琥珀色の戯言

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【映画感想】ザ・ウォーク ☆☆☆☆


1974年8月7日。フランス人の大道芸人フィリップ・プティジョセフ・ゴードン=レヴィット)は、誰も考えついたことのない挑戦をすることに。それはニューヨークのマンハッタンにそびえ立つ2棟構造の高層ビル、ワールド・トレード・センターの屋上と屋上の間にワイヤーロープを張って命綱なしで渡っていくというものだった。そして、ついに決行の日を迎えるフィリップ。地上110階の高さに浮いているワイヤーを、一歩、また一歩と進んでいく彼だったが……。


参考リンク:映画『ザ・ウォーク』公式サイト


2016年3作目。
1月29日のレイトショーで、3D・字幕版を観賞。
観客は僕も含めて3人でした。


1974年8月7日。
在りし日、というか、まだ落成前のワールド・トレード・センターの2つのビル「ツインタワー」の屋上にワイヤーを渡し、「綱渡り」をしてみせた男がいたのです。
彼の名は、フィリップ・プティ
これは、彼がツインタワー間の綱渡りを志し、実現するまでを描いた「実話」です。


フィリップ・プティのこの「歴史的な綱渡り」は、2008年にイギリスで『マン・オン・ワイヤー』としてドキュメンタリー映画されているのです。
『マン・オン・ワイヤー』では、フィリップ・プティ本人や関係者の証言や当時の映像なども紹介されています。


この『ザ・ウォーク』は、その歴史的偉業(であり、暴挙でも、愚行でもある)をドラマ化したもので、基本的なストーリーは事実に基づいているそうです。
普段は飄々としながらも、決行直前には精神的に追い詰められ、でも最後は1本の綱の上で「解放」されていくフィリップを、ジョセフ・ゴードン=レヴィットさんが好演しています。


この映画のストーリーって、ものすごくシンプルなんですよ。
子どもの頃に「綱渡り」に魅了され、技を磨いてきた青年が、「社会へのクーデター」として、「落成直前のワールド・トレード・センター」のツインタワー間にワイヤーを渡し、綱渡りをするという計画を実行する。
(フランスでは、クーデターのことを「クー」って言うんですね。そんなによく使うのかその物騒な言葉……)


あらためて考えてみると、地上400メートルをこえる2つのタワーの屋上にワイヤーを渡す(しかも、その上を人間が歩けるだけの強度と安定性が必要)ということそのものが、「その上を渡る」以前に大きな問題になるんですよ。
これが、公的な企画で、お金と時間、技術、人手をふんだんに使えれば、ワイヤーを渡すこと自体は、1974年でも可能だったとは思うのですが、フィリップ一味は、この「違法行為」を、見つからないようにやらなければならなかったのです。
そのための綿密な下準備や、実行時のさまざまなアクシデントも描かれていて、「本当に大変なことだったし、ちょっとしたズレでもあれば、悲惨な結末になっていたかもしれない」のです。


この映画の「ナビゲーター」は、未来の(とはいっても、姿は若いときの)フィリップです。
冒頭に彼が登場してきて、「過去のこと」を語り始めた時点で、この映画の「結末」はわかります。
少なくとも、フィリップ・プティは、落ちないし、死なない。
まあ、あの高さでの綱渡りだと、落ちる=死、ということになるでしょうけど。


この時点で、サスペンスとかアクション映画として観ようという人にとっては、かなりの「ネタバレ」にはなっているんですよね。
ものすごい高さでの綱渡りの映像には、(とくに3Dで観ると)自分が落ちるわけでもないのに、思わず掌に汗がにじんでしまうくらいのスリルと緊張感があるのですが、「主人公が落ちて死ぬことはない」と思うと、まあ、安心して観ていられるのは事実です。良くも悪くも。


