琥珀色の戯言

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【読書感想】美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには ☆☆☆☆


美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)

美術館の舞台裏: 魅せる展覧会を作るには (ちくま新書)


Kindle版もあります。

内容(「BOOK」データベースより)
一九九七年、スペインのさびれた地方都市ビルバオに世界的に有名な建築家フランク・ゲーリー設計のビルバオグッゲンハイム美術館が誕生しました。その集客は最初の3年間で400万人、収益約5億ユーロ!しかしこの美術館は存続の危機に陥った老舗名門美術館による起死回生の挑戦でした。美術品の保存と研究を旨とする美術館に、今、商業化とグローバル化の波が押し寄せています。新しく変わりつつある文化の殿堂で何が起きているのでしょうか?


 僕は美術館や博物館を訪れるのが大好きで、どうやって絵や展示物を世界各地から集めてくるのだろう?と興味があったんですよね。
 東京芸大の大学院を卒業後、研究員としてフランスなどで活躍し、2006年から、東京丸の内三菱一号館美術館初代館長に就任している著者は「美術館はどうやって展覧会を開いているのか」をこの新書で紹介しています。


 太平洋戦争後の日本の美術館で行なわれた美術展には、新聞社の力が必要不可欠でした。
 戦後しばらくは、新聞社の駐在員・特派員は特権的に海外の情報に触れることができた数少ない職業だったのです。

 美術館と新聞社との連携による、日本独自の展覧会開催スタイルは、確かに結果としての数字も出していました。
 戦後の海外美術展来場者数ランキングを見ると、上位三展とも新聞社主催の展覧会です。


1位『ツタンカーメン展』(1965年)…約293万人 朝日新聞社主催
2位『ミロのヴィーナス』展(1964年)…約172万人 朝日新聞社主催
3位『バーンズ・コレクション』展(1994年)…約107万人 読売新聞社


 大学院を修了し、私が国立西洋美術館で研究員(学芸員)となったのが1980年です。今にして思えば、美術館業界全体にまだおおらかな雰囲気が漂っていた最後の時代だったのかもしれません。今ほど、数字で見える結果、採算を求められなかった時代とでもいうべきでしょうか。


 1位と2位は僕が生まれる前の美術展で、3位はものすごく話題になったのは知っていますが、行ってません。
 『ツタンカーメンの黄金のマスク』や『ミロのヴィーナス』、そしてあの『モナリザ』も来日したことがあるんですね。いずれも1970年代以前で、まだ「美術品を貸すことに対して寛容だった時代」だったそうです。
 今は、日本で大混雑の美術展に行くよりは、現地で直接見たほうが良いのでは、と思うくらい世界が狭くなったのも事実ではあります。
 著者によると、ヨーロッパの美術館どうしては、お互いの収蔵作品を無償で貸し借りすることが通例なのですが、日本は海外の美術館で喜ばれるような収蔵品が少ないため、「お金」で作品を借りることになりました。
 そのことが、世界の「習慣」を変えて、美術館のなかには、その「レンタル料」をアテにしたり、海外に「分館」をつくったりするところも増えてきたのです。
 とはいえ、基本的に美術展というのは「収支がトントンなら万々歳」というくらい「儲からない」そうです。

 正直申し上げると、展覧会の収支は赤字になることがほとんどです。新聞社やメディアとの共催展示会で、メディア側がものすごく集客に力を入れ動員数につながった場合、あるいは、超有名作品が鳴り物入りで来日した場合など、十本に一本レベルくらいの割合で黒字になるケースもあるますが、原則、展覧会の収支目標としては、大きく黒字をめざせるわけではない。赤字を出さず収支トントンであれば、充分、許容範囲なのです。その収支目標を狙うにしても、ある程度の集客を確保しなければなりあせん。展覧会づくりは、こうしたシビアな現状のなかで行なわれているのが現実です。
 予算についても同様です。決して好環境というわけではありません。小規模の市立や区立美術館などでは一展覧会につき1000万円どころか100万円単位の予算で運営している場合も多いと聞きます。新聞社などのメディアが共催する大規模海外展レベルで数億円という予算でしょう。ただ、それだけの予算をかける場合には、少なくとも数十万人という動員客数が見込めなければ、結局、収支は赤字になってしまいます。

