。保護時、体は垢まみれで相当不衛生な環境だった」……その後もコミュニケーションに問題を抱えている。


・「無戸籍。発達の遅れ、学習の遅れ」……保護されるまで一度も学校に通っていなかった中学生。母子家庭で水道も止められるような状態。小学生の弟はオムツをしていた。


・「家から一歩も出たことがない。髪は伸び放題。言葉が話せない。食事は犬のように押し込んで食べる。飢餓状態の子どものように腹がふくれている」……その後も体の発達と学力に課題を抱えている。


 多数の回答によって、事件になって社会に表面化するケースはひと握りだということがあらためてわかった。そして、国の調査ではわからなかった、その背景や実態も見えてきた。

 
 短くまとめられた「実例」を読むだけでも、いたたまれない気分になってきます。
 子どもを育てていると、思うようにいかずに苛立ったり、自分の時間が欲しくなったりすることはある、それはわかるのだけれど、だからといって、ここまでのことが、できるものなのだろうか。
 ケージに入れられたいた、とか、傘をさすことも知らなかった、とか。
 そもそも、子どもが成長してくれなければ、かえって親も手がかかるばかりではないのか。
 でも、こういう「現実」が、現代の日本にも存在しているのです。
 それなら、子どもをつくらなければいい、と思うのだけれども、子どもは、育児に向いている夫婦を選んで生まれてくるわけでもない。


 この調査の結果からは、子どもたちが「消える」要因のなかでいちばん多いのが「ネグレクトを含む虐待」で、全体の6割強、次いで経済的な理由、通学への無理解、そして、「保護者の障害や精神疾患」と続くのです。
「虐待」や「お金がない」というのはわかるのですが、保護者が障害や精神疾患によって、子どもに「依存」してしまい、学校に行かせなくなってしまう、というケースも少なくないのです。
 そもそも、いまの世の中での「通学への無理解」というのは、精神的な問題の反映である可能性もあります。
 親の側にとっても、一度「普通の育児」のレールを外れてしまうと、軌道修正するのは難しい。
 それにしても、ここに「実例」として挙げられている子どもたちの話、読んでいるだけで、いたたまれない気持ちになるばかりです。

 アンケートで、子どもが社会とのつながりを絶たれた理由として、「保護者の障害や精神疾患」を挙げたのは220人(27.1パーセント)。消えた子どもの親の実に四人に一人以上が、障害や精神疾患を患っている現状が浮き彫りになった。
 病気について細かく尋ねることはしなかったものの、自由記述欄には、「統合失調症による妄想癖がある」「うつ状態で自殺未遂を繰り返す」など、保護者の具体的な状況が記されていた。さらに電話で直接施設に尋ねると、こうした家庭は、母子家庭や父子家庭などのひとり親世帯が多いことがわかった。子育てをひとりで抱え込んでしまい、問題が発覚しにくくなっていることがうかがえる。


 この本を読んでいて痛感するのは、このような悲惨な事例が、今の日本で少なからず起きていること、そして、その子どもたちにとっては、運良く発見、救出されたとしても、心身に大きなトラウマが残るということでした。
 見つかったら、めでたし、めでたし、というわけではないのです。
 幼児期に「外に出たことがない」とか、「言葉が話せない」という状況に置かれれば、その後の成育で、同世代の子どもに追いつくのは並大抵のことではありません。
 親の側にも、精神疾患などによる「孤立」という事情があって、どうしようもなくなっている場合も多い。
 周囲の人も、「わからない」か、「積極的に関わろうとしない」のです。
 綺麗事抜きにすれば、みんな自分のことで手一杯でもあり、あえて、そこに踏み込んでいくのが「当然」だとは言えないよなあ。
 多くの人が関わっていれば、誰かひとりくらい「おせっかいなくらい親切な人」もいるかもしれないけれど……
 学校も行政も、親がいて、明らかな虐待の証拠もなく、「本人が学校に行きたがらない」と言われてしまえば、無理やり家に踏み込んでいけるような強制力は無いんですよね。・。


 著者たちは、番組のなかで、実際に監禁・虐待から生き延びた「サバイバー」の女性に取材をしています。
 18歳まで自宅に監禁されていた、ナミさんという女性の生活ぶりについて、著者はこのように記しています。

 台所に面した壁をふと見ると、短いカーテンのようなものがかけられていた。よく見ると、それはタオルだった。タオルをめくると、そこには小さな出窓があった。何のためにタオルをかけているのだろうか。
「なんかすごい気になるんですよ。光が入ってくると。なんかこう、開けるのがあんまり好きじゃなくて」
 たしかに、タオルがカーテンに見えたのも、外光を遮るためにかけられているように見えたからだ。聞くと、ナミさんは、奥の部屋のカーテンも常に閉め切っていて、洗濯物もベランダではなく室内で干すという。ナミさんが18歳まで母親に監禁されていた部屋も、黒いカーテンが閉められ、光が閉ざされていた。

 体調不良と、人間関係。二重の壁に悩んだナミさんは、とうとう仕事を辞めた。それ以来、仕事らしい仕事には就いていないという。
「今すぐにでも働きたい。本当に、何でもいいから、とにかく働きたい。その気持ちでいっぱいなんですけど」
 ナミさんは、語気を強めて、就職への強い気持ちをあらわにした。少し怖いくらいの迫力があった。これまで、ハローワークにひとりで行き、求人に応募し、面接も受けてきたというナミさんは、あるものを見せてくれた。
 それは、履歴書だった。つい最近、調理の仕事の募集を発見し、その会社に申し込みをして面接まで受けたが、翌日にすぐさま履歴書ごと郵送で返却されたという。
 その履歴書には、スーツと白いワイシャツを着たナミさんの写真が貼られている。スーツは、知人に借りたという。名前と住所の下には、これまでの学歴や職歴を記す欄がある。そこには、たった一行、卒業認定を取得した中学校の名前だけが記されていた。
 こんなにも、何も書くことのない履歴書があったのだ――。
 義務教育を受けることができず、もちろん高校や大学、専門学校に通うこともなかったナミさんにとって、書くことのできる唯一の「歴史」は、児童相談所で卒業認定してもらった中学校の名前だけだった。
「なんで会社は、履歴とか、学歴とか、気にするんでしょうね」
 ナミさんがぼそっとつぶやいた。


 境遇には同情するけれど、採用する側からすれば、躊躇ってしまうのもわかるんですよね。
 ナミさんには働きたいという意欲があるのだけれども、過去の記憶がフラッシュバックして、突然パニックになってしまうこともあるし、体調を崩すことも多いそうです。


 このようなルポを読むたびに、子どもを守るには、地域社会の見守りが必要だ、というようなことを考えます。
 その一方で、ひとりの子どもの親としては、育児への他者の過剰な介入は鬱陶しい、と感じてしまうのも事実です。
 「ひとりでも多くの子どもを消さない」ために、みんながその「めんどくさい社会」を受け入れることができるのか?
 悲惨な事件のニュースを聞いたときの憤りと、自分の日常の平穏と。
 なんのかんの言っても、いまさら「地域社会での子育て」には戻れないのではないか、と思うんですけどね。
 これだけ虐待事件が報じられても、「消えた子ども」は生まれつづけているのですから。


アクセスカウンター