アメリカの人たちにとっては、「ツインタワーの屋上に渡したワイヤーで綱渡りした男」の話はみんなが知っていることなので、その結末でドキドキさせるのは難しい。
本能寺の変を描いたドラマで、「織田信長の運命は!」とか言われても、「知ってるよ……」としか言いようがないのと同じで、「みんなが既に知っている場面を、どう描くか」。
この映画では、いまはもう失われてしまったツインタワーと、そこに渡されたワイヤーの上のひとりの人間の姿がアーティスティックに描かれています。
かなり高所からの視点も多いので、高所恐怖症の僕は戦々恐々としていたのですが、3D版でみると、あまりに高すぎると、かえって怖くないのかもしれないな、と思いました。
この映画に関しては、大画面・3D版を強くおすすめします。
ちなみに「フランス語」「英語」にかなりこだわりもあるみたいで、だからこそ、ちょっと珍しい「3D字幕版」で公開されているシアターが多かったようです。
ジョセフ・ゴードン=レヴィットさんは「フランスなまりの英語」を喋るため、そして、綱渡りをするために、猛特訓をしたのだとか。


この映画では、結局のところ、フィリップがなぜこんな綱渡りをしたのか、その明確な動機が描かれていないんですよね。
しかしながら、「だからすっきりしない」なんてことは全然なくて、人というのは、「絶対に自分にはできないことをやる人」に魅了されてしまうもののようです。
フィリップの場合、「なんでこんな危険で違法な行為をやりたがるのか、わけがわからない」のですよ僕は。
高いところは怖いし、ちょっとでも動揺すれば、間違いなく死ぬ状況だし。
やるのであれば、それにふさわしい「動機」を必要とするはず。


ところが、フィリップは、この危険すぎる綱渡りに「理由」を無理に見出したり、感動のドラマを作り上げたりはしない。
そこに新しい時代の象徴のようなツインタワーがあって、誰もできなかったような綱渡りをやってみたいという男がいて、彼には行動力があり、仲間がいた。
意味や理由がわからないからこそ、人は圧倒され、そこに何かを見出そうとする。
違法だし、迷惑だし、事前に相談されたら、100人中99人は「そんなのやめろよ」と言う。
にもかかわらず、1本の綱だけを頼りに空中に立っている人間を目の当たりにすると、圧倒され、賞賛せずにはいられない。
神々しささえ感じます。
この映画では、とにかくそのツインタワー間の綱渡りの映像・音楽・空気感が素晴らしい。
まるで、ちょっと懐かしい「環境ビデオ」のようです。
前半はちょっと画面が薄暗くなると眠気に襲われたりもしたのですが、クライマックスの綱渡りのシーンだけでも、ぜひ3Dで観ていただきたい。


「綱渡りなんて、綱の上を歩くだけ」だと思いこんでいたのですが、綱渡りをパフォーマンスとして行なってきた人々には、技術や経験の蓄積があるということが、この映画を観ているとよくわかります。
綱の張り方ひとつにしても、作法があるのです。
フィリップの師匠は言います。


「張られた綱を必ず自分で確認しろ。他人任せにはするな。自分自身で確かめるまでは、絶対に渡ってはいけない」


大事なのは、テクニックよりもメンタル、とくに「平常心」を保つこと。
でも、それは口で言うほど、簡単ではありません。
フィリップは「天才」なのだと僕は考えていたのだけれど、この映画をみると、「才能」だけではなかったことも伝わってきます。


この綱渡りのおかげで、落成前には、冷たい、無機質な感じがする、と批判の声が大きかったツインタワーが「親しみやすいものになった」と劇中では語られています。
たしかに、この無謀な挑戦は、多くの人の心のなかに、「ツインタワーとその間に渡されたロープの上を歩く男」の画像や映像を残したのです。
今は失われてしまったツインタワーは「あの挑戦の舞台」として、語り継がれていくことになるのでしょう。


ノンフィクション好き、「冒険」が好きな人には、オススメの作品です。
ツインタワー間の綱渡りの場面だけでも、映画館で観てほしいなあ。


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