琥珀色の戯言

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【読書感想】印象派で「近代」を読む ☆☆☆☆



Kindle版もあります。

内容紹介
時代とともに、絵は変わる。
でも、“人間の心”は変わらない。


19世紀後半のフランスに起こった絵画運動で、現代日本でも絶大なる人気を誇る「印象派」。“光”を駆使したその斬新な描法によって映し出されたのは、貧富差が広がる近代の「矛盾」という“闇”でもあった。マネ・モネ・ドガからゴッホまで、美術の革命家たちが描いた“ほんとうのもの”とは――。
*電子版では、絵画の多くをカラー画像で収載しています。
*著者の話題作『「怖い絵」で人間を読む』につづく〈ヴィジュアル新書〉第2弾!


 いま(2015年12月22日から、2016年2月21日まで)、福岡市美術館で『モネ展』が開催されています。
 期間中の2016年2月4日から、2月21日まで、「印象派」の代表作とされる、モネの『印象、日の出』が公開予定となっているのです。
 僕も観に行こうと思っているので、その予習の意味もこめて、この新書(電子版)を読んでみました。
 読んでみると、これまで僕が読んできたこういう絵画の入門書のなかでは、『エトワール』が代表作であるドガへの言及が目立つな、と感じていたんですよ。
 最後まで読んでみると、この本、著者の中野京子さんが、2010年秋に横浜美術館で開催された『ドガ展』のなかで行なった講演「ドガの時代」を元にしたものだそうです。
 この『ドガ展』の時期、僕もちょうど学会で横浜に行って、会場の近くにいたのですが、当時は「ドガ……よく知らないなあ……」と『エトワール』を観る機会を逸していたんですよね。
 今から考えると、大変もったいないことをしたなあ、と。
 

 この本のなかで、「印象派」という言葉のルーツの話が出てきます。
 当時(1860年代)のフランスでは、一人前の画家と認められるには、年に1回のサロン(官展)で入選しなければならなかったのですが、新しい作風のものは、なかなか認めてもらえなかった。
 そこで、落選続きの若い画家たちが、作品の発表の場を求めて、1874年に「無名会第一回展」を開きます。
 1か月間で、観客はわずか3500人だったそうです。

 このとき発表された、モネの『印象ー日の出』を見てください。「印象派」の命名の元となった、有名な作品です。
 画家の故郷、ル・アーヴルの港に訪れる朝。舟も帆も建物も、全てが青みがかった靄(もや)のなかに溶け、昇りそめた太陽が、揺らめく水面にほんのり赤くリフレインする……。すがすがしい明け方の大気まで香ってきそうな本作は、今でこそ鑑賞者の心にすっと入ってきます。刻々と変化する光を一瞬のうちに捉えるには、必然的に素早い粗いタッチになり、塗り残しが出る。そうしたことへの理解も容易です。でもリアルタイムでこれを見た、とりわけ伝統を重んじる人々にとっては、「こんなものは絵ではない」。
 まさに悪評さくさく。中でもルロワという評論家は新聞で、「この絵はいったい何を描いたのか?」「描きかけの壁紙だってこれより完成度が高い」「さぞかしここにはたっぷり印象が入っているのだろう」と揶揄し、展覧会に出品した画家たちを「印象派」と呼んだのです。つまり印象派とは――バロック(歪んだ真珠)と同じく――最初は嘲りだったわけです。


 後には、この画家たちが「印象派」を自称するようになるのですから、世の中何が幸いするかわからないものですね。
 今は日本でも美術展の目玉となることが多い「印象派」の作品も、リアルタイムでは、けっこうバッシングを受けていたのです。


 この本を読んでいて面白かったのは、印象派の作家たちの作品の話だけではなく、その作品を生んだ「背景」について、ていねいに説明されていることでした。

 印象派に決定的な影響を与えた二つの発明品、「チューブ入り絵具」と「写真技術」については、どうしても触れておかねばなりません。
 今のわたしたちは、学校で写生の授業を受けてきているので、絵は戸外で難なく完成させられると錯覚しがちです。でもそれが可能になったのは、ようやく19世紀になってからでした。
 ニクラウス・マヌエルの『聖母を描く聖ルカ』を見てください。工房(通常、親方と複数の徒弟)内の奥で、弟子が一生懸命仕事中なのがわかります。顔料(鉱物や貝、または昆虫を乾燥させて砕いたもの)にメディウム(さまざまな媒材のこと)を混ぜて練りあげ、絵具を作っているところです。

 昔は、既製品の絵具などなく、親方が徒弟に「こういう材料をこのくらい混ぜて」と指示して、その都度つくるものだったのです。
 1700年代の終わり頃にようやく「絵具製造業」というのが生まれ、金属製の絵具チューブができたのは、1828年だったそうです。今と同じ押し出し式の錫製チューブができたのは、1841年。さらに、ネジ式のキャップができたのは、その翌年、1842年だったのだとか。
 昔の画家は、屋外での写生なんて不可能で、ひたすら屋外に籠もって製作せざるをえませんでした。
 それでは、自然を見たまま描く、というのは難しかったのです。


 また、手持ちカメラが発明されたのは1839年。
 カメラで「そのまま」が撮影できるのですから、肖像画家たちは経営上、大きな打撃を受けました。

 写真に衝撃を受けたのは、何も肖像画家たちだけではありません。目に見えるそのままを映すカメラがあるのになお絵を描く、というからには、見る者を深く納得させつプラス・アルファがなくてはならない。遠近法や明暗法による写実技法で「生きているみたい」に見せかけたところで、写真に負けてしまう。アカデミー派も印象派も真剣に道を模索し、それがかえって絵画の質を高めたともいえるでしょう。


 写真が一般化してきたからこそ、絵は「目に見えるそのまま」から脱皮することが強く求められるようになったのです。
 写真のおかげで、絵は衰退したのではないか、と考えていたのですが、もし写真がなかったら、今のような多彩な絵の表現は無かったかもしれません。
 「印象派」というのは、偶然出てきたわけではなく、時代の必然だったのだということが、この本を読むとわかってきます。


 「印象派」の作品は、生まれた国であるフランスよりも、アメリカで高く評価され、それがフランスにも影響を与えていったそうです。

 こうして印象派がアメリカ経由でフランス人の心をもしっかり捉え、絵の価格もみるみるうちに初値の何十倍、何百倍と吊りあがっていくのを目の当たりにしても、フランス・アカデミーのお偉い先生がたの頑固ぶりは健在でした。1894年に亡くなったカイユボットが、自らのコレクション70点ほどを国家に寄贈する旨、遺言を残すと、アカデミーは「こんな不潔なものは拒否するように」と、政府に要請。すったもんだの末、けっきょく国はしぶしぶ半分だけ受け取ったのでした(それが今やオルセー美術館の中核になっています)。

 日本人には、ルーブルよりもオルセーのほうが人気がある、なんて言われることもあるオルセー美術館の中核になった作品や「しぶしぶ受け取られた」ものだったんですね。
 本当に、芸術の評価というものは、わからないものだなあ、と。


 もし『モネ展』を観に行く予定があれば、この本はちょうど良い「予習」になると思います。
 それにしても、なんであのとき僕は『ドガ展』に行かなかったんだろう……
(ちなみに、ドガの『エトワール』は、オルセー美術館に所蔵されています)