 コスト面についても触れておきましょう。例えばフランスからルノワールの絵画を一点輸送する場合。保険費も含めた輸送費はおおよそどれくらいかかるのでしょう。まず、堅牢なクレート(特注のケース)の内側に厳重な内装材を入れたダブル仕様のクレート作成だけで数十万円。そこに輸送費をプラスして、さらに保険料を加算すると、約100万円単位の経費が必要となります。あくまで作品一点についての輸送費です。さらに作品をエスコートしてくる貸し出し側の美術館のクーリエ(随搬者)の経費もこちらに付随します。ですから、作品を何十点も輸送しなければならない大規模海外展の場合は、輸送費・保険費だけで数千万円あるいはそれ以上のコストを捻出しなければなりません。
 それに加え、会場設営費、人件費、カタログなど展示会関連書籍・チラシやパンフレットなどの制作費……と、必要経費はどんどんかさんでいきます。それでも、この輸送費関連のコストが占める割合は非常に大きいといわざるを得ない。


 大規模海外展で数億円って、そんなにお金をかけているわけではないのだな、と感じました。
 美術館の「特別展」の入場料って、1000円から2000円くらいですし、収容できる人数もそんなに多くはないので(あまりに混雑している美術展というのも、観客にとってはつらいものです)、そんなに儲かるようなものじゃないみたいです。


 最近の美術館の館長には、美術品に詳しいというだけではなく、経営センスや社交力も求められるようになっています。 

 実はアメリカの館長にとって、女性に好感をもたれる魅力があるかどうかは大袈裟ではなく死活問題につながります。女性のなかでも、富裕層の未亡人の心を〓むことが必須です。アメリカの美術館は寄付と合わせ、所属コレクションの多くを富裕層のコレクターからの寄贈に頼って発展してきましたから、実質的にコレクションの所有権を持っている、もしくはご主人亡きあと莫大な遺産を相続した彼女たちは、あらゆる意味で美術館最大のスポンサーとなりうる存在なのです。マダムキラーであること。それがアメリカの館長、スターキュレーターに課せられた、ある意味ミッションでもあります。


 「マダムキラー」と言うと、なんだか人聞きが悪いですが、「人に好かれるタイプ」のほうが、いろいろと有利なのは間違いなさそうです。


 あと、日本の昔の絵画などは「会期中の前半と後半で、主要な展示作品が一部入れ替わる」ことがあります。
 僕はあれは「同じ人に二度来場してもらおうという、営業上の戦略なんだろうな、ちょっとセコいなあ」と思っていました。
 ところが、そういう「経営判断」とか「借りられる期間が短かった」だけではない、「日本美術の特異性」があるようです。

 日本美術の展覧会で、よく展示作品が小刻みに変更されることがあります。さすがに一週間ということはありませんが、展覧会の会期中であっても、一か月程度で、展示が終了してしまうものがあります。それはひとえに繊細な材料を用いることが多い日本美術が応々にしてもつ物理的な脆弱さゆえです。展示期間が3〜4週間程度に限られるものとしては、紙製のもの、つまり襖絵、巻物、浮世絵などが挙げられます。最終的は判断は所蔵者と学芸員や保存・修復の専門家によりますので、一概にはいえませんが、紙製の美術品の展示は慣例的にはその程度の期間とされています。そういった美術品は、酸素・光線などに晒され続ければ急速に劣化するので、一定期間を超えると、どうしても作品に負担がかかってしまうのです。


 西洋の絵画に比べて、日本美術は材料が繊細で、長期間の展示に向かないものが多い、ということなんですね。
 そうか、あれは「二度来てもらうための戦略」じゃなかったのか(もちろん、それで二度来てくれたら嬉しいでしょうけどね。僕自身は、同じ展覧会を期間中に二度見たことはないのですが)。


 これまで観る側としては知らなかった、あるいは意識したことがなかった「美術展、美術館の舞台裏」を垣間みられる、なかなか興味深い内容だと思います。